第2話 本気度合い


「『どうかこの家に置いてください』」



 実に単調な台詞だ。

 アレンジも、気持ちも無い、ただ読んだだけの言葉。


 家庭科部の努力の結晶たる衣装を身にまとい、ステージライトに照らされて、観客の注目を浴びているのに、なぜ棒読みなのか。

 動きもぎこちなくて、白雪姫が持つ優雅さが無い。欠片も感じられない。


 小雪は舞台を、袖の奥に立って見つめていた。

 前日まで練習していたはずのに、付け焼刃のような動きでステージを移動する。そんな適当な演技に、観客は飽き始めていた。


 日野の演技はお世辞にも上手いとは言えず、佐伯に気に入られているが故の怠慢がひしひしと伝わっていた。


 そんな演劇に、観客が一人、また一人と席を離れる。



 そんな様子に2年生は焦り、舞台袖では他の3年生も苛立っていた。


「何で演技指導聞いてないんだ」

「ちゃんと台本読み込んだのかな」

「そこ、いらない動きしちゃだめじゃん」


 3年生ともなれば、演劇に慣れて、演技にも厳しくなる。

 今の日野は、仲間からの演技アドバイスを、全て無視した立ち回りをしていた。これはさすがに酷い。


 舞台横の小部屋では、3年生が下級生の手伝いをしながら文句をこぼす。


「あの子が主役やるくらいなら、中村さんが主役やればいいのに」

「俺たちの中でも上手いよなぁ。何で佐伯先生、日野にさせたんだよ」

「演技ってさ、見た目じゃないのにね。意味分かんない」


 嬉しい言葉も聞こえるが、佐伯への不満が溢れて止まらない。

 ギスギスした雰囲気に、後輩たちも怯えだした。小雪は「気にしないで」と声をかけて回る。


「先生に不満があるだけでさ、君たちのことじゃないから」

「そうそう! 先輩たち怖いかもしんないけどさ、自分の役に集中してる子には、めっちゃ優しいから安心してね」

「そうだよ、美和の言う通り……ん?」


 小雪は自分と肩を組む人物に目をやった。

 紫色のドレスがよく似合う美和が、にこにこ笑ってそこに立っていた。

 小雪は観客席に聞こえないように、小声で叫んだ。



「どうしてここにいるの!?」



 美和の次の出番は、鏡の前でおばあさんになることを決意するシーンだ。

 そのシーンは小雪のいる袖の、反対側から出てこないといけない。


「はけるとこ間違えちゃった。『ヤバッ!』て思ったら、すぐ幕開いちゃって」

「どうしよう。観客席の端を通って……いや、それじゃ出番に間に合わない」


 小雪は焦った。反対側の小部屋でも、美和がいないことに気づきだした。

 袖の隙間から部長の顔が見える。美和はヘラッと笑って手を振った。


 幕を閉めておく時間を少し伸ばせば、観客に気づかれない。いや、このシーンは幕を閉じずに、ナレーションで場面転換する。


 どうしたってミスが見える。これでは観客に違和感を与えてしまう。

 青ざめる小雪に対し、美和は下級生に「教えとくね」と話をした。


「観客的には気づかないような凡ミスでも、こっちにとってはでかいミスとかあるじゃん。今みたいなのとかね。そういう時に、使える技みたいなのがあるんだわ」


 美和が話している間に、ナレーションが始まった。

 些細でも、ミスをすると佐伯が粘着質に説教してくる。またか、と思えば小雪の気も重くなる。

 美和は唇に人差し指を当てると、女王の見た目にそぐわない、高校生らしくて、楽しそうな笑みを浮かべた。




「それを、『アドリブ』っていうの」




 ステージに上がった美和は、一瞬で『悪の女王』に切り変わる。

 苛立った表情で、足音は大きく。さっきからずっと怒っていたかのように、うろうろ歩きながらステージの真ん中へ進む。


 その途中、小道具の花瓶を手で払い落した。鈍い音が会場に響くと、ステージを行き来する美和が台詞を叫ぶ。



「『おのれ、白雪姫! 小人を仲間につけおって忌々しい!』」



 最初はなかった台詞を付け足して、鏡を見ずに演技する。

 小雪はハッとした。



 練習の時は『鏡で白雪姫を監視しているシーン』だった。


 美和は台詞を足し、演技を変えることで『鏡を見た後の怒りのシーン』に変えたのだ。



 これならミスも目立たず、話がつながる。

 さすが、演劇部屈指の演技力を誇る美和だ。


 美和の演技に会場の視線はくぎ付けになった。飽きていた子どもさえ、大人しく座って観ているくらいだ。


 美和を通して、女王の息遣いが、心が、観客に伝わる。演目が『白雪姫』なのが惜しいと思ってしまうくらい、美和の演技は見事なものだった。


 ***


 公演が終わり、佐伯から表面的な誉め言葉を賜り、小雪たちは舞台の後片付けをする。



「先輩方、お疲れ様です!」



 大道具を運んでいると、日野から声を掛けられた。

 彼女は小道具を部室に運ぶ途中らしく、中身が少ない段ボールを重そうに持っていた。


「先輩たちの演技、とっても上手でした。三井先輩は特にすごくて、本物の悪役って感じで……」


 日野に悪意はないのだろう。だがどうしてか、いい返事をねだるような言い方に、小雪はモヤモヤする。


 主役なんて、佐伯に気に入られたから手に入れたのに。練習中も話してばかりのだらけた態度だった。それなのに声をかけてくるなんて、「あなたも良かったよ」が欲しいだけじゃないか。到底褒められそうにない演技だっただけに、困るんだよなぁ。


 ――いや、演劇に本気の生徒なんて一部だけだ。その感覚で話をしてはいけない。


 小雪が当り障りなく返そうとした。美和が日野の真正面に立つ。

 にこりともせず、真剣な表情の美和に、小雪は内心驚いていた。




「褒めてくれんの嬉しいんだけどさ、生半可な演技してた奴に言われたくないんだけど」




 美和は日野を冷たく突き放した。日野は状況が読み込めなくて「え?」と返す。

 美和は呆れたため息をついた。


「お互いの成果を称え合う気があんなら、棒読みと台詞つっかえは、本番にしちゃダメじゃん。ちゃんと練習して、それを全力で出し切ってから言って? そうじゃないと、あたし、アンタのこと褒めらんないんだけど」


 美和は日野を置いて、道具を片付けに行く。

 小雪は美和と日野を交互に見て、美和を追いかけた。


 部室では、美和が大道具を置いて、そのまま整理していた。


「小雪、それこっちに置いて」

「うん」


 いつもの美和だ。にこにこ笑って、明るい美和だ。

 さっきまでの怖い表情が嘘のようだった。


 道具を片付けると、美和はさっきとは違うため息をついた。


「はぁー、あたしもダメだなぁ。1年生なんて、まだ演技力ない子の方が多いのに。つい、きついこと言っちゃった」


 美和の落ち込んだ様子に、小雪はとっさに、「そんなことない」と言ってしまった。



「あれは、技術が足りない演技じゃなかった。中途半端だったじゃん。だから、美和は間違ってないよ」



 美和は本当のことを言っただけ。言い方がきつかっただけ。

 皆が思っていたことを、代わって口に出しただけだ。


 それをとがめるとしたら佐伯だけだ。

 小雪も、同じ3年生も、なんなら神様だって、美和を怒りはしない。


 小雪はそれを言葉にするのが難しかった。

 励ましたいのに、うまく言葉にならなくて、もどかしい。シェイクスピアなら、この気持ちを、綺麗な言葉で飾り付けて、美しく表せたのに。

 小雪は「気に病まないで」としか言えなかった。それしか言えないのが悔しかった。


 でも美和は、そんな小雪の気持ちを汲み取ってくれる。



「ありがとね。小雪」



 美和は小雪と肩を組んだ。

 美和は小雪に顔を見せないように下を向いた。ゆっくりと息を吸い込むと、ひまわりの様な笑顔に戻る。


「よぉし、焼きそば食べに行こっ! もう出店混んでないよね。お昼買いに行ったらお客さんいっぱいで萎えちゃった~」

「え、お昼食べてないの?」

「食べてなーい。ご飯おごって?」

「ジュースならいいよ」


 小雪と美和は外の出店に向かう。

 まだ人で溢れかえる外は、暑さすら忘れるほどの快晴だった。

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