第十三話 初勝利
唐突に目が覚める。どれ程の時間が過ぎたのか? それとも、まだあの戦いからそれ程の時間は経っていないのか?
感覚的にはまだ戦いの余韻は残っている。なのにどこか現実味が無い。長い夢でも見ていたような錯覚さえ覚える。その証拠に俺が今いる場所はベッドの上。見知らぬ天井が視線の先にあった。
「……痛っつつ……」
だが、身体の痛みが夢ではなかった事を知らせる。腕や胴には真新しい包帯代わりの布が巻き付けられていた。
「そう言えば、そうか」
確か、瞼を切って血が目に入っていた。治療だけではなく御丁寧に眼帯までされている。右目しか使えない状況である事を今更ながらに思い出す。
視野の狭い右目だけの状態でぐるりと周囲を見回すと、見覚えがある場所だった。つんと鼻をつく薬品の臭い。父の治療の際に使ったここコタコタの町での剣闘士宿舎にある医務室の一角である。ニトラにあるそれよりはベッドの数が多かったり、設備は充実しているようだが、基本的には前世の保健室とそうは変わらない。
「こんな大怪我なら夢の方が良かったかもしれないな」
そんな事を言いながら、ゴロリと向きを変える。背中にある突っ張ったような感触が何だかむず痒い。追い討ちを掛けるよう、夢ではない事を知らせる腹の虫さえ鳴りだした。
「まだ手にあの時の感触が残っているというのに、腹だけは減るんだな。本当、俺って奴はどうしようもない」
自嘲気味に独りごちてベッドから出ようとしたその時、
「おっ、起きたか」
と腹の突き出た中年オヤジが姿を現す。聖職者、酔っ払い、ギャンブルマスター、そして凄腕の外科医と多くの顔を持つジャンである。
「あっ、治療ありがとうございました」
ベッドから降りて礼を言おうとしたが、ジャンから「そのままで良い」と言われる。まだ安静にしていないといけないようだ。それでも横になった状態では話もしづらいので、何とか上半身は起こす事にした。
「経過は順調そうだな。だからと言って無理はするなよ。まだ数日は安静にするように」
俺の姿を見ながら安堵した表情で話す。顔に少し疲れが出ている。意外と大変な治療だったのかもしれない。
「リーダーそれよりも教えて欲しいのですが、俺の試合、結果はどうなりました?」
「デリック、そんな事よりもまずは自分の身体の事を……ああ、そうだな。デリックにとっては初勝利だったか」
俺の不躾な質問に最初は呆れていたが、急に何かを思い出したかのように結果を教えてくれる。淡々とした言い方だったので、何だか肩透かしを喰らってしまった。
「……良かった。リーダー、ありがとうございます」
夢ではないという確信はあったが、どこか不安な気持ちは残っていた。誰かにそれを払拭してもらいたかった。ジャンにもその辺の気持ちは分かるのだろう。もう少しでいつもの説教を食らいそうではあったが。
本来なら初勝利という事で、大声を出して喜ぶべきだとは思うが、今回は色々な事があり、それよりもほっとしたいう気持ちが大きい。ようやく肩の荷が下りた気分である。
「何だ。もっと喜ぶかと思ったんだがな」
「嬉しいのは嬉しいんですよ。ただ、俺の勝ちよりも厄介な問題が片付いたのが大きいですね」
そうだよな。賭け札は渡しておいたし、申請書類も後は提出するだけだから、もう俺がいなくても大丈夫か。もう心配する事は何も無い。
一つ息を吐いてぐったりとした所で、
「事情を詮索するつもりはないが、程々にしておいた方が良いぞ。それはさて置き、私の目に狂いはなかったな」
今にもサムズアップしそうな自信たっぷりの表情での相変わらずの一言であった。
「たっははははっ……」
結果良ければ全て良しとは言うが、今回の元凶がこれである。はっきり言って「お前が言うな」の一言。とは言え、俺も助けられた所はあるので文句をいう事もできない。苦笑するのが精一杯だった。
「今回は仕方ないが、次からはもう少し軽い怪我で済ますように」
意外な事に俺の怪我は結構重症だった。五針も縫うような手術を行ったと教えてくれる。特に背中からの出血が酷かったとの事である。あの時はアドレナリン全開で痛みを感じる事はなかったから、それ程の状態になっていたとは思わなかった。
「いや、それは無理があるでしょう。俺も怪我したくてしている訳じゃないですから。相手に言って下さい……っと、そうだった。今回の対戦相手、デビュー戦の相手とは思えない強さだったんですが、いつもこうなのでしょうか?」
「そんな事はないぞ……」
不毛な返しの後、思い出したように今回の件をジャンに尋ねる。先輩からは弱い相手だと聞いていたのに、実際にはそうではなかった。これが単なる手違いだったのか、それとも今回が普通なのか、知っておく必要があると思ったからだ。
そこから顛末を聞く事になるが……結論から言えば、やはり俺の対戦相手はコタコタの団体の手違いだった。どうやら、欠場をした剣闘士が本来戦う相手だったのが今回の敵だったらしい。
何でもそれに気付いたのが試合が始まる直前だったとの事で、代わりのゴブリンを用意する準備も全くできておらず、強行するしかなかったと教えてくれる。要はミスと気付いていても何もしなかったという事である。はた迷惑な事この上ない。
因みに今回のような手違いは、事業運営のガイドラインでは想定されてはいないが、もし俺が不服を申し立てていれば試合自体は無効にはなるそうだが、賭けの方は不戦敗扱いとなり賭け金は返ってこないのだとか。いわゆる没収試合で親の総取りとなる。平たく言えば例えミスであってもその後の処理が面倒なので、金は返したくないらしい。何となくそんな気はしていた。
今回の俺はかなりの無茶をしたと思うが、結果的に判断を間違っていなかった事に少し嬉しく思っている。あの時怒って試合をボイコットしていれば、姉さんから預かった金は全て泡となって消えていた事になる。本当に良かった。
ただ、俺自体はそれで良くてもウチの一座的にはそれで良い訳がない。こちらの懐事情はさて置き、この度の遠征はコタコタの団体から招かれてやって来たのが始まりである。なのにこの仕打ち。笑って済ます訳にはいかない。
当然、先輩達は猛抗議する。曰く「新人を殺すつもりだったのか」と。運営の不手際が今回の原因なので、結局は向こうが折れるしかなかったらしい。理由はとても簡単で、こんな事をしているのが他の団体に知れ渡ってしまえば、他団体がコタコタの町に助っ人としてやって来なくなるからである。
剣闘士目線で見ると、今回の件は相当悪質に映ったという事だ。さもありなん。
そういう訳で先輩達が勝ち取った成果が、俺の試合のファイトマネーと払い戻し金の増額である。特に払い戻し金は凄い。デビュー戦という事で本来は一〇倍のオッズだが、それを二〇倍まで上げてくれた。まさに太っ腹。先輩達は皆ニコニコ顔である。
「えっーと、もしかして皆俺の勝ちに賭けたんですか?」
「分かりきった事を聞くな。当然私もデリックに賭けたぞ。全ては神の導きの賜物だ」
「俺の勝敗よりそっちの方が凄くないですか?」
どうやら我が団体では伝統的にそういうものらしい。デビュー戦の時は皆がこうするのだとか。応援の意味もあるだろう。それに勝てば豪遊が待っている。俺は怪我のために参加できないが、今日はきっと朝まで飲むのは間違いない。
そして目の前のジャン。これから皆で宴会の筈なのに俺に構っていて良いのだろうか? ……酒には目がない人間が目の前の宴会をスルーできる。一体俺の試合でどれだけ儲けたのか恐ろしくなった。この余裕の態度を見れば、宴会に潜り込んで他人の酒をガブ飲みしなくても良いくらいに勝ったのが分かる。
俺のデビュー戦は全ては彼が裏で糸を引いた事から始まった。さすがに途中のアクシデントまでは予想できなかっただろうが、それでも結果はこの上ない最上の形。ギャンブルマスターの面目躍如と言える。今、この部屋に俺がいなければ高笑いが止まらないかもしれない。
「おっ、デリック、目が覚めたようだな」
ジャンから顛末を聞いている最中、タイミング良く一座の同期であるホセがパンとスープを持ってきてくれた。
コイツは俺とほぼ同じ時期に一座に入った同僚である。俺と違ってここには裏方専門で入ってきたが、年も近く同じ奴隷という境遇で仲が良い。女好きのお調子者ではあるが、要領が良く誰とでも仲良くなれる。どうしてここにいるのか分からない世渡り上手である。
「ありがとうホセ。丁度腹が減っていたんだ。助かる」
奪い取るようにトレイを受け取り、がっつくように貪り食らう。まだまだ身体に痛みは残るが食欲は別。俺の姿を見る二人はただ苦笑をしていた。
「しっかし、今回は派手に怪我したな。俺がデリックを運んでやったのだから感謝しろよ。あんまり俺の手を煩わせるなよ」
「世話掛けたな。これからも今日みたいな事があったら頼むぞ」
「そういう意味で言ったんじゃねぇよ! 『次は大怪我をするな』って意味だ! 分かったか!」
「……悪い」
ホセの剣幕に借りてきた猫のような態度で詫びを入れると途端に笑い声が出てくる。先にジャンからも言われたので、心配を掛けたのだと思い大人しくしたのが逆に二人の笑いのツボに入ったようだ。
「デリックにはそういうのは似合わねぇよ」
「そうだな。さっきの私への減らず口は何だったんだ?」
「えっ? えぇー」
和やかな雰囲気が場を染める。何時間か前にしていた命のやり取りが嘘じゃないのかと思う程の空気だ。けれども、今こうしてのんびりと食事ができるのも、俺が必死で戦って勝ったからこそだと思う。当たり前の話だが、俺が試合に負けていれば、そして俺が死んでいたならこうはならなかったろう。
くだらない事で笑い合い、そして明日を見ない。今が良ければそれで良い。明日には明日の風が吹く。
普通に考えれば馬鹿げているの一言である。労災も補償も無い。身体だけが資本の世界。
けれども、この一座に来て、そういうのも悪くないんじゃないかと思うようになってしまった。朱に交われば赤くなると言うべきか。それとも俺自身も同じ人種だったと言うべきか。
色々と今の境遇に思う所はあるが、とりあえず今言える事がある。
「……ホセ」
「ん? 何だ?」
「足りない。おかわり」
全てが終わった後のメシは格別に美味しい。
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