ミドル戦闘

13 セットアップ

「敵襲ですっ」

 焦ったアイシェの声がスピーカー越しに建物中に響く。

 眠っていたエージェントは、谷底から引き揚げられたように意識を覚醒させ、目を開けた。

 ベッドのなかで肉体の芯をひんやりとさせる嫌悪感と静けさ――ワーディングかと思ったが、違う。

 ゆるやかな拒絶の波動。

 ジャームのなかには自分が望むものだけを固定空間に取り込むことのできる者がいる、というのことは聞いたことがある。

 範囲で広ければ広いほどに、それは緻密さを無くすが、一般人とオーヴァードを判別するくらいの役には立つ。


 してやられた、エージェントはベッドから起き上がり、衣服を身につけ、アリオンを呼ぶ。

「行くわよ」

「マスター、これって」

「……ジャームの使う力でしょうね」

 アリオンを髪に飾り、急ぎ足で部屋を出て廊下を進む。

 会議室にたどり着くと高見たちがすでに集まり、緊張した顔で窓辺に集まって下を見ている。

 なにかと思って近づいて見ると、宵闇のなかに無数の赤い揺らぎ――魂のようなそれは無数の従者が進行だ。

まるで亡霊の海。

「あっ」

 息を飲む。

 たった数日で彼はこれまで取り込んだ仲間たちを作りだし、引き連れてやってきた。

 唯一褒められたとすれば一応の分別から一般人たちに被害がないようにした、くらいか。

「急いで戦闘態勢にはいるぞ。戦える者たちはみな武器を持ち、対応しろ。さすがにこの数、私でも捌ききれんぞ」

 高見が冷静にマイク越しに命ずる。

 現在このビルを取り囲むセキリティはアイシェが担っている。彼女から他の動けるエージェントたちにも高見の命令は通達されるはずだ。

「大変です。大賀くんが」

 アイシェの声に高見は舌打ちした。

「あの馬鹿め!」

 暗闇のなか、攻防戦に突入したマルコ班が弾丸を撃って従者を牽制し、間に合わないところを支部員たちが埋める攻防戦のなか、先んじるように大賀が駆け出すのを見て高見が吐き捨てる。

「ばかーーっ! もどってこーい」

 かすみが窓から身を乗り出して怒鳴った。

 それに大賀は大きく腕を振った。

「ばかもう、ほんと、ばか! 私、行くわ」

「かすみちゃん、落ち着いて。ここ三階だよっ」

 ちよが慌てて飛び降りようとするかすみの身を掴む。

「オーヴァードなんだから平気だよって、うー」

「落ち着け。とにかく大賀の迎えは私がする。お前たちは待機しろ!」

「きぃちゃんたちてつだいまぁす」

 いつの間にか大ムカデに乗ったきぃが腕を振る。

 椿は現在、アイシェのサポートにまわっていてここにはいない。ある程度落ち着けば、すぐにこちらへと来るはずだろうが――幼い少女の提案に高見は逡巡するが、すぐに頷いた。考えている暇はない。

「よし、ではサポートを頼む」

「はぁい。先にちょっと行きますね」

 大ムカデがうねって壁を使い、降りていくのに高見もあとに続こうとして、腕を捕まれた。

 切羽詰まった顔でエージェントが高見を見つめる。

 泣いてしまいそうな顔だが、それをエージェントは自分でわかっていない。ただ震える手で、迷い続けた瞳で

「・・・・・・殺さないで」

「それは約束できかねる」

 残酷なことを口にしていると自覚しながら高見は真剣に言い返す。もし大賀になにかあれば、敵と刺し違えても止める覚悟だ。

「話を、させて」

 震える声でエージェントはなおも言い募る。

「お願い、話をさせて……彼と」

「・・・・・・わかった。出来るだけ協力はする。椿がこちらへと来たら彼の命令を聞き、こちらに来い」

 高見がそれだけいうと窓から飛び立つ。

 ちよとかすみは残されたエージェントを見る。

 エージェントは拳を握りしめ、壁を強く殴りつけていた。

「どうしてよ、馬鹿っ!」

 エージェントの口から漏れた悲痛な罵りは、彼女の心のすべてを代弁していた。

 来て欲しくなかった。

 来るとわかっていた。

 そして

 必死に生かそうとするエージェントの心を踏みにじるように欲望に足を踏み出す男が纏う憎悪と愛しさ。

 ばらばらの気持ちを彼女は抱えて歯がみした。


「うおおおおおっ」

 切迫の気合いをこめて、大賀がつっこむ。

 キュマイラの能力で、その肉体を巨大な獣と変えた彼は、しかし、その姿からは想像できないほどのスピードで無数の赤い従者たちをなぎ払っていく。

 若さゆえの未熟さはあれど、チルドレンとして訓練された大賀の動きに無駄はない。

 巨大化することで自分を的にして味方の動きを少しでもスムーズにさせる。

 真正面からやってきた従者を振り払っていると、別方向から取り囲まれ、無数の槍に突かれた大賀は血反吐を吐く。けれど動き続けた。止める仲間たちを振り払ってここまできただけの役目を果たす必要がある。

 ――だって、かすみが

 いつも戦いになると泣いている女の子。自分の背中を押してくれた女の子に重なった。

 明るく元気で、けど、とても傷つきやい女の子。

 ――血まみれで泣く姿はみたくない!

 赤い従者たちのなかに黒いスーツの男を見つけて大賀は片腕をあげた。

「マスターレギオンっ! 覚悟!」

 伸ばされた腕が一瞬で吹っ飛んだ。

 あ、と大賀が絶望の声を漏らす。

 信じられないものを見るように大賀は目の前に躍り出た従者を凝視する。

 隻腕の従者の片腕にある剣が、風車のように舞う。赤い血をまき散らし、大賀の肉体を細かく切り刻み、反撃の隙を与えてくれない。

 血と肉が舞い散り、深紅の雨が降る。

 痛みの悲鳴だってあげる隙もない。

 その場にいた従者たちが一斉に大賀の肉体を突き上げる。

「あ、あああっ」

 大賀の肉体はまるで天への供物のように持ち上げられる。自分の重みでどんどん刃が肉体を貫いていく。

 変身し続けることが命を縮めると本能が察して、青年の姿に大賀は戻っていた。

 痛みと朦朧とする意識のなかで視線を向けたのは自分を見つめるマスターレギオン。

「っ・・・・・・お前らの負けだ」

「まだしゃべれるとは気丈な子供だ」

「オレが時間を稼いだんだ。支部長たちがアンタを倒す。かすみは、うんと強いんだ。オレより……オレなんかより……けど泣き虫で、さみしがりやで・・・・・・だから、守るって約束、したんだから」

 どうしてか涙がいくつも溢れて、祈るように大賀は口にしていた。

 ――ごめん、

 ――ごめん、かすみ

 笑っているかすみの顔が浮かんで、沈む。血まみれの海のなかに。

「そうか」

 幼い子供の祈りの声にもなんら感慨のない声でマスターレギオンは言い返す。

「殺せ」

 告げられた言葉とともに大賀の肉体が四方から引き裂――一本の鉾が飛び、槍を破壊した。

 隻腕の従者と大盾の従者がマスターレギオンを庇ったまま後ろに飛躍する。

 土煙をあげて、目にもとまらぬスピードで迫ってきたのは高見だ。

「私の支部の者を傷つけたな! マスターレギオンっ」

 激情の怒声をあげながら、高見は大賀を腕のなかに抱え込む。

「支部長」

 大賀は泣きながら高見を見上げた。

「すぐにちよのところに連れていく。我慢しろ」

「オレ、オレ、役に立てませんでした?」

「・・・・・・非戦闘員はちゃんと逃げることができた。お前のおかげでな」

「そっか。よかった」

 にへらっと大賀が高見の腕のなかで笑い、そのまま意識を無くした。

 高見は舌打ちとともに目の前のマスターレギオンを睨み付ける。大賀を抱えたまま戦うのは不利すぎる。

「だいじょうぶですかぁ」

 甘ったるいキャンディを口に含んだような声に高見は顔をあげた。

 大ムカデの背に乗ったきぃが笑っている。

「時間は稼ぎますっ」

「しかし」

「ちょっとお話をしたいのですぅ~。だからぁ、はやく逃げてくださぁい」

 きぃが笑って口にする言葉に高見は抗いがたい感覚に陥った。

 彼女の言葉をどうしてか否定できない。

 甘い清涼な香りが高見の意識をどんどん沈めていく。これが彼女の持つ力のせいだと、高見はまだ気づいていなかった。

「いいですよね?」

「・・・・・・わか、わかった。助かる。大賀を連れて私は一度後ろに」

「はい」

 高見が素早く走り出すのをきぃは見送ると、視線をマスターレギオンに向けた。

「私、あなたに聞きたいことがあるんです。あなたは私と同じものなんですかぁ」

「なにを言っている」

 冷静な表情でマスターレギオンの言い返すとちゃりときぃが笑った。


 むちゃと音がしたのにマスターレギオンを目を見開く。

 無数の蟲が音をたてて従者を食べている。小さなそれらは集まり、一つの意思のある生き物のようになって従者を足下から食べてしまっている。

「貴様は何をしている」

 静かに問いかけるマスターレギオンにきぃは小首を傾げた。

「あなたを知ろうとしているんですよ。うむうむ。炎のなかの戦争、いっぱい死んだんですね」

 笑って

「隊長」

「あなたを信じてます」

「この戦いを終わらせましょう」

「あなたを守ります」

「ああ、痛い。痛い。隊長、どうしたらいいんですか」

 そして――「黙れ」

「オレの命をあなたに託します」

「私の命をあなたに捧げます」

「どうか、次に」

「オレたちみたいな不平等なやつを作らないでください」

「私たちみたいなのを救ってください」

 それで――「黙れっ」

「あなたは吸ったのね。仲間の命をその身に受けたのね。ああ、けど、けどね」

 ほんとうは――「黙れっ!」

「やめてください。隊長、オレはいやだ」

「私はいやです。あなたに取り込まれたくないっ!」

 笑って――「黙れぇ!」

「血を吸うことが、命を手に入る衝動を満たされることが楽しくて、たまらなかったの? その衝動を満たすことが?」

「黙れ!」

 笑い声と咆哮が重なり合う。

 きぃは冷たい目でマスターレギオンを見つめる。

「なんだ、つまらない。お前、ジャームだろう? そんな顔して否定するなよ。しらけるだろう」

「っ、お前は」

 まだなにもされていないのに手負いの獣のように牙を剝くマスターレギオンにきぃは静かに微笑んだ。幼さはなく、いびつて、淫猥で、だらしない女のように。

「ジャームですよ」

 大ムカデが牙を剝いて、軋むように笑いあげる。

「お前が同じものなら受け止めてあげてもいいと思ったんだけど・・・・・・やっぱりだめですね。あなたはジャームだけど、ジャームじゃない」

 きぃは断言すると片腕をあげた。

「だから……消えろよ、化け物もどき」

 大ムカデが体をくねらせて、周囲にいる赤い従者たちを蹴散らし、マスターレギオンに向かう。

 それを止めたのは大盾だ。

 大盾を保つ女従者の肩を踏み台にして隻腕の従者が飛躍する。片手に持つ血の剣を大きく振り上げて、ムカデの頭にたたき込み、ムカデの体を足場にして流れるような動きで迫ってくる。

 きぃは隻腕と睨み合う。

「きぃ」

 悲鳴に近い声がきぃの意識を目覚めさせる。

 きぃの幼い体を後ろから抱き留めたのは椿だ。

 片腕に持つ杖を前に差し出し、隻腕が放つ赤い弾丸を一つ弾く。しかし、二撃目は防ぎようがなく、椿の左肩に直撃した。

「あ――っ!」

 血は、幸いにも出ていない。けれど確かに骨の砕ける音がしたのにきぃは瞠目する。

「椿さまっ!」

 きぃが悲鳴をあげ、自分を庇った椿を見上げた。

 苦痛に顔をしかめた椿は、しかし、深いため息とともにきぃの頭を撫でる。その何気ない動きにきぃは目をぱちぱちさせる。

 こんなときまで自分のことを気遣う椿はやっぱり、冬に咲く紅の花みたいに美しい。

「侘助っ、動けっ」

 椿の声にムカデが大きく身を震わせるのに、上に乗っていた隻腕の従者は素早く後ろにバックステップを踏み、大盾とマスターレギオンの元へと戻った。

 大ムカデに包まれるようにして立つ椿が凛とした声で命令する。

「侘助、お前はサポートにまわれ、きぃ。戦うぞ!」

「椿さま、けど、けど、私」

「余計なことを口にするな。集中力が切れる。あれを仕留める」

 きぃが何か反論する前に、

「またせっ」

 かすみとハマヌーンとして最速の力を使った高見が駆けつける。

「すまんな! 背は任せろ。椿殿」

 心強い声の声の仲間たちは先のきぃを見てない。騙しているようで心苦しいが椿はあえて良心をねじ伏せ、一番最後に駆け付けた者を睨んだ。

 血のように赤い髪をなびかせ、泣くような瞳で、戦場にやってきた――。

「お前は戦えるのか」

 椿の視線の先で、エージェントは一度震え、そして静かに頷き、顔をあげた。

 星が欲しいと強請る子供みたいな瞳で真っ直ぐに、黒い絶望色の瞳と対峙する。

「マスターレギオン、私はあなたを」

 それ以上は言葉にならなかった。

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