第11話 妖精ガラスの矢返しはありえない

「がははははは!!!」

 距離を隔てた都の門前で、フレデリックは割れ顎の顔をくしゃくしゃにして哄笑していた。深紫色の硝子の大弓騎の中、

「矢切れだな! ようし勝ったぜ!! これで一目千両の君を、ジュリアン様の元へお連れできる!」

 言寄貝で命じたあとすぐ出発したフレデリック。別の門まで馬で飛ばしてじぶんの弓騎に騎り、この門まで駆けつけた。妖精硝子から成る弓騎はそれぞれの騎士に固有の妖精の加護の力で動くため、他の騎士では動かせない。そのせいでじぶんの弓騎の場所へ寄らねばならず、遅れたが、

「二両じゃ最多でも二十四本ずつ、計四十八本の矢しか持てねえ。一分で六射するような速射の腕は見事だが、それじゃ五分もたたずに矢尽きるに決まってんだろ」

 嘲笑して、目前の勝利に向け、矢を放つ。

 フレデリックの周囲では、部下の騎士の大弓騎が既に数両、倒れてしまっている。

 矢傷によって妖精の力がガラスを循環せずに噴出してしまう現象で、弓騎は動けなくなる。

 一度に正確に多数の深い矢傷を与えて流出過多にする芸当を、千両騎士たちはやってのけていた。

 が、フレデリックたちは矢数の多さでそれをなしえる。

「『よく狙え!! 狙って当てるんだ!!』」

 怒鳴り、同時に手信号で騎士たちに命じた。残念ながら、手信号しか連絡手段がなかった。

 言寄貝は兄弟間でなければ音を伝達せず、兄弟の貝を採集するのは至難にして、飼育下で卵を孵す技術はまだ無い。

 騎士たちはフレデリックの指示に頷き、よく狙ってから放つ射へと変えた。

 風向きを加味し、仰角も調整しながら、しだいに敵に向かって矢筋が収束しはじめる。

 もう少しだ。

 ギャレットの持つ黒曜の盾が、こちらの矢傷を多数負って、維持不能になれば、次は本体に損害を刻める。

 フレデリックは確信する。もう反撃のできない敵。動けなくした金剛石と黒曜石の大弓騎に駆けよって首を掻き、騎士たちを引きずり出してひっ捕らえ、一目千両を保護する瞬間が、目前に迫っていた。帰れば、ジュリアン様はきっと大歓喜だ。思うと笑みがこぼれた。

「ん? 何してやがる」

 フレデリックは、自らも射ようと照準を付けていて、気づいた。

 透明と黒のガラスの巨人が、こちらの軍勢の放った矢を拾い始めた。

 フレデリックは笑い出す。

「ぐははははは! 馬鹿め。他の弓騎の矢なんぞ、拾っても使えるわけねえだろうが! そんな常識も知らんのか!」


「『ギャレットちゃん、使える矢、ありそう?』。あーあ、やらねばならないのですか。『はいはい、ありますよ』と。『赤茶まじりの緑。青混じりの灰緑。それから紫混じりの薄茶。以上三両の矢を頼みます』」

 ギャレットが答えるや否や、プロスペールの透明な大弓騎は、その色の矢を地面からかき集めはじめた。シュゼットは首を捻った。

「どういうことです?」

 ギャレットは、

「奥の手です。これだけはやりたくなかったのですが、背に腹は。……ふつう、弓騎は、他人には乗れません。乗り手の騎士から妖精の加護を譲られないかぎり、他人には励起できませんし、矢も使えないのです。……が」

 黒い大弓騎グウィネヴィアは、透明な弓騎ペトロニーユが一本ずつ差し出す矢を、弓に番えた。

 美しい構え。一幅の絵のように見えるだろう、とシュゼットは内にいてさえ想像できて、胸が高鳴った。

 濁った辛子色のガラスの矢が、不思議なことに、グウィネヴィアが弓に番えた瞬間、透明度も色も変化した。

 ふと気づくと、ギャレットの額に浮かんでいた優美な植物のような紋様が消え、別の紋が浮かび上がっていた。それもまた、優美な植物のような淡く光る紋様。

 流れるように引いて、放つグウィネヴィア。

 黒曜石のように澄んだ輝きとなって青い空を切り裂いていく矢。

 ギャレットは次々に、プロスペールが手順良く差し出す濁ったガラスの矢、暗い色のガラスの矢を受け取っては放ちはじめた。

「え? 加護を譲られなければ使えないといった敵の弓騎の矢が、使えています? えっ?えっ?」

 違う色の矢をつがえるたびに、その額に浮かんだ紋様が切り替わる。ギャレットの額が淡く明滅するたび、もとの色から輝く黒色へと変わって、鋭く空を駆けていく矢、矢、矢。

「不本意ながら。私には、励起権(ソヴレンティー)・コレクターという仇名がありまして」

 ギャレットは前方彼方の敵の群れを見据えたまま、暗い声だ。だが、次々に射る矢は敵に間違いなく吸い込まれていく。

 


 フレデリックは、矢が次々に飛来する事実に、恐慌した。

「矢返し! 矢返しだと!!? 何故だ。何故、サー・ギャレットは矢返しなど出来る!! 励起権はないはずだろう!! ありえん!! うわ!! うわぁぁぁぁぁ」

 次々に矢が的中し、味方の大弓騎たちが動けなくなる。フレデリックの深紫色の大弓騎も、箙を運ぶ小弓騎も、正確な射に順番に襲われた。

 騎士たちはうろたえ、パニックして逃げ出す者もいて、完全に大小の弓騎の隊は崩れた。それすら狙い撃ちに、ギャレットは変わらぬ正確さで射てくる。

「くそっ、何故だ!! バカな!! こんなことが!!」

 力を失って膝をつく、自らの大弓騎。頭をかきむしって、フレデリックは喚く。

「はっ、そうか! 『ソヴレンティー・コレクター』!! ギャレット卿の二つ名は、真実、こういうことなのか!! このっ、最悪の女たらしめ!!」

 思い出す。大王の宮廷で、あるいは公爵や伯爵の宮殿での宴の夕べや、騎射大会の祭りの真昼。そこにはたいてい、貴婦人との駆け引きに興じる若い騎士たちがいるものだが、中でも騎士ギャレットは、ひときわ多くの浮名を流していた。


「『済みました。逃げましょう』『うん!』 無邪気な笑みですね、まったく」

 勝ったのに不本意そうで、げんなりしているギャレット。

 だがともかく、二両は再び逃走に入った。

 森を走り抜け、山中の街道へ入って走り続ける。

 シュゼットは、またも、ぽかんとしていた。絶望からの鮮やかな逆転。後半はギャレット一人だけで、大弓騎も小弓騎も倒してしまった。なんという集中力と、射の腕。

 後ろで広大な大王都が遠のき、丘の影に隠れて見えなくなっても、シュゼットはまだ惚けていた。

「お疲れでしょうが、一目の君、もう少しご辛抱を。距離を稼がなければ」

「あ、いえ、それは大丈夫なのですが。ぼうっとしてしまうのは――」

「『助かったよ、ギャレットちゃん!』ですか。『ですから、ちゃん呼びはやめてください、プロスペール』」

 巨躯で白髪の優男は、共に走りながら、透明なガラスの中でにこにこしている。反対にギャレットはため息だ。

「あれを褒められても、困るというのです」

「でも、なんて鮮やかだったことか!! 『ソヴレンティー・コレクター』とは、凄いのですね!!」

「それは美称ではありませんので」

 言われて、シュゼットは、さあっと青ざめる。

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