21,追跡終わらず

──


 アイリス伯直轄領──


 城ではアイリス伯が、広間で酒を飲みながら部屋の壁に大きく飾られた絵画をながめていた。シアンがいなくなってからというもの、彼の飲酒量は増えるばかりだった。


「アイリス様、アッシュ殿が戻られました」


 背を向けているアイリス伯は何も答えなかったが、執事は長年の経験から主人が聞いていることを察してアッシュを部屋に通した。

 部屋に入ったアッシュはうながされてもいないのに、部屋のすみの椅子を音を立てて引きずり、それにどかっと足を組んで座った。


「……なぜひとりで戻ってきた? よくも手ぶらで帰ってこれたものだな」

 重苦しい声でアイリス伯は言った。


「……聞いとった話しとちゃうやないですか」

 しかし、そんなアイリス伯の声色こわいろにアッシュも気圧けおされた様子はなかった。


「……なんだと?」

 アイリス伯はようやくふり返った。


「おっちゃん、シアンくんを連れて帰るだけのお仕事言いはりましたよね? そないやのに、あのおじいちゃんは何でっか? めちゃ強力な魔術師がお供におるやないですか」


「……魔術師が?」


「坊やだけなら、俺のテンプテーションで何とかなりますわ。いくらおっちゃんの秘蔵っ子ちゅうても、子供なんやから抵抗する方法は身につけとりませんでしょうから。けど、俺の術式がまるで通用せん、バケモノじみた爺さんまでおるっちゅうのはどういうことでっか?」


「シアンだけじゃなかったのか?」


「ありゃどう考えても上位の等級持っとりますよ。子供やけど強力なオド持っとる魔術師と、じいさんやけど術式の使い方がめちゃうまい魔術師、ふたりを相手にさすんは俺でも無理ですわ」


「……いったい何者なんだ、その老人は?」


「こっちが教えてほしいくらいですわ。バン爺言われとりましたけどねぇ」


「バン爺……。」


「土の術式使うてはりましたけど、それだけやないやろなぁ。空飛んだり俺の体を引き寄せたり。何がひとつしか術式は使うてへんや。嘘バレバレやん」


「……その魔術師は、具体的にどんな術式を?」


「まぁ……俺のテンプテーション効かんかったんは、オドで打ち消したからやろうけど──」


 アッシュはアイリス伯にバン爺との戦いの様子を説明した。放ったオドをことごとく逸らされ、あまつさえそれを利用して反撃された事、体の一部の石化や空中戦を仕掛けられた事などを。

 アッシュが話している間、アイリス伯は何かを考えながらテーブルをながめ、あごに手を当てていた。


「……無茶苦茶や。あんなんがひとつでできるかっちゅうねん」


「……いや、おそらく使用したのはひとつ、大地の術式だろうな」


「……んなアホな?」


「土や木に働きかけて、成長を促したり意のままに操るのが基本的な術式だが、あの術式は応用すれば土の成分を変えて鉱物を作ることも可能だ」


「せやけど、空を飛び回るのは何ですの? あんなん、風の術式がないと無理ですやん」


「……磁石だ」


「……へ?」


「大地の磁力を操れば、磁石のようにモノを浮かせたりすることができる。高度な術式だがな……。」


 アッシュが口をあんぐりと開ける。

「そないな術式……聞いたことあらしまへん」


「理論としては確立している。だが、あくまで理論上だ。お前の様な在野ざいやの魔術師は知りもせんだろう。……それを実践じっせんで使用するとなると、その術式を開発した──」


 アイリス伯は目を見開いて立ち上がった。椅子が音を立てて倒れる。


「何ですの急に……。」


「……バン爺。もしかして、70くらいの茶の民の男か?」


「あ、ああ……せやで」

 アッシュが思わず、組んだ腕と足をいて身じろぎをする。


「……バーガンディ・ローゼスっ」


「……誰ですの、それ?」


 アイリス伯は片手で顔を覆い笑い始めた。

「すべての元凶だ! この国を腐らせた権力欲の化身! 伏魔殿ふくまでん魑魅魍魎ちみもうりょう! そうか奴がからんでいたという事か! 道理でおかしいと思った! く、くくく、そうか、そういうカラクリか! すべてがつながったぞ!」


「な、何がですの?」


「すべては仕組まれていたという事だ! シアンの脱走も、何もかもな! おのれ、あの老害め! 私を王都から追い出しただけでは飽き足らず、あれからもずっと監視していたのか! 自分の家族を破滅させても、なおも私を追おうというのだからな! よほど私の事が気に入らんと見える!」


「何や因縁いんねんのあるお方なんですか、おっちゃんとあのおじいちゃんは?」


 アイリス伯は室内を歩き回る。


「かつて王都で使えていた頃、私の昇級をことごとく邪魔した男だ。あげく、私を王都から追い出すよう画策かくさくしたなっ」


「何でそんなことしなさったんで?」


「私が気に入らなかったのだ。蒼の民という私の出自しゅつじと私の革新的な研究が、自分の1級の座を危うくすると踏んだのだろう」


「へ、へぇ……。」


 アッシュは何気なくアイリス伯の口から出た「1級という」言葉にたじろいだ。


「なるほど、奴がついているのなら、お前の手には余るかもしれん……。」


 アッシュが気に入らなさそうに口を歪めた。

「……なめんといてくださいよ。策くらいはありますわ」


「……なんだと?」


 アッシュは得意げに言う。

「俺の術式、ただ人を操るだけやないですから。ちぃとあのの頭ん中のぞかせてもろうとりますわ。

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