第2話

 旅人は女の数歩後ろをついて歩く。


 改めて周りをみると紫陽花だけでなく、分かるだけでもつつじやヒナゲシ、椿の花なんかが咲いている。まだたいして歩いていないにもかかわらず、歩いてきた道に咲いていた花は四季を巡っていた。先ほど見た紫陽花もそうだったが、ツツジもヒナゲシも色あせずに艶やかな表情を浮かべている。


「さっきから綺麗に咲いている花が多いですけど、この国では花は枯れたりしないのですか?」


 数歩先を黙々と歩き続ける女に尋ねてみた。


「そうですね。この国の花が自然に枯れることはありませんよ」


「それも可笑しな話だが、仮にそれが本当ならばその内この国は花で埋め尽くされてしまいますね」


 先ほどから荒唐無稽な話ばかりで少し苛立っていたので、半ば八つ当たりのようにからかってみると、


「そうですよ」


女はこちらを振り向いて答えた。女の表情は布作面に隠れて見えない。


 冗談のような言葉ばかりを紡ぐその声色は冗談を言っているようにも思えず、雪のように静かだった。


「そんなことよりも、もうすぐで街につきますよ」


 そういって女が指さす先には、藤の花で着飾る街門が見えた。

 街の中は外と比べものにならないほど、千紫万紅の花々が咲き誇っていた。どの花もついさっき咲いたかのように色鮮やかで、花びらに一片の欠けも見当たらない。


 そんな花につられてか、街ゆく人々も美形の者ばかりだった。


 咲き匂う花のなかでも、街の中央に鎮座する桜の樹は異様に大きく、二百年、三百年と生き続けてきたような生命力に満ちていた。樹の幹は太く、人が数十人手を伸ばしたところで一周できないように思え、天を衝くほど真っ直ぐ、高く伸びている。梢まで満開の袖を風に揺らしながら、その花びらを雪と共に空へと踊らせている。


「これはすごいな…」


 そう呟くと、いつの間にか隣に張りつくように立っていた女がマントの裾をくいっくいっと二度引っ張り、


「こちらですよ」


と、桜から逃げるように歩き出した。


 何をそんなに急ぐのか。もう少し見ていてもよいだろうと伝えようとしたとき、周囲の人間が遠巻きにこちらを見ているのに気づいた。それも物珍しいものを見るような視線ではない。何か汚いものを見るときの、例えるなら家のなかで大きな虫を見つけたときに投げかけるような視線だった。


 桜のもとを離れることは名残惜しいが、この蔑む視線に晒されるのは気分が良いものではない。旅人は女に従い、その場を離れることにした。


 数分歩いたところにある店の前で女は立ち止まった。店の看板には擦れた文字で「造園所」と書いてある。


「造園所と書いてあるが、ここは何の店なんだ?」


「ここはのお店です。花がら摘み。ご存じですか?」


「花がら摘みというと、しおれた花を摘み取ったりするあれか」


「その通りです。ただしこの国で摘まれるのは花ではなく人ですけどね」


 その言葉の意味を問いかける間もなく、女は店の扉を開けた。


 扉が開くのに合わせて、店にいた人間が一斉にこちらへと振り向く。店の中にいる人間は店主と思わしき者を除き、全員がこの女と同じように布作面をつけ、顔を隠していた。


 表情は見えずとも、その布の裏側には不信な顔があるだろうことは想像に難くない。


 居心地の悪さを感じつつも店内を見渡すと、店主が男であろう服装をしている客に薬のようなものを渡すのが見えた。あれは何を渡しているのか、そう女に聞こうとしたが、いつの間にか女はそばを離れ、顔の分からぬ男と話をしている。


 話し相手がいなくなってしまったので、どうしたものかと考えていると、ツンとした薬の臭いが鼻の奥を刺してきた。嫌な臭いだ。そう思うのと同時に、奇妙な点に気がついた。


 街にはあれだけの花が咲き乱れているのに、花の香りは何一つしなかった。


 どの花も今が花盛りだと言わんばかりに咲いているのに、花香が全くないなんてことがあるのだろうか。そんなことを考えていると、女は先ほど話していた男と一緒に戻ってきた。


「これから、この方と一緒にある場所に向かいます。少し歩くことになりそうですがよろしいですね?」


 女は戻ってくるなりそう言った。


「歩くのは構わないが、その場所に行って何をするんだ?」


「最初に約束したことですよ。人が花木になるところをお見せするという約束。あれをお見せします」


 相変わらず女の表情は見えないが、どことなく声色が先ほどまでよりも暗く感じた。何はともあれ約束を果たしてくれるというなら願ったりかなったりだ。


 旅人は「分かった」と返事をして、顔の見えない二人と共に店をでた。


 街ではやはり花の香りはしなかった。

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