27,マゼンタ

 日も暮れはじめた頃、マゼンタは川辺に再び足を運んだ。まだ、そこには例の女の姿はなかった。

 マゼンタは土手からおりて川辺を歩く。

 マゼンタには違和感があった。たしかに外面そとづらの良い男が、家では家族に暴力をふるうという話はよく聞く。自分の父親もそうだった。しかし、バン爺が息子を自殺に追い込むような人間だとは思えなかった。仮に職務で手いっぱいで家族にかまえなかったとして、子供が自ら命を絶ってしまう事があるのだろうか。

 バン爺が家族の話を無難な程度でしている時も、彼には後悔の色が見え隠れする。もしかしたら、マゼンタやその他の人間にも話していない真実があるのかもしれない。

 そういえば、とマゼンタは思う。バン爺は妻の話を一切しなかった。現在、独り身というのは先立たれたのか、それとも……。


──やっぱり、人って見かけにはよらないってことなのかなぁ……。


 マゼンタが石切りなどをして時間を潰していると、そこにくだんの女とおぼしき人影が、土手から川辺におりてきた。

 女は川辺に立つと花をささげて祈りはじめた。マゼンタはそんな女を遠巻きに見る。


──ほんとに来た……。


 用事を終えた女は立ち上がり、そのまま帰路につこうと土手に向かう。


「……ねぇっ」


 マゼンタに声をかけられ女はふり返る。二十代後半の女だった。

「……なにか?」


「ごめんね、突然話しかけて。ここの人たちに聞いたんだけど、おねえさんってここ最近、この川辺に花を捧げてるんだって?」


「……ええ」


「ちょっと気になってることがあって、あゴメン、迷惑なら別に答えてくれなくていいんだけど、もしかして、おねえさんってここで亡くなった人と関係ある人なの?」


 女は怪訝けげんな顔でマゼンタを見る。そして面倒に巻き込まれたくないとばかりに「あなたには関係ありません」と、背を向けた。


「そっか……ごめん。あたしの知り合いがここで死んじゃったもんだから、つい……。」


 女が驚いてふり返った。


「……え?」


「あなた、あの人を知ってるのっ?」

 女はマゼンタに駆け寄ってきた。



 シアンはビオラ伯のもとで保護されることになった。ビオラ伯の娘が、かつてバン爺の推挙すいきょで2級魔術師になったこと、またアイリス伯の領地から一番遠いことが理由だった。

 その帰り道、馬車の中でふたりは上機嫌だった。


「さぁて、話もまとまったことじゃし、マゼンタに土産でも買うて帰ろうかのう。あの娘のことじゃ、待たされて機嫌をそこねとるじゃろう」


「自分が待つって言ったのに?」


「そういうもんなんじゃよ」

 バン爺は奮発ふんぱつしてケーキなどを買って行こうと言った。


「……ねぇ、バン爺さん」


「なんじゃ?」


「その……ぼくがビオラ伯のところにお世話になることになったら、バン爺さんたちはどうするの?」


「……そうじゃのう、ビオラ伯が迷惑じゃなかったら、ワシは客人として世話になるかものう」


「……その、マゼンタさん……は?」


 バン爺はシアンを見る。からかうような笑いを浮かべていた。


「……なに?」


「あの娘と一緒に行きたいんか?」


「え、だって……これまで……。」

 シアンはしどろもどろ答える。


「もちろんそう思うじゃろうな。ワシもお前さんの立場ならそう思うじゃろう。じゃが、こればっかりは本人が決めることじゃて」


「……一緒に来てくれるかな」


「……難しいのう。あの娘は自分から根無し草を選ぶような女じゃ。思いつきで色々変わりよるし。こう言っちゃなんじゃが、どれだけお前さんが言葉を尽くして熱心に誘おうが、たまたま虫の居所が悪いというだけであの娘は断るじゃろう。じゃが、上機嫌なら仮にお前さんが断っても勝手についてくるじゃろうな」


 シアンは難しそうな顔をする。


「ほっほ、得てして、男と女は自分にないものを持った相手にかれよる」


「え、惹かれるって、別に、そういう意味じゃ……。」


「照れんでええわい。あの娘に言うと図に乗るから言わんがな、ありゃあワシがあと何十年か若かったらほっとかんかったぞ」


 シアンが意外そうな顔でバン爺を見る。


「……今だから言える事じゃが、実はワシらがあの日あの森でお前さんと出会ったのは偶然じゃあない」


「……。」


「マゼンタとワシは、懸賞金目当てでお前さんに近づいたんじゃ。じゃが、すぐにあの娘はそれを放棄ほうきしてお前さんを助けようと言い出した。ワシに関しては、お前さんの親父の処分にワシがかかわっておったという、けじめみたいなもんがあったんじゃが、あの娘には何もなかった。それなのに、お前さんの境遇を知るや、自分の安全をかえりみずそう言い出したんじゃ。いっけん軽率とも見えるが、人並みはずれて正直で勇気があるともいえる。なかなかおらん女じゃよ」


 バン爺のマゼンタ評を聞きながら、シアンは自分がほめられているかのように嬉しそうな顔になっていた。



 その頃、マゼンタは急いで宿に帰ろうとしていた。自分が女から聞かされた真実をいち早くバン爺に教えなければならない。マゼンタの目には涙も浮かんでいた。


「……ん?」

 マゼンタは立ち止まる。3人の子供たちが、橋の向こうの路地裏の入り口で泣いていた。奇妙な泣き方だった。ただその場に立ち尽くし、お互いに顔を合わせながら泣いているのだ。


 心配になったマゼンタは、橋を渡って子供たちに近寄った。

「……どうしたの?」


 しかし、答えずに子供たちは泣くばかりだった。


「どうしたの? こんな時間に? 何があったの?」


 子供たちが泣きながら、路地裏を指さす。


「……この向こうが、どうかしたの?」


 マゼンタは路地裏の暗闇を見る。しかし、日も落ちかけ、路地裏は闇におおわれて何も見えない。


「何も……見えないけど……。この向こうに友達がいるの?」

 マゼンタは子供たちに振り向く。


「……かったぁ」

 子供がようやく口をきいた。


「……え?」


「……いたかったぁ」

 泣きじゃくりながら子供が言う。


「痛い? あんたたち、どっか怪我してるの?」


「……いたかったぁ」


「どこ? おねえさんに見せてみな?」


 子供たちが一斉にぴたりと泣き止んだ。


「……どうしたの?」


 子供たちは視線の狂った目でマゼンタを見た。

「あいたかったぁ!」


「え?」


 マゼンタの口を、背後の路地裏の暗闇から伸びた手がおさえつけた。

「会いたかったでぇ、おねぇさん」


「むぐぅ!?」


 アッシュだった。

 アッシュはマゼンタの肩をつかむと、マゼンタを自分に振り向かせた。

 間髪入かんぱついれず、叫ぼうとするマゼンタ。しかし……。


「黙らんかい」


 アッシュの瞳ににらまれ、マゼンタは言葉を発せなくなった。


「あ、あ……。」


 体をアッシュの術で拘束こうそくされたが、それでもマゼンタは意志の力で何とかあらがう。力の抜けた手でなぐり、さらにアッシュの体を押し返そうとした。

 そんなマゼンタの抵抗を、愛おしい彼女とのたわむれのようにながめるアッシュ。


「やっぱええわぁ、おねえちゃん。魔術師でもないのに俺の術にここまで逆らえるんは、あんたが初めてやで? なんでや?」


「ふ、ふざけん……なよ……。」

 マゼンタはアッシュの顔をつかみ爪を立てる。


「なんや、まだ抵抗する気かいな。可愛らしゅうおますなぁ、せやけど……。」


「ひっ?」


 アッシュはマゼンタを抱き寄せた。強い抱擁ほうよう。さらに耳を噛むほどの近い距離でマゼンタに囁いた。

じかはさすがに耐えられへんやろ?」


「……あ、く」

 マゼンタから、みるみる抵抗する力が失われていく。


「おねえちゃん、めっちゃ好みやねん。こういう時じゃあなかったら、じっくり楽しみたいところやけど、あいにく俺も仕事やねんなぁ」


 マゼンタの顔は完全に呆けていた。顔はたるみ、目はとろんと垂れて涙を流している。体は立っているのがやっというくらいに左右にふらふらと揺れていた。


「ほな、いこか?」


「……うん」


「くやしいけど、シアンくんとあのおじいちゃんを一緒に相手するんは俺でも無理や。せやけど、ちょうどいい弱点があって助かったわ」



 バン爺とシアンが宿に戻ると、部屋には誰もいなかった。用を足しに部屋を空けているわけではなさそうだった。ランプの灯はついておらず、部屋には長い時間人がいた気配がしない。


「……何じゃ? 出かけとるんか?」


 バン爺は部屋を出て廊下を見わたした。人影は見当たらない。

 シアンは机の上に、1枚の便せんが置いてあるのを見つけた。


「バン爺っ」


 バン爺が振り向く。

「……どうしたね?」


「……これ」


 バン爺はシアンにさし出された便せんを受け取る。書かれている内容を読むや否や、バン爺の手がふるえた。

「……な、なんということじゃっ」


 便せんにはマゼンタの身をアイリス伯の下で預かっているということが書かれていた。そしてマゼンタの解放の条件として、シアンがアイリス伯の下へ戻ること、そしてクリスタルの返還へんかんが要求されていた。

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