第5穴 惨めな嘘

 同居を始めてから3か月後、土建屋の叔父さんの手伝いをしながら、仕事につながるような人を紹介してもらったりして、事業の方向性を決めた亮一は、庭の納屋を少し直して事務所を作った。

 まだまだ手探りで、内装の下請けの下請けや、商店のチラシのデザインなど、小さな仕事を何でも請け負ったが、収入に結び付くにはまだまだだった。本当に仕事が取れない月は叔父さんの手伝いに行かせてもらうような、自転車操業のような状態だった。彩也子は、残りのお惣菜を少しもらえたりすれば家計が助かると思い、近所のお弁当屋でパートを始めた。お弁当屋の残りものだから、どうしても揚げ物や脂っこいものが多くなり、義母に、

「若い人はこういうのがいいんだもんねぇ」なんて言われたりしたが、

「亮一さん、働き盛りだからがっつり食べたいって言うんですよ」などとさりげなく言い返したりしながら、なんとかやっていた。


 そんなある日、彩也子の母から急に連絡が来た。

「そっちはどう?だいぶ落ち着いた?一度、遊びに行ってもいいかしら?」

 彩也子の母には、亮一が前の仕事を辞めたことも自分で仕事を始めたことも話していなかった。単に、亮一の訪問販売のエリアが地元の方になったから実家に引っ越したと思っている彩也子の母に、現状を話せるわけがなかった。しかも、亮一の実家に住むと言っても二世帯住宅にリフォームしてくれたから大丈夫、と言ってしまっていた。そこへ遊びに来たいと言う母に来るなとも言えず、仕事があるからなかなか予定が合わないというふりをして引き伸ばしていたが、それも限界がきた。ついに彩也子の母が訪ねてくることになった。


 彩也子は、母と義母と亮一と食卓を囲んでいる絵を想像しただけで怖くなり、ちょっと家に寄るだけの作戦を考えついた。

「せっかくこっちの方に来るなら、私も休みもらったし、温泉でも行かない?」

 それなのに、彩也子の母は、

「平日だし、亮一さんもお仕事あるでしょうから、彩也子だけ泊りででかけるのも悪いわよ」と、家に泊まることになってしまった。


 彩也子の母の到着する時間に、亮一と車で迎えに行った。

「遠くまで、お疲れさまでした~」

 愛想よく車から降りて出迎えた亮一に、

「あら、亮一さん。ありがとう。今日、お仕事は?」

(まずい・・・)

 うっかりいつもの調子で、時間に融通が利く亮一に運転を頼んでしまったのだ。

「あ、あぁ。今日はお母さんが来るからって、わざわざ午後は休んでくれたの」

 彩也子がうまく機転をきかせた。


 家に着いて、2階に案内すると、さっそく母のチェックが入った。

「玄関は一緒なのね。お風呂は?」

「下にある」

「まあ、水回りは2階に持ってくるの大変よね」

「そ、そうなのよ」

「ご飯はどうしてるの?」

「夜だけ一緒かな」

「彩也子が支度するの?」

「あー、まぁ、私もお店のお惣菜持って帰ってくるし、お義母さんもなんか作って持ってきてくれたりするし、そんなたいしたことしてないし」

 同居っぽい作りの家で彩也子がこき使われているとでも想像したのだろうか、お弁当屋でパートしていることも気に入らない彩也子の母は、口をへの字に曲げておもしろくなさそうな顔をして、

「ふーん・・・」とだけ言った。


 その日の夜は、4人で近所のお寿司屋さんに行った。

 あまり亮一の仕事のことや新居のことを詳しく聞かれては困るので、彩也子は努めて母や父の近況を聞いたり、子どもの頃の思い出話をさせたりして乗り切った。

 彩也子の母が亮一が自分で仕事を始めたのを知らないことを知らない亮一の母が「しばらくは大変だと思うけど、若いから何でもやってみないとね」などと言い、お酒が進んだ亮一も調子に乗って、

「今、新しいお客さんと色んな企画始めたところなんで、これから頑張りますよ!」と言い出した時は、思わずむせ返りわき腹を小突いたが、彩也子の母も、訪問販売の会社の話だと思って「頑張ってくださいね」と小さく拍手を送っていたので、なんとかバレずに済んだ。


 寝る前になって、彩也子は気付いた。

「ねえ。明日、どうするの?庭の仕事場に行くわけにいかないでしょ」

「あ、そっか。まあ適当にどっか行ってるよ」

「えぇ~、大丈夫?」

「なんとかなるって」


 翌朝、7時前に彩也子の母が起きてきた。

「亮一さん、意外と出る時間遅いのね」

「今日は、直接お客さんのところなので」

 亮一もうまくかわしていたが、彩也子は昨夜のようなうっかり発言をしやしないかとひやひやしていた。

 8時前になって、亮一がスーツに着替えてきたのを見て彩也子はギョッとした。亮一のスーツ姿を見たのは一年ぶりくらいだったからだ。ネクタイまで締めている。

「じゃ、お義母さん、行ってきます。ゆっくりしていって下さい」

「ごくろうさま。いってらっしゃい」

 彩也子は「あ、ちょっと見送ってくるね」と玄関まで着いていくと、亮一の母まで「お前、今日はどうしたんだい?」などと言ってくるから、

「珍しいですよね~」と小声でかわしながら(2階に聞こえるから黙ってて~)と義母に念を送り、亮一の耳元で囁いた。

「そんな恰好して、どこいくのよ」

「お義母さん、昼過ぎには帰るんだろ?そのくらいまで適当に時間潰してるよ」

 亮一は、2階にいる彩也子の母に声をかけるように大きな声で「いってきまーす!」と言うと、玄関を出て行った。

「いってらっしゃーい・・・(どこへ?)」

 彩也子は、とりあえず一仕事終えて大きく息を吐いた。


 午後に人と会う約束があるからと、彩也子の母は午前中には帰って行った。


 その日の夜、亮一が言った。

「うまくいったね。お義母さん、何も気付いてなかったでしょ」

 彩也子は、ごまかし疲れたのと両方の母に気を遣って疲れたのとでぐったりしていたのに、のんきな亮一にカチンときた。

(誰のせいでこんなくだらないことしなきゃなんないと思ってるのよ!)

 でも、疲れすぎていて言葉にするのも面倒になり、彩也子は「おやすみ」とだけ言って、頭から布団をかぶった。


 今朝の亮一は、家族にリストラされたことを言い出せないで公園に通っているおじさんみたいで嫌だった。

 いくら苦手な母親にでも、こんな嘘をついて出社するふりして出かけていく亮一を見送った自分が、惨めでならなかった。それをうまくやれたと喜んでる亮一にも呆れていた。嘘までついて自分の仕事を堂々と言えない状況を、恥ずかしいと思ってほしかった。

 悔しくて惨めで涙が溢れたが、彩也子の悲しみは、亮一にはまったく届いていなかった。


 蟻の穴が、一回り大きくなった。






 


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