第35話 オーダー

 ウイリアムの宣言に、私の頭の中は真っ白になっていた。

 ヴィノクールさえ捨てれば、自由になれると思っていたのに……。


「往生際の悪い女だ……だが、悪くなかったぞ?」

「……」


 不思議そうに私の顔を覗き込むウィリアム。


「何を嫌がる? 皇妃の座が欲しくないのか?」

「殿下、私は……自由が欲しいのです」

「ふむ……」


 ウイリアムは少し考える素振りを見せ、そっと耳元で囁いた。


「この世界で自由を持つ者はただ一人、皇帝だけだ。そして、その自由は私が受け継ぐ。生憎……お前の分は余っていない」


 私をいたぶるのが楽しいのか、ウイリアムは機嫌良さそうな笑みを浮かべる。

 そうだった、どこまでも冷酷な白皇子……目の前の男が育ての乳母まで斬り捨てた男だということを忘れていた。


「諦めろ――、そして皇妃を演じろ、それがお前の役目だ」


 グッと腕を掴み、自分の側に引き寄せる。

 ――腕に痛みが走った。


 悔しかった。

 なぜ私はこんな目に……。


「笑え」


 ウイリアム皇子は階下の貴族達に手を向けながら、顔色一つ変えずに言う。

 仕方なく私は引きつった笑みを浮かべた。


「アンダーウッドも災難だな」


 まるで世間話のような軽い口調でウィリアムが言う。


「それにあれはお前の従者か?」

「殿下、ノーマン卿は関係ありません、すべて私の指示です!」


 このままでは、ノーマン卿やオルガにも迷惑が……。


「お前次第だ、アナスタシア……いま、この場で理解しろ――お前は私のものだと」

「……わ、私は……」


 唇が震える。涙が込み上げてきた。

 上を向いて涙を誤魔化す。


 その時――、会場にどよめきが走る。

 一階の正面入り口から、大勢の護衛騎士が駆け込んで来たのだ。

 何事かと思っていると、騎士達は素早く横一列に整列した。


「な、何だ! えぇい何をしている! 早くどうにかしろ!」


 ウイリアムが声を荒げると、控えていた聖騎士達がウイリアムの壁になる。


「殿下、お任せ下さい」


 聖騎士の一人が言うと、ウイリアムが小さく頷く。

 並んだ騎士達に向かって、聖騎士が声を上げた。


「貴殿らはここで何をしている? 返答によっては極刑も免れぬと心得よ!」


 騎士達は微動だにせず、ただ無言で前を向いている。

 ホールの貴族達のざわめきが大きくなった。

 騎士達の列が割れ、誰かが前に出てくる。


 黒鎧を纏った若い男――。

 黒髪に黒い瞳……あれは、カイ⁉


 間違いない!

 なっ……? どうしてカイが……⁉

 呆然と成り行きを見つめていると、カイが一人の男を前に突き出した。


「お、おい、あれは聖騎士じゃ……」

「まさか……」

「あの黒髪……まさか⁉」


 どよめく貴族達。

 白銀の鎧を纏った、紛うこと無きウイリアムの聖騎士だ。

 そして、突き出したのは、


「アレン……」


 ウイリアムがボソッと呟いた。


 ――え⁉

 アレンって……⁉ カイが……黒皇子?


 どうなってるの⁉

 状況が飲み込めず、必死に頭を回転させようとする。

 だが、理解が追いつかず場を見守ることしかできなかった。


「兄上! パーティーは終わりです、貴方は奴隷売買を主導した! よって、皇帝陛下に代わり、このアレンがあなたを拘束する!」


 アレンの騎士達が抜刀した。


「「きゃあああーーーーーっ!!!!」」


 ホールに貴族達の悲鳴が響く。

 蜘蛛の子を散らすように、貴族達は我先にと逃げ出した。

 聖騎士達は戸惑い、ウイリアムの顔色をうかがうことしかできないでいる。


「クク……はっはっは、あーっはっはっは!! 何を言うかと思えば、くだらん。――構わん、残らず全員斬り捨てよ!」

「し、しかし……アレン様は……」

「斬れ!」

「……はっ!」


 聖騎士達はアレンに抜刀で応えた。


 両者が睨み合う。

 数ではウイリアムの聖騎士達が上回っている。


 アレン皇子……カイがアレン皇子だったなんて……。


「兄上、大人しくしていただければ命までは取りません」

「ハッ、頭でも打ったか? お前に何ができるというのだ……えぇい、何をしている! 早く斬れ!」


 ウイリアムの怒声に聖騎士達が一斉に反応した。


「――覚悟!」

「兄上を拘束しろ!」


 激しい怒声と金属音がそこかしこで鳴り響く。

 煌びやかだったホールは、一瞬で戦場と化した。


「付き合ってられるか、来い!」


 ウイリアムは私の腕を引く。


「は、離してください!」

「チッ……この馬鹿女がぁ!」


 鬼のような形相に変貌したウイリアムが、私を叩こうと手を振り上げた。


「――――⁉」


 ぐっと目を瞑り、身構える。

 が、何も怒らなかった。


 恐る恐る目を開けると、私の周りをサムルク達が囲っていた。


「あ、あなたたち……⁉」

「な、何だ、貴様らは⁉」


 狼狽えるウイリアム。


「どうやら、間に合ったようだな」

「へへ、俺の方が早かったですぜ」とスピル。

「いーや、俺だな」

 ダレンが大きな拳を鳴らす。


「トニマ……みんな! 来てくれたのね⁉」

「当然でしょう、アナスタシア様は……俺らの頭なんだからよ」

「……ありがとう!」

「礼を言うのは、ちぃとばっかし早いのでは? さぁ、お嬢様――――ご命令オーダーを」


 トニマが剣を抜き、ウイリアムに向けた。

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