20 タイトルコール

 地獄はいつだって現実の生き物が作り出すものだ。

 椿はいつもいつも地獄を見ていた。

「うわぁあああああああ」

 きぃの悲鳴に慌てて、その肉体を両腕で抱え込む。

 高レネゲイドウィルスにあてられて暴走し、我をなくして暴れ狂うきぃは椿の肉体をむちゃくちゃにひっかいてくる。

「やめろ。やめるんだっ」

 血まみれの椿に大ムカデが迫ってきた。今まで頼もしく、彼に付き従っていた蟲が彼に噛みついた。

 血が溢れて、肉が裂かれる。

「っ」

 椿が悲鳴を押し殺し、自分の持つ杖を引き抜いた。

 仕込み杖となっていた――美しい刀が顔を出して、美しく輝く。

 それに我をなくしていたきぃと大ムカデがぎくりと動きを止めた。

 椿は刀を地面に叩きつける。

 りん、りん、りぃいいいん。

 鉄の音が響く。

 大ムカデが椿から身を離し、人化する。

 さらに強いレネゲイドウィルスを放っていたエレウシスの秘儀が――暴走した少女が、一つの光の柱のような形となって動きを止めた。

「鬼切りの小太刀は有効か」

 ぼそりと呟く。

「父さん……これは」

「きぃが、お前は早くアイシェのところに」

「隊長っ」

 アイシェの――見ると彼女は何も手にとらず、駆け寄ってきていた。

 椿たちの異変をいち早く察知して、向かってきてくれたのだ。

 アイシェはためらわず、椿の肉体を後ろから抱きしめた。

「私の力で、きぃさんを閉じ込めます」

「そんなことよりアイシェ、弾丸を!」

「だめですっ!」

 アイシェは噛みついた。

「弾丸を使えっ」

「使いませんっ」

 二つの言葉がぶつかりあう。

 アイシェの瞳は涙で濡れていた。震える手を伸ばして、暴れ狂うきぃを、椿の腕とともに押さえ込む。

 アイシェの肉体が淡い光を纏い、手のなかに青白い雷撃を生み出すと暴れるきぃを貫くと、大きく痙攣した。

 きぃの肉体がびくりと震え、意識を無くす。

 椿がふらついき、アイシェの胸のなかに崩れた。浅い呼吸を繰り返す、椿はもう一言も発することができないほどに弱り切っている。

「マルコ班は退却します」

 アイシェが重々しく、吐き捨てる。

 その言葉とともにアイシェの背に隠れていた数名の男たちが――武装したマルコ班たちが現れる。彼らはアイシェを中心として陣を組み、侘助をひきずりあげて光の柱となった少女を敵視する。

 本来は、遺産の暴走を止めることを最優先すべき今、アイシェは選んだ。

 言い訳なんていくらだって思いつく。

 隊長の命のこと、これは予想外のこと――なんだってここから逃げてしまえる理由になる。

「あなたたちもこのまま撤退を」

 アイシェがちよたちに声をかける。

「逃げろって、このままあの子を独りぼっちにするの」

 かすみが焦燥にからたれ、からからに乾いた声で怒鳴っていた。

 光の柱となったちかが泣いているように見える。

 たとえなんであっても彼女と過ごした日々は変わらない。

「今だったら、まだ」

「かすみっ」

 ちよが叫んだが、そのときにはかすみは走り出していた。

「だめ、だめだ! いっちゃ」

 大賀の悲鳴が重なる。

 けれど、かすみは両腕に雷撃を纏って、光の柱となったちかに――伸びた手が触れようとした――絶望が笑った。

「ちかを救いたいのっ」

 かすみの声は確かに届いた。そして、

 ――あなたは私のそばにいてくれるのね

 やさしい声とともに、かすみの横から突撃したのはケートスだった。口のなかにかすみをくわえこみ、飲み込む。

 丸呑みにされた――ちよは唖然とその光景を見た。

 ケートスは満足したように嘶き

「あ、ああああああああああああ! かすみちゃん、かすみちゃん!」

 ちよの悲痛な、叫びと重なり合う。

 信じられない、信じたくないというちよの絶望の声に一番はじめに動いたのは高見だった。

 ケートスに向かって駆け出すと、手のなかにある鉾を突き出す。素早い動きで三突きするが、まるでぶよぶよに膨れた海のように感触がないことに眉をひそめた。

 一度動きを止めて、鉾を大きくふり、身を低くした高見は狙いを定める。

 幸いにも巨大なぶん、動きが鈍いのに狙い定めて、ケートスの首を鋭く突く。

 とたんに透明な水が溢れてきた。

「かすみっ」

 高見はなかから零れ落ちたかすみを腕のなかに抱え込むとぞくりと背筋に怖気が覚えた。

 光からのぞくうらみがましい視線はちかのものだった。そんな表情もできたのかと冬のような冷たい視線を受けて高見は苦く笑う。

「かすみは、わたしといくの」

「・・・・・・どこに行くんだ」

「海へ」

「……お前はエレウシスの秘儀なのか」

 少女は笑う。

「……遺産といえど万能ではないだろう」

「かすみだけが私のところにきてくれたから」

 高見はちかと対峙したままじりじりと後ろに下がる。

「ほら、私のこと怖がってる」

 歌うような明るい声でちかは口にする。

「先、駆け出してくれたのはかすみだけだった。だから私がもらうの」

「・・・・・・そうしたら私はお前を討つしかなくなる。支部員は私の守るべき子らだ」

 ちかの目が凪いだ海のように静かになる。

 かわりに広がる光の柱からケートスが顔を出す。一体だけではない、二体、三体・・・・・・それが答えかと高見は呟き、鉾を一匹のケートスの投げつけると背を向けて全力疾走した。

「逃げろっ」

 高見の声に大賀が弾かれたように顔をあげてちよを抱えると走り出した。

 マルコ班たちが弾丸を浴びせて、ケートスが倒れるなかをちよは見ていた。

 化け物になってしまった少女の微笑みを。

 こんな終わり、望んでなかった。

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