第37話 マダム・アナスタシア

 アレンの馬車に揺られ、私はアンダーウッド家に向かった。

 薄暗い森の中に、ぼんやりと白亜の邸宅が浮かび上がっている。


 普段なら恐ろしいお化け屋敷に見えたかも知れない。

 だが、今は絶海から見える灯台だ。

 一刻も早く、皆に会いたいと自分の手を握りしめた。



 アンダーウッド家のリビングで、私はノーマン卿とイネッサ、そしてオルガと再会する。


「アナスタシア!」

「イネッサ!」


 駆け寄ってきたイネッサを抱きとめる。

 あぁ……あたたかい。

 イネッサの体温が心が癒やされる。


「良かった……もう、どうなるかと……」

「うん、ごめんね……イネッサのお陰よ、ありがとう」


 横からノーマン卿が言った。


「お帰り、アナスタシア」

「ノーマン卿……」


 私は姿勢を正して、心から礼をする。


「わがままを聞いてくださって、本当に感謝しています……ノーマン卿が認めてくれなければ、こうして笑うことはできなかったと思います」

「いいんだ、あの提案を受けた時に覚悟は決めていたからね。本当にアナスタシアが無事で良かった、これであの世に行っても、アキムにデカい顔ができる」


 ノーマン卿はとぼけた顔で笑った。


「まぁ、お父様ったら」

「お嬢様、もう無茶振りは止めてくれよ?」と、オルガが言った。

「オルガ……面倒を掛けたわね」


 私はオルガにハグをして、

「会場であなたの顔を見つけた時は思わず叫びそうになったわ」と笑う。

「はは、俺達もさ。まるで別世界のお姫様みたいだったぜ」

「ところでアナスタシア、どうだろう? 君さえ良ければアンダーウッド本家の方へ養子に来ないか?」と、ノーマン卿が口を挟む。


「そうよ、アナスタシア、私達姉妹になりましょう?」

「この場合、どっちが姉になるんだ?」とオルガ。

「そりゃあ、私よ、新入りはアナスタシアなんだから」

「あははは」


 ノーマン卿やイネッサの気遣いが嬉しかった。

 そういう生き方も幸せだと思う。

 でも、私は……もう決めていた。


「ありがとうございます、ノーマン卿。ですが、私は本当に荘官として荘園を運営しようと思っています」

「どうしてだい? セルディア家に思い入れがあるわけでもないだろう?」

「ええ」

「なら、どうして? あの荘園はエキザカムの花くらいしか育ててないぞ?」


 アレンがハッと私を見た。


「私は――ある方の気持ちにお応えすることができません。ですが、その気持ちに寄り添って生きていくつもりです」

「アナスタシア……?」


 何か言いたげなアレンを突き放すように、私は努めて明るく振る舞う。


「もちろん、お金儲けは得意ですから、このオルガと荒稼ぎするつもりです!」

「まいったね、こりゃ……」

「なら私にも手伝わせてよね?」

「ええ、頼りにしてるわ」


 戸惑った表情を浮かべるアレンに、私は向き直りその黒い瞳を見つめた。

 このままアレンの気持ちに応えることはできない。

 私とアレンが結ばれれば、必ずそれは重い足かせとなりアレンを苦しめるだろう。

 それに――私が愛したのは……。

 

「アレン皇子……本当にありがとうございました。このご恩には必ず報いることをお約束いたします」

「ならば、私は――」


「いいえ、殿下。その先はおっしゃらないでください、私が愛したのは――カイですから」

「……」


 イネッサが口に手を当て、私とアレンを交互に見た。

 オルガはやれやれと頭を掻いている。

 一人蚊帳の外のノーマン卿は、眉をハの字にして汗を拭いていた。

 



    §




 十年後――。

 アンダーウッド領・セルディア荘園。


 元々、セルディア家は老夫婦で切り盛りする小さな荘園だったこともあり、セルディア夫妻は隠居し、実務は養子となったアナスタシアが一切を取り仕切っていた。


 吹き抜ける風が草原を撫でていく。

 遠くに見える緩やかな丘の境界線に、大きな綿のような雲が広がっていた。


 開花を間近に控えたエキザカムの畑。

 この数年で花の収穫量は二倍以上になっていた。

 それも全て有能な庭師のお陰である。


「エドワード、お昼できたわよ」

「ああ、すぐに行く」


 あの事件の後、すぐにヴィノクール家を辞めた料理長のミラと庭師のエドワードは、アナスタシアを追って、セルディア荘園に押しかけ、自分たちを雇ってもらえるように直談判したのだ。


 アナスタシアは快く二人を受け入れた。

 二人以外にもアナスタシアを慕い、セルディア荘園の扉を叩いた使用人は多く、アナスタシアはできる限りそれを受け入れ、雇えなかった者については個別に紹介状を書いた。


 もはや、セルディア荘園は、まるで小さなヴィノクールのようだった。



   *


 

「アナスタシア様! アナスタシア様!」

「んー……もうちょっと……」

「ほら、アナスタシア様、起きてください! 今日の面会は三名、どなたも名のある家のご令嬢ですよ!」

「うん……ふわぁあ……おはようニーナ」

「もう、まだ寝てるじゃないですか……はい、お食事もできてますから、急ぎましょう!」

「わかった……」


 目を擦りながら、私はニーナにもたれかかる。


「ああ、もう……アナスタシア様はいつまでたっても……」

「そんな怒らないでー、ちゃんと起きるから」


 私はベッドを降りて支度をする。


「オルガは?」

「オルガ様はスロキア様と南部の土地を見に行くと言ってました」

「あの親子は、ほんと土地が好きなのねぇ……」

「たまにはゆっくりするように言ってください、働き過ぎですよ」


 ニーナが不満げに頬を膨らませる。


「うん、わかった。ちゃんと言っとくから」


 ニーナに髪を整えてもらいながら、今日の面会の資料に目を通す。


「みんな箱入り娘ね」

「そりゃそうですよ、普通は働かなくて良いご身分の方々ですから」


 私のフォルトゥナ商会は皇国の中で存在感を増していた。

 投資は次々に当たり――まあ先を知っていたのもあるが――順調に資金を増やしていった。

 いつ頃からか、商会の主が私だということが周知の事実となり、貴族階級や豪商の令嬢たちの間で商売を始める者が少なからず出てきた。

 オルガはおままごとだと鼻で笑っていたが、私はこれからは女性が自立できる時代になれば良いと思っていたし、何ならその手助けをしたいとも考えていたのだ。


「さあ、これで今日のサロンもバッチリですよ!」

「ありがとう、ニーナ」


 鏡に映る綺麗に編み込まれた髪を見て微笑む。

 リビングに入ると、テーブルにハムサンドと卵焼きが用意されていた。


「美味しそう! いただ――」

「あ、アナスタシア様、それはエドワードの分です、アナスタシア様のはこちらで……」


 ミラが何種類ものパンやシチューやらサラダやらを乗せたワゴンを押してきた。


「え、そんなに食べられないかも……」

「少し張り切りすぎましたかねぇ……あはは、えー、あ、大奥様たちにもお持ちします」

「ええ、そうしてちょうだい」


 エドワードのハムサンドを一切れつまんで、サッと口の中に入れる。


「アナスタシア様、面会のお客様がお待ちです」

「わかった、すぐ行くわ」


 グラスの水をグイッと飲み、急いで本宅の離れに建てた投資サロン『セルディア・ブルー』に向かう。


「アナスタシア様、おはようございます」

「おはよう、エドワード。先に謝っておくわ」

「え?」


 ぽかんとするエドワードに手を振り、私は家を出る。

 セルディア・ブルーは自立を目指す女性のために設立した、投資を学ぶ場所だ。


 設立当初は色々と言われたが、最近ではフォルトゥナ商会とのパイプを作ろうとする貴族や商人が娘を送り込んでくることもある。


 どんな理由にせよ、訪れた令嬢達に自立心が芽生え、目の輝きが変わる様を見るのは楽しいものだ。


 部屋に入ると、三人の若い娘がテーブルに座っていた。

 先に出されたアールグレイのベルガモットの薫りが漂っている。


 陽光に照らされた木板の温もりが心地よい。

 この部屋のデザインは、もちろんイネッサに頼んだ。


「ごきげんよう、みなさん」

「「ごきげんよう、マダム・アナスタシア」」


 私は会釈をして、同じテーブルにつく。


「では、始めましょうか――」

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