第13話 昔馴染みと新たな友と

 足が重い。気が重い。

 大聖堂に帰還し“その場所”と“その時”が近付くにつれて、俺の歩みは鈍っていくようだった。

 そして。

 恐る恐る会議室に入ると、

「うわぁ!」

 すぐ近くにエリシャが立っていた。

 俺が入ってくるのを狙いすまして、この位置に踏み出して来ていたようだ。

 しかし、それ以上のアクションは無い。

 どこか躊躇うように、半歩引いただけだった。

 そしてお互いに膠着。

 こうも近いと真新しいメイクの匂いがする。崩れたのでやり直したのだろう。

 目は、少し腫れている。

 こうして近くで見ると、割合小柄な奴だ。不服そうな猫のような面持ちで、俺の顔を見上げている。

「何だよ、こんな所に突っ立って」

 取り敢えず、今の俺に使えそうな言葉はあまりなかった。

 対するエリシャは、突然俺の両肩に手を置いた。叩くような強さだ。

 次に両腕を挟み込むように叩かれた。

 次に胸、腰、脚……何か、ボディチェックでもされているのか。

 そして、何か、自分を納得させるかのように一息つくと、

「まあ、良いでしょう」

 勝手に自己完結して言った。

「何が」

「貴方がオバケじゃないって事」

 オバケの事はもう良いだろう。

 と言いたいが、きっとそう言う意味では無いだろう。

「何と言うか、悪かったよ。軽率だった」

 自分が何らかの行動を起こした時、それを受けて何かを思う相手も居る。

 そんな当たり前の事を、長い磨耗の中で忘れていたように思える。

 このままでは死ぬぞ、と忠告した相手が、それでも死の渦中に突っ込んで行ったら。

 俺が逆の立場ならどう思うか。

 簡単な理屈の筈だった。

「別に、もう蒸し返さなくて良い」

 顔をそらし、こぼすように言う。

 

「泣いたのだって、大袈裟にリアクションしただけだし」 ーーウソ泣きだし、こんなの

 

 その言葉を耳にした瞬間、頭蓋骨がぐらりとズレたような、妙な感じを覚えた。

 エリシャの肉声に、別のエリシャの声がダブったような気がした。

「……何?」

 エリシャが見てわかる程に、俺は今、動揺したらしい。

 今一度、彼女の顔を見る。

 別に、今回の仕事で借りを作ったから、と言う訳でも無いが……本当に忘れたままで良いのか?

 今にしてそんな事を思った。 ーーやめろ

 そしてそれは、記憶が浮上して来た手応えを、俺自身が感じているからだ。 ーー全てを思い出したら、

 やろうと思えば、引き揚げられる気がする。

「おこさまビュッフェ」 

 第一に浮かんだ言葉を口にした。 ーー俺は無価値になる

「思い出した、の?」

 散々それを要求しておいて、信じられないと言った調子だ。まあいい。

「ああ、少しずつ、だが」

 

 

 幼少期、俺が教国のリマソと言う街に住んでいた事は、以前話したと思う。

 あれは10歳過ぎくらいの頃だったか。母親が死に、俺が弟達の食事を作るようになって、それなりに経ったくらいの時期だろう。

 確かに、俺は町会議員の娘を見た事があった。

 遠目から見てもサラサラなストロベリーブロンドの髪を腰まで伸ばし、フリフリの白いドレスをよく着ていた。あからさまに“お姫様”と言った風情の女児だった。

 少し好みの顔だな。

 けど、男子どもとビービー喧嘩している場面を見た瞬間に関り合いになりたくないな、とも思った。

 やはり名前は知らなかった。お互いに名乗った事が無かったのは確かだ。

 ただ、知り合うきっかけはあった。

 当時のエリシャは何を思ったか、自宅の庭に学友達を呼んで立食パーティのような事をよく催していた。

 食べ物は、各々のお小遣いで買って持ち寄る形式だった。金持ちの割りにしっかりしているのか、単なるケチなのか。

 それで、俺の弟を経由した人づてに聞いたのだろう。

 エリシャが、俺が餓鬼どもの中で唯一料理が出来る人材である事を嗅ぎ付けた。

 そして俺を立食パーティに呼びつけたのだ。

 皆で持ち寄った食材を俺が料理する。

 “コック”を手に入れてご満悦だったのか、エリシャは、調理中の俺によくちょっかいをかけてきた。

 一応、手伝おうとしてくれていたのだと、今にして思うが、はっきり言って足手まといでしかなかった。

 作業中に構って欲しくない性分は、今も昔も同じだ。

 もしかしたら、あいつ自身も料理と言うものをやって見たくて俺を仲間にしたのかも知れない。

 俺は俺で食事会に混ぜてもらえば昼飯代が浮いたし、余り物を持ち帰れば自宅での夕飯メニューも考えずに済んで助かった。

 材料費タダを良い事に、思うさま料理を作った経験も、何気に今へと繋がる糧になったと思う。

 いつしかハートレイ邸でのお食事会は“おこさまビュッフェ”と呼ばれるようになり、ちょっとした話題にもなった。

 ここまで思い出して、記憶のサルベージが途端に困難になってきた。 ーーこれ以上は思い出すな。

 どうして俺は、こんな印象深い出来事を綺麗に忘れていたのか。 ーーこれ以上は思い出すな。

 ただ、今にして思うのはーーこれ以上は思い出すな。


「それだけ思い出してくれたなら、許してあげる」

 

 エリシャが、俺の意識を現在に引き揚げた。

 追憶が、忽然と消え去った。

「わがまま言ってごめん」

「これで満足したか」

「ええ。あの頃、おこさまビュッフェをやっていた時間だけが、私が心から笑える時だった。それだけは言っておくから」

「……」

「ここからは騎士団の同僚に戻りましょう」

「当たり前だ。公私は分けろと何度も言っている」

 

 今にして思うのは。

 あの頃のエリシャは、親はまともに食わせて居たのか? と疑問に思うほど痩せ細っていた。

 虐待、にしては妙だ。

 格好は非常に身綺麗だったし、暴力や育児放棄に怯えた風もなかった。

 たまにビュッフェを覗きに来た母親とは、とても仲睦まじく見えた。

 今の俺が考え付く一つの仮説はある。

 

 両親は心からエリシャを愛しており、なおかつ、「満足に食わせていると信じて疑っていなかった」のだとしたら。

 

 考え過ぎだろうか。

 今の俺なら、そんな矛盾を見ても驚かない。

 そして、もう一つ思い出した事がある。

 あの頃のエリシャは、俺が作ろうとしているものを全て言い当てていた。

 当時は鬱陶しくて聞き流していたが、この時既に、あいつの魔法が予知能力に定まっていた可能性は高い。

 丁度この頃、俺の魔法が定まったのと同じように、魔法起点の癖が定着するには妥当な年齢だった。

 俺の作るものをいち早く知りたかったから……と言う馬鹿な理由ではないだろう。

 ただ、俺のメニューを予知する時の姿も、今にして思えば何処か浮き足立っている印象はあった。

 そういう意味では、無関係では無いのかもしれない。

 

 

 

「いやー、アルシ君が来てくれて、光明が見えてきたよ!」

 女の子とお話し出来る店で飲まないか!

 とテオドールに誘われて、付き合う事にした。

 承諾した瞬間、エリシャにはこれまでで最も苛烈に睨まれたが。

 何でだよ。責めるなら普通、誘った方じゃないか!?

「神蔵一刀流ってさぁ、必殺技がいらない流派なワケよォ」

 もはや呂律が回っていないが、こんな店に来てまで仕事の話をしたがるのは、ある意味真面目なのか。

 必殺技もまた“名付ける”事によって存在が定義され、本来、その者が不可能な動きを実現する魔法だ。

 ただし、デメリットもある。

 一度名付けられた必殺技は、もう、それ以外の何ものにもなれないと言う事。

 例えば、テオドールが放った虚咬双撃刃ここうそうげきじんは、両サイドからの斬撃で挟み込む技。本来のテオドールでは出来ない二連撃を無理矢理実現する技。一度技名を発声すれば、それを全うするかテオドール自身が物理的に潰されるまで止められない。

 そして、万物を両断する基本の型(身も蓋もない言い方をすると通常攻撃)こそが真髄の神蔵一刀流に、必殺技は無用だった。

「でもぉ、自分で作った技名を高らかに叫んでぇ、ずばばばばーって行かないと華がないよねぇ!」

 大体俺の予想通りだった。

 彼の場合、魔法思考に変な癖がついているせいで“刺突”でしか流派が活きない。だから、魔剣を使って“斬”の穴を補っていた。

「けれど、君のお陰で僕の“型”が完成しそうな予感がしているよ」

 突然、しっかりとした口調に戻ってそんな事を言う。

「それは何よりです」

「あぁ~、もうかしこまった喋り方はよしなよぉ。あんだけこっぴどく口喧嘩したんだから、もう無意味ぃ」

「そう……かもな」

「これ騎士命令ね。今後、敬語は一切ナシ! フレンドリーにいきましょー。テオって呼んでくれていいよぉ」

 あーあ、めんどくせえ客だな、って、俺達の両サイドを固める“女の子”達も思っている事だろう。

「わかった、命令には従うよ。我が友テオドール」

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