第12話 魔石の街ケルン

食堂を出て店に行き、引き出しや棚に突っ込んであるいくつかの革袋を無造作に掴んで出かける準備をしているアブソレムに、わたしは慌てて聞く。

「正午にクロス派が訪ねてくるんでしょう?今から出かけて間に合うの?」

ここに来てから時計を見かけていないが、日が昇ってからもう1~2時間は経っているはずだ。玄関や庭から外を眺めただけでも、このサンテ・ポルタの周りには、街どころか民家の一軒もないことは分かっていた。

街まで往復するのには相当時間がかかってしまうだろう。

アブソレムは無言で、大きめの壺に詰められた軟膏を差し出してきた。

なんだろう、これ……。ベタベタしていて苦そうな匂いがする。

「これを両手足と、首の後ろに塗りなさい」

正直全く気が進まなかったが、アブソレム自身もその軟膏を塗りだしたので、仕方なく手に取った。

ううう、やっぱりベタベタしてるよ……。

しっかりと塗ったのを確認して、わたしたちは食堂側の庭へ出た。

食堂側の庭だと、あのいじわる花たちの声が聞こえるのではないかと内心げんなりしたが、なんの声も聞こえなかった。

もしかしていじわる花たちは、夜行性なのかな?

そんなことを考えていると、アブソレムが大きな箒を持っていることに気がついた。

うわあ!ほ、箒だわ!!

箒が出たわ!!

わたしは一気にテンションが上がってしまった。

だって、箒よ!

魔法使いが箒を持っているときたら、考えられるのはひとつしかないじゃない!

「空飛ぶ箒で飛んで、街へ行くのね!?」

興奮した声を聞いて、アブソレムは心底面倒くさそうな顔をした。

「空飛ぶ箒だと?これはふつうの庭用の箒だ」

その言葉に、わたしはガクッとする。

「えっ……?それで空を飛ぶのではないの?」

ポカンと聞き返すと、アブソレムは眉間にしわを寄せて答えた。

「さっきから一体何を言っている?箒はただの椅子の代わりだ。さっき空飛ぶ軟膏を塗っただろ?」

え!?あのベタベタの軟膏のほうが、空飛ぶアイテムだったの!?

まさかの展開に驚いていると、アブソレムはさっさと箒にまたがり、わたしを後ろに乗せた。

わたしはスカートを履いているため、足を揃えて横向きに座らなくてはならなかった。

ちょっと待って!

思ったよりも、箒の柄が細くて安定感が悪い!わたしもまたがりたい!

「落ちるなよ」

それだけ言うと、アブソレムは地面を強く蹴る。

その瞬間、風を切る音が耳元で聞こえ、一気に上空まで飛び上がった。

「待って待って待って!絶対落ちる!これ、絶対落ちるよアブソレム!!」

わたしは大声で叫びながらアブソレムの背中にしがみついた。

「だから空飛ぶ軟膏を塗ってと言っているだろうが」

彼は呆れてため息を吐くと、わたしの叫び声はお構いなしに、そのまま東へ一直線に箒を飛ばした。


箒から振り落とされないように、アブソレムにうまくしがみつくコツを覚え、足元の風景を見る余裕が出て来た。

ちなみになりふり構っていられないので、しがみつき方は決してロマンチックな姿ではなく、まるで小猿だ。

両手でガッチリしがみつき、ついでにローブを足の間にギッチリと挟んでいる。

箒が飛び上がってすぐに目に飛び込んで来たのは、木々だけだった。

そりゃもう木ばかりだ。木、木、木、たまに川、湖、そしてまた木、と言った具合だ。

ものすごく山深いところに、サンテ・ポルタはあるらしい。

風の加護があるミナレット派は別として、ほかの人たちは一体どうやってここまで来ているのだろう?


数分ほど飛んだだろうか。やっと、木々の間に道が見えてきた。

石畳かタイル貼りのようになっているらしく、灰色の道がずっと東へ続いている。

その道を目で辿っていくと、すぐ先の方にポツポツと民家が見え始めた。

カラフルな屋根に、暖炉が見える。

この世界では未だに暖炉が活躍しているのね。

わたしは足元の景色をもっとよく見たくて、少し身を乗り出すようにする。

アブソレムには遠慮なく全力でしがみついているけれど、痛くないかな?

しかし、体に触れて分かったが、この人ものすごく痩せている。

バリエーションに乏しい、あんな食事ばかりしていたら仕方がないのかも。

でも、店の名前がサンテ・ポルタ、つまり「健康への門」なのに、当の本人が健康じゃなかったら意味がないよ。

今日からわたしが料理担当だし、なるべく栄養のとれるものを作ろう。

わたしは、食事でアブソレムを健康にしようと密かに決意した。


そんなことを考えていると、道の先に大きな街が見えてきた。

思っていたよりかなり大きな街だ。密集して家が建っている。

今までに見かけていない、塔のように高さのある建物も見える。

「街が見えるわ!」

風の音に負けないようにわたしは大声で話しかける。

「もうすぐ着く」

アブソレムはそう言うと、少しずつ高度を下げていく。

近づいていくにつれ、人々の服装が観察できるようになった。

わたしは新しい服飾史の本を開いた時のように、胸が高鳴るのを感じた。


まず目に入ったのは女性たちの華やかなスカートだ。

ふわっと軽やかに動いている。上から俯瞰で見ているのも相まって、まるで花のように見える。

あの動きからして、スカート枠は使用していなそうだ。

コルセットを締めていそうな人も、ごくわずかだが見かけた。

こちらの階級制度はまだ理解できていないが、服装からして人々の間に何かしらの身分差があるのは間違いなさそうだ。

スカートの鮮やかな色使いが見事だった。

染色技術がとても高いのだろう。だが、染めで柄を作っているものは少ない。

コルセットを締めて従者がいるような女性たちのスカートは、総じて気の遠くなるような刺繍を施してある。

一方、大多数の庶民の女性たちは判で押したように大体似たような服を身につけている。

下履きのスカート、オーバースカート、麻や綿の白いエプロンだ。

ただ、オーバースカートの様々な色のおかげで、とても素敵だった。

男性はひだ襟や詰め物の類は身につけていない。鬘もなしだ。

長ズボンにシャツが基本で、階級によってベストやジャケット風の外套、麻のエプロンや革のエプロンなど、多種多様な上着を合わせている。足元はブーツが多い。


人種は……よくわからない。

元の世界に比べて、髪色も肌の色も色とりどりすぎるのだ。

なんなら人の間に、見たこともない生き物が紛れ込んですらいる。


わたしたちは街の端にある、広場のようなところへ降り立った。

広場には井戸と洗濯用の水場があり、人で賑わっている。

「わあ、ここが街なのね!」

わたしは箒から降ろしてもらうと、近くの建物へ走り寄った。

うーん。建築物は、前の世界の古い建物とそう変わらないみたい。

壁の色がきれいだ。壁の色を塗ったあと、上から木材でバツ印のようにクロスされている。北ヨーロッパ系の建築なのかもしれない。

わたしは昔読んだ建築史の本を思い出しつつ、観察していく。

建物にもっと近づいてよく見てみると、基本は木造でできているけれど、下のほうは煉瓦造になっているようだ。

いわゆるハーフ・ティンバー様式。

屋根の勾配もかなりキツめだ。


「そんなにじろじろと見て、何かわかったのか?」

アブソレムが後ろからそう声をかけてきた。

着いたやいなや、一人で建物に突進して観察しだしたので、すでに呆れ顔だ。

「冬は結構雪が降るのね」

わたしがそう答えると、アブソレムは「なぜわかる」と言う。

「建物は半木造建築で、下の方が煉瓦か石造りになっているし、屋根の勾配がとてもキツいわ。これはたくさん雪が降る地方の建築様式よ」

そう説明すると、彼は驚いた顔をしてこちらを見た。

「それから、道にもきちんと石畳が敷かれているし、ここまで来る道もきれいに整備されていたから、貧しい土地ではなさそう。雪深いのに豊かで、周りにあまり畑や動物もいないところを見ると、木産業か…鉱業が盛んなのかも?」

アブソレムは、またも目頭を押さえて黙り込んでしまった。

「君の知識は、一体なんなんだ……。意味がわからない」

またもや頭痛の種を作ってしまったみたい。ご、ごめんね。

「君の観察の通りで、ここは鉱業、つまり魔石で栄えている街だ。」

きた、魔石!

これぞファンタジー!

ときめいた瞬間、ん?と何か引っかかった。

「あれ?魔石って、人が作り出すんじゃなかった?鉱山でも取れるの?」

「ああ。加護の強い者は無から魔石を作り出すことができるが、基本は魔鉱山で採掘した魔力の篭った魔石を使用する。」

ふんふん。同じ魔石ってくくりだから一見ややこしいけど、ノーマルな魔石は鉱山製で、私の求めている願いの魔石は人間製ってことね。

「なるほど、わかったわ。とにかくこの街は鉱山が近いのね!本物の魔石を見てみたい!どんな風に使うの?」

わたしがノートを広げて講義を待つと、心底呆れた顔をして、さっさと歩き始めてしまった。講義はお預けらしい。


「ここはケルンという街だ」

わたしが慌てて追いかけてきたのを横目で確認して、そう教えてくれる。

「時間はあまりないから、細かい説明は後だ。なにが欲しいのか言いなさい」

「えっと、まずは調味料!」

相変わらず小走りでついていかないといけないほど歩くのが早い。

「市場なら、街の中央だ」

アブソレムがそう言って指差す方向は、特別に活気が良く、賑わいのある通りだった。

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