第十一話 ファイトグローブ

 浅い攻撃であった事が幸運というより他ない。


 今、ゴブリンの強烈なストレートパンチを間抜け面で喰らう。鼻先にはまだその時の感触がヒリヒリと残っていた。


「まだだ!」


 頭を振りながら少しよろめく相手の姿に、こちらにまだ分があると判断。再度、距離を詰めながらも棍棒を大きく振り被る。


「ハッ!」


 今度は全体重を乗せた更なる強烈な一撃。さっきの奇襲とは風切音が違う。今思えば、あの時は緊張で肩に力が入っていた。今度こそ正真正銘の必殺の一撃──


 ──になる筈だった。


 結果は残念な事に俺の予想を裏切り、その太い腕にしっかりとガードされてしまう。


 得意げな顔で俺の事を見下ろす緑の異形。少し上がった口角は「お前のする事はお見通しだ」と言わんばかりだ。


 続けざまに右の拳が飛んでくる。ややフック気味の大振りだったので、簡単にかわせるだろうと思っていたら、


「なっ!」


 瞼を掠め、何とかギリギリというのが精一杯だった。


 バックステップをして急いで距離を取る。


 "ようやく気付いた"

 "どうしてパンチが届くんだ"

 "あの長い腕だ"

 "リーチはコッチの方が上だろ"

 "あれだけ腕が長ければ攻撃範囲は今の俺とほぼ変わらないんだ"


 肩で息をしているのが分かる。攻撃自体にまだ良いのは喰らっていないが、思った以上に精神が消耗した。デビュー戦としての緊張がこうも負担になっていたとは。これでは長く持ちそうにない。


 少しでも消耗を抑えようと必死で息を整えていく。的を絞らせないよう円を描くように歩を進める。その傍ら、絡まっていた思考がようやく一本の線として繋がった。


 つまり、この試合に限っては得物を持つ事は間合い的なアドバンテージにならないという悲しい現実である。


 その考えに至った時、突然脚に震えがやってくる。これまでは得物のリーチの差を生かして「懐に入られないようにすれば良い」という考えで戦っていた。しかし、実際には俺の攻撃の届く距離は敵の攻撃範囲という事を意味する。


 勿論、得物の先端で標的を捉えるなら話は別だろう。だが、その考えは野球のバットと同じで、そんな事をしてもファールボールしか打てない。ホームランを飛ばすためにはしっかりとミートポイントで打つ必要がある。


 結局、俺はゴブリンと同じ間合いで打ち合わなければならず、一撃でも良いのを喰らってしまうと簡単にふっ飛ばされるという事実だけが残った。


「どうすりゃ良いんだよ。一体」


 その上で、


 (問題) こちらの攻撃が全く通用しません。どうしますか?


 1.威力の高い攻撃を行なう。

 2.より強力な武器に変更する。

 3.降参する。

 4.とりあえず踊る。

 5.別の手段を行使する。


 ……詰んだ。まだ、俺の一撃に決定力があったのならやりようはある。だが、どう見てもそれは無い。全く役に立たなかったとは言わないが、奇襲攻撃がここまで効いていないとは思わなかった。


 普通ならこういった時に選択する行動はヒットアンドウェイになるが、今現在の俺の力で相手の動きを止める自信がない。相打ち覚悟をされた瞬間に終了となる。


 そういった意味で1.は現時点では現実的ではない。隙がデカ過ぎるので出すのは相手を弱らせてからとなる。スペ〇ウム光線と同じだ。2.に付いては、今の俺で扱えるそんな都合の良い物があれば最初から使っている。ロ〇の剣は俺のようなチンピラには手にする事のできない代物である。


 だからと言って、3.だけは絶対に選択するつもりはないが……


 威勢の良いダミ声で俺へのヤジが間断なく飛んでくる。気にしないようにはしようと思っていても、こういう時だけは無性に耳に残る。焦れば焦るほど、心がかき乱されてしまう。


「ん?」


 こちらから手を出さない事に焦れたのか今度は向こうから仕掛けてきた。


 ビビッている余裕は無い。そんなものは全て後回し。短い脚で大きな音を立てながら近付いてくる巨体から目を逸らさず、無理矢理心の中で中指を立て「Fuck!」と叫ぶ。右腕を振り被り「今からこれで攻撃しますよ」という御丁寧な予備動作に「当たらなければどうという事はない」と小さな勇気を奮い立たせる。


 ──相手が踏み込んだ瞬間、左へのショートステップで攻撃を逃れる。


 車は急に止まれない。そのまま空を切る相手の渾身の一撃。力一杯の空振りにバランスを崩し、身体が少し前につんのめる。俺はそのままゴブリンの横に回るように移動。死角を取る事ができた。


 ここで一気に反撃に転じようと思ったが、先程の決定力不足が頭をよぎり、より効果的な手段を講じるべく更に背後を取るように歩を進める。おあつらえ向きに向こうは俺を見失ったらしく、首を左右に振りキョロキョロとしていた。


 思いがけない形で実現した5.の選択肢。奇襲攻撃が通じないなら今度は不意打ちを狙う。背後から後頭部を痛打すれば、幾ら俺が非力でもかなりのダメージが与えられる筈だ。


 俺の行動を見てか観客席がざわめく。「ここで騒いだら折角の不意打ちが台無しになるだろうが」と舌打ちをするが、折角のチャンスを逃す訳にはいかない。少しでも足音を殺して近付き、仰け反らすように棍棒を大きく振り被る。


 ──だが、


「ウガアァァーー!」


 腹に響くかのような突然の咆哮が上がり、コブリンが反時計回りで大きく身体を旋回させてくる。視界の先に見えるのは握り込んだ右拳。旋回の遠心力を利用して、勢いを付けた攻撃を出してくるつもりだ。


「マ、マズイ」


 一瞬の躊躇いが形勢を逆転させる。予想外の不快な声に身体が萎縮し、動きが鈍ってしまっていた。今、ここで得物を目一杯振り下ろしても、俺の力では相手の動きを止められない可能性が高い。最悪な事に数瞬後の未来にふっ飛ばされるイメージが今頭をよぎる。それは、KO負けを意味するイメージ。


 なら、俺の選択は──


 カラン


 ──直感に従い、自らの攻撃を諦め、防御に徹する事だった。


 咄嗟に得意のピーカブーガードを作り、重心を前に傾ける。攻撃の威力が完全に乗る前にそれを受け、少しでも威力を殺すしかない。


「痛ぅ……」


 たった一撃でこれかよ。


 会場にバシンという音が響き渡る。一瞬骨が折れたかと思うような激痛と衝撃が両腕に伝わってきた。今も痛みが全く引かないし、痺れも取れない。もしこれで、腕に手甲(布を巻き付けて代用)をしていなかったらと思うとぞっとする。

 

「ガアァァーー!」


 更にはここを勝負所と見たのか、ゴブリンが逆の拳を振りかざして攻め立ててくる。


 左右のラッシュ。ガードごと俺を叩き潰そうとしているのだろう。さっきの振り返りの一撃を防御した後、咄嗟に間を取るべく後ろに下がっていたのだが、それに合わせるように大股で距離を詰めながら攻撃を繰り出してきた。


 それなら今度はポイントを後ろにずらして攻撃を受ける。相手の攻撃に合わせて後ろに下がり、いわゆる浅い攻撃を意図的に作り出す形。これにより、効果を半減させる。


 ゴブリンの怒涛の攻撃に客席は大いに盛り上がっていく。観客もこれで勝負が決まると見ているのだろう。下品な口笛を吹き、歓声を上げ、檄を飛ばす。


 現状の俺。得物は地面に落とし反撃の術は無い。加えて防戦一方。今も間断なく腕を殴りつけられ、徐々に感覚がなくなってきた。このままの状態が続けば、威力を殺しているとは言え、程なく腕が使い物にならなくなるのは分かっている。


 その上、最悪な事に左眼の視界が悪くなってきた。さっき瞼を掠った所から、血が滲んで垂れてきているのだろう。このまま行けば左眼は使いものにならなくなる。


 何となくこの局面を凌ぎ、相手の攻撃疲れが出れば逆転のチャンスが見えてくるのではないかと思っていたのだが……向こうの疲労よりも先に俺の方が潰れそうだ。


 しかし、そんな未来を受け入れる必要はない。まだ何か良い手があるのではないか? 5.を実現するには何が必要なのか。まだヒントがどこかに隠れているかも知れない、とガードの隙間から必死で観察していく。


 ……ん? コイツ勃起してやがる。思いっきりテントを張っているな。こんな時に何考えてんだ。……と、そういえばあの匂い袋がゴブリンを興奮させるとか言っていたな。それでこんな風になっているのか。


 そういう事か。このジャコウの様な匂いの「興奮させ戦闘状態にさせる」という意味を今理解する。だから、背後を取っても意味無かったという事か。……いや、待てよ。もし、この匂いのお陰でこの連続攻撃が続いてるのだとすれば……。


 そんな時、ずっと煩わしく感じていた俺へのヤジに妙に引っかかるものがあった。


「へいへい、どうした! もう後が無いぞ!」


 ──カチリとパズルのピースがはめ込まれた感覚を覚える。 


 ははっ。ありがとうよ。アンタの言葉、しっかりと受け取ったぜ。


 俺は今、闘技場の中で戦っている。その大きさ約十メートル。闘技場と客席との間には石造りの強固な壁がある。そう。強固な壁があるんだ。


「ファイトグローブ!」


 師匠やジャンから役に立たないと駄目出しをされた俺の唯一の魔法、強化の魔法。それを発現させるために意識を集中して、魔力を右手に纏わりつかせる。


 掛け声自体には特に意味はない。よりイメージし易いようにするちょっとした工夫である。徐々に淡いブルーの光が右手に集まっていく。


 ──もし、この匂いのお陰で左右の連続攻撃が続いてるのだとすれば、


 ──より俺への執着が増し、周りが見えなくなって微妙な変化には気付かない。


 これまでよりも後ろに下がる歩幅を少し大きくし、攻撃を更に大振りするよう誘導する。


 当然そんな事をしても表面上は何も変わらない。何事もなかったかのようにパンチの連続攻撃は続く。だが、俺だけは気付いていた。数発打った後、途端にパンチを繰り出すまでの間隔が目に見えて長くなった事を。


 ──仕掛けるタイミングには丁度良い。


 自身の攻撃疲れを自覚していればまた違っていただろう。俺の仕掛けに気付いたなら、この後に起こる事も回避できたろう。


 今、ゴブリンが右の拳を大きく振り被る。


 そして、肩を動かすタイミング、即ちパンチを繰り出すタイミングに合わせて一際大きくバックステップ。


 "ココだ!"


 突然の標的の喪失。空を切る拳。よろめく体勢。……そして、点となった眼。


 一度きりのチャンスがついにやって来た。この隙に一気に距離を詰める。直前、体勢を低くして相手の視界の下に潜り、膝の屈伸を使って顎にフック気味に右拳を叩き込む。


 "カエルパンチ" ── 相手の視界の外からの攻撃。要は不意打ち。


 更には硬質化したファイトグローブのオマケ付き。どんなに役に立たないと言われていても使い続けていた理由がこれ。ここぞで放つ一撃をより強力にする俺向きの魔法である。脳にまで影響を出せたかまでは分からないが、この一撃で動きが完全に止まった。


 勿論これで終わりではない。すぐさま腕を取り、勢いを付けて壁に向かって振る。よろめきつつも俺とゴブリンの位置を入れ替える。仕上げはそのまま走り出しての体当たり。自分から壁に当たりにいくつもりで身体を押し込んでいき、一気に押し付ける。


 ──その瞬間、ゴブリンの口から短い悲鳴が漏れ、相手の身体を通した衝撃が肩口に伝わった。


 ついに完成した勝利の方程式。ここからはその証明の時間だ。

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