ホセという男
学校へ繋がる緑道はレンガで軽く舗装されているが、この民家へ通じる道は、獣道のようだ。
「すみません、ちょっとお聞きしたいのですが」
畑は俺とノラのいる道よりも、一段高くなっている。同じ作物がたくさん植わっている訳ではなく、様々な種類の作物が少しずつ育てられている感じの畑だ。近づいていくと、畑仕事をしているのは六〇代ほどの男性だということがわかった。彼は俺の声に気付いていないのか、屈み込んだまま顔を上げない。
「すみません、警察です。話をお聞きしたいのですが」
先程よりも二段階くらい大きな声を出すと、男性はようやく顔を上げ、体を起こした。日に焼けた皺の入った顔を顰め、いぶかしむような眼差しを向けられる。
俺は胸ポケットから警察手帳を出して示してみせた。
「警察がこんなところになんの用だ」
口を開いた男性から発せられた声は、雷のような低い響きを持っている。ただ問いかけられただけなのだが、なんだか怒られているようだ。小さくなったノラは、俺の後ろにそっと隠れていた。
「先日この近くで誘拐事件が発生しまして、捜査のために話をお聞かせ願えませんか」
「誘拐?」
「はい、五日前の二月七日の朝に事件が起きました。この女の子を見ませんでしたか?」
ミオリから借りたリリの写真を差し出すと、男性は土で汚れた手を、ズボンで軽く拭ってから受け取った。老眼なのか、目を眇めながら腕を伸ばして写真をじっと見る。
「ああ、なんだ。リリちゃんじゃないか」
把握した、というように男性が返してきた写真をしまいながら目を瞬く。
「リリさんをご存知ですか?」
「田舎っていうのは、お前さんが思うより狭いものよ」
どうやら俺が余所者だということもわかっているようだ。
「二月七日の朝はどちらにいらっしゃいましたか?」
「ここで畑仕事しとったと思うが」
「リリさんが緑道を通ったかどうかはわかりますか?」
問いかけながら、畑の方から緑道へと振り向いて見る。木々が途切れているおかげで、畑からは緑道を誰が通ったかは見えるはずだ。
「さてな。下向いてたから、わからんわ」
返事はそっけないものだった。通ったにしろ、通らなかったにしろ、情報がもらえたら助かったのだが。
「失礼ですが、名前をお聞きしてもよろしいですか?」
手帳とペンを取り出し問いかけると、男性は胡乱げにぎゅっと眉を寄せた。
「その捜査とやらに俺の名前が必要か?」
拒絶を滲ませるその態度に、俺の中の何かが引っかかった。男性の服装や手指の様子などを隅々まで観察する。そこで俺はふと、男性がジャケットの内側に着ているシャツに、赤黒い染みを見つけた。土の汚れに紛れていたが、あれはまさか血痕ではないだろうか。
その警戒心を表に出さないように、変わらず笑顔を張り付かせる。
「あくまで情報をいただいた、という記録のためですよ」
「ホセだ」
「ホセさん。ところで、そのシャツの染みはどうかなさいましたか?」
穏やかな口調のまま問いかけると、ホセは視線を落とし、シャツを見て、自分でもその染みの存在に気付いたらしい。
「ああ、これは鶏を捌いた時についたんだろう……お前さん、俺のことを疑っとるのか?」
問いかけを返された。一瞬の逡巡の後、俺は素直に頷いた。
「ええ、なにせここは、リリさんの誘拐にあまりにも好都合な立地なものでして」
はっきりとそう口にした俺を咎めるように、後ろに立っていたノラが俺のコートを軽く引っ張っている。
ホセがどう反応するかを見ていたが、彼は怒る様子もなく、溜息を一つつくと踵を返した。
「あ、ちょっとホセさん」
「ついて来い。家の中を見せちゃる」
招き入れられたホセの家は、平屋の木造建築だった。家の中は木と、埃っぽい匂いが混ざっていて、建物の古さとホセの生活を感じる。
家の奥から、俺たちより一足先に家に戻っていたホセが動いている音が響いてくる。どうやら、家中の引き戸を開け放って回っているらしい。
「好きに調べるといい。隠すことは何もありゃせん」
玄関まで戻ってきたホセに言われ、俺は言葉に甘えて、家の中をくまなく見て回ることにした。ここまでされては当然だろうが、いたって普通の、男の一人暮らしの家という様子だ。リリの姿はおろか、少女がいたかもしれない、という痕跡さえもない。
しかし俺はそうして家の中を見ていて、事件とは関係ないところで違和感を覚えていた。一体何に自分が引っかかっているのかわからないままだったが、その原因を、キッチンへ入った時に気づく。
この家には、一般家庭にはあって然るべき電気製品が、一つたりとも存在していないのだ。テレビ、電話、電子レンジ、炊飯器、冷蔵庫等の生活を便利にするものは元より、当たり前に天井から下がっているはずの照明さえもない。今は昼間だから良いが、夜になったら真っ暗になるのではないだろうか。
俺は疑問を感じながら、ホセが座布団に座って休憩している居間へと戻る。彼は暖を取るためか、火鉢の中でシィカスの枝を燃やしていた。
シィカスは葉や枝、花、実に至るまで良く燃え、その炎はよく保つので良質な燃料になるのだと聞いたことがある。
「家の中まで確認させていただき、ありがとうございました」
「気は済んだかい」
「はい……それで、事件とは関係がないことを一つお聞きしても宜しいでしょうか」
ホセの瞳が俺の方を向く。それを構わないという返事だと受け取って、言葉を続ける。あくまでも純粋な興味だ。
「家の中のどこにも電気製品が一切ないのですが、どうしてですか?」
問いを聞き、ホセは答えを考える様子もなくあっけなく答えた。
「電気は神様の力だからに決まっとるだろう」
決まりきったことを、何故わざわざ尋ねるのかという気配さえも感じて。
「神様の力?」
突拍子もない返事に、思わず復唱する。そして同時に、あ、これは触れてはいけない人だったな、などという失礼極まりない感想を抱く。
ヤマ国の八〇パーセントの人間が無宗教だ。残りの二〇パーセントのうちの大半が、潜神教という宗教を信仰している。
「そうだ。電気は神様の力よ、それをちっぽけな人間が便利に使おうだなんて、おこがましいにも程があるわ。人は神様に頼らんと生きていかにゃならん」
話しているうちに感情が高ぶってきたようで、ホセの元々大きかった声は、さらにその迫力を増していく。俺の後ろについてきていたノラは、益々小さくなっている。
潜神教についてはあまり詳しくないが、一般常識としての知識はある。人々の中に神様は潜んでいるので、善い行いも悪い行いもすべて見られていますよ、というのを教義とする宗教だ。電気が神の力などという話は聞いたことがない。つまり何か新興宗教の類か、はたまたホセのみの信じるところのものか。
「人間が神様から、どうやって電気を搾り取っているか、お前さん知っとるか?」
「いえ……」
「両手両足に剣のような電極を刺して磔にする。そして力を吸い取っていくんだ。神様は死なないからな、永劫責め苦を味わわにゃならん。まったく非道い話じゃあないか?」
どう返事をするべきか、否、どうやってこの場から離れるべきかと逡巡したが、お構いなしにホセの話は続いた。
「お前さんが捜査しとる誘拐とやらだって、あれだろう、いつもの神隠しだろうが」
「誘拐についてご存知なんですか?」
「毎年あるんだ、この辺りで知らん者はおらんだろうよ。神隠しは神様の悪戯よ、そのうち帰ってくるから、探さんでもええ」
まったく馬鹿らしい話だ。リリの失踪が神隠しなのだとしたら、あの身代金要求の電話は、誰からかかってきたものだというのか。身代金を欲しがる神の話など、聞いたこともない。
「興味深いお話を、どうもありがとうございました。さ、ノラ、失礼しよう」
話の区切りをつけ、俺はノラを伴ってそそくさと家から出る。
と、そんな俺たちの背中に、ホセが最後に言葉を投げかけてきた。
「神様に手出ししようとすると、痛い目にあうぞ」
ホセに背をむけているのをいいことに、俺は思わず笑ってしまっていた。あまりにも馬鹿馬鹿しい。
横に並んだ、先程から黙りこくっているノラの表情を見る。よっぽどホセの大声が恐ろしかったのか、彼女は青白い顔をしていた。
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