第5話 知らない天井

 不意に目が覚めた。ここはどこだろう?知

らない天井だ。狭い部屋、真っ白い壁、真っ

白い床、寝具を含めて白一色のベッド、扉も

真っ白だった。


 身体を起こしてみた。何かに拘束されてい

るのか起こせなかった。腕や足が何かで繋が

れている。口には何もつけられてはいなかっ

たが、排泄物用の管だろうか、何かの管が下

半身に装着されていた。寝たままでずっと生

き続けられる、という感じになっているよう

だ。栄養分は点滴で、排泄もいつでもどうぞ、

ということか。身体そのものには特に問題は

なさそうだったが目覚めたばかりなのに、か

なり眠かった。


 僕はなぜこんな部屋に居るのだろう。目覚

めたのなら眠ったはずだけど眠りについた状

況が思い出せない。僕は何をしていた?


 何一つ思い出せない。名前は、年齢は、性

別は男のようだけど、どこで生まれてどこで

育った、今まで何をして生きて来た?


 拘束を解こうと身体を動かしてみたところ、

少しずつ弛ますことができた。何とか解けそ

うだ。


 数時間はかかっただろうか、やっとのこと

で拘束を解いてベッドから降りてみた。部屋

には窓がない。ただ白い扉があるだけで他に

は何もなかった。


 部屋は狭い。3帖あるかないかだ。真っ白

の壁から真っ白い管やコードが出ている。点

滴が腕に刺さっているのと頭には電極のよう

なものが張り付いている。髪は剃られている

か全く無かった。元々髪がなかったのか、

剃られていて無いのか判断は付かない。


 コードや電極を全部取り外した。点滴が刺

さっていた腕からは少し血が出たが直ぐに止

まった。


 ただ一つの扉を開けようとしてみた。開か

ない。鍵がかかっているようだ。


 誰かを呼ぼうか。駄目だ、僕をここに拘束

した奴らしか来ないはずだ。しかし、物音ひ

とつしない。さっきコードを引き抜いた時に

警報とかが鳴るかも知れないと思ったが、特

に何も鳴らなかった。どこかのモニターで確

認しているだけかもしれないが、もしそうな

ら誰かが駆けつけて来てもおかしくはない。


 実際には誰も来なかったしカメラは見当た

らなかった。


 扉は頑丈だった。少し押したり引いたりし

てみたがビクともしない。壊すしかないのだ

ろうか。大きな音を立てたら、やはり気が付

かれてしまうかも知れない。ただ、このまま

ここに居続けることも出来ない。


 そう言えば腕に刺さっていた針があった。

これで鍵を開けられないか。電子錠なら無理

だが鍵穴のあるタイプだ。電子錠が駄目にな

った場合の補助的なものかもしれない。


 先を少し曲げて鍵穴に突っ込んだ。


「カチャ」


 ものの数分で開いた。何故こんなことが出

来るのだろう。何も思い出せないので、自ら

がそんなスキルがあることも知らなかったが

役に立った。


 恐る恐る少しだけ扉を開けた。やはり警報

はならないようだ。隙間から外を伺う。人の

気配はない。半分ほど開けてみる。開けた隙

間から顔を出して左右を見てみた。やはり誰

も居ないようだ。


 廊下に出てみた。廊下さえも真っ白だ。こ

れはこれで精神的に悪い。気が狂いそうだっ

た。


 もしかしたら本当に狂っているのか、それ

で入院でもさせられていたのだろうか。記憶

が無い以外は自分では至って普通に思えた。


 廊下はずっと続いている。先が見えないほ

どの長さだ。どっちを見ても先は見えなかっ

た。


 廊下にも窓はなかった。そうか、ここは地

下なのかも知れない。どこにも窓はなかった。


 右に進んでみることにした。じっとしてい

ても埒が明かない。真っ白い廊下を進んだ。

行けども白い廊下は続くだけだった。何とい

う長い廊下だ。建物も相当大きいのだろう。


 天井には発光体でも埋め込まれているのか、

電灯はないのにかなり明るかった。眩しいと

いってもいいくらいだ。起きて間がないから

という眩しさではなく異常なほどに白く明る

かった。


 どんどん進む。逆の方向に進んだ方がよか

ったか。果てはいつまで経っても見えなかっ

た。


 ふと気が付いた。廊下は少しずつ右に曲が

っているようだ。よく見ないと気が付かない

程度の曲がり具合だった。その曲がりの所為

で、もしかしたら廊下は大きな円を描いてい

るのかも知れない。もしそうなら果てはない。

同じところをぐるぐると回っているだけだ。


 一度歩いた廊下なのかどうか、同じ真っ白

い廊下なので全く判断が付かなかった。


 どこまでも続く白い廊下。歩いているだけ

で気が狂いそうだ。等間隔で僕が出て来たの

と同じ扉が並んでいる。誰もそこからは出て

こなかった。


 ずっと歩いて気が付いたことがある。等間

隔で扉が並んでいるところと、もっと距離を

置いて扉が並んでいるところがあるようだ。

扉も真っ白なので見分けが付き難かったが。


 いつまで進んでも状況に変化はなかった。

やはり円形の建物で同じところをぐるぐると

回っているだけなのか。


 だとするとおかしい。僕が出て来た扉は閉

めなかったはずだ。行けども行けども開いて

いる扉には行き当らなかった。誰かが閉めた

のか。僕が部屋を出たことはとっくに知られ

ているのか。


 自分が出て来た扉を見つけられないことに

不信感を覚えていた時だった。初めて違う風

景が見えて来た。部屋を出てからすでに数時

間は歩いている。十キロメートルは歩いてい

る計算になる。そこまで歩いて初めて見えて

来たものは左右に分かれている廊下だった。


 左右どちらも、また同じ廊下が続いている

のが見える。感覚で言うと右に曲がれば元の

部屋に戻る可能性があると思えた。戻りたく

はない。左に曲がってみることにした。


 左に曲がっても目に入る景色は変わらなか

った。真っ白で不規則な扉が並んでいる。さ

っきよりは不規則の度合いが強かった。


 それは突然現れた。部屋の扉とは明らかに

違う扉だ。そして廊下の左側に付いている。

いままでずっと扉は右側にあり同じサイズだ

った。この扉は左側でサイズが違う。という

ことはここから出られるってことだろうか。


 ノブを回してみた。すんなりノブが回る。

廊下に出ている人間が居ないと思ってでもい

るのだろうか。今まで一人も居なかったとか

で僕が初めてこの扉を中から開けるとでも言

うのか。外はどうなっている?外では無いの

か。また廊下が続くのか。もしそうなら精神

的にそろそろ限界だった。


 恐る恐るドアを開けた。そこには階段があ

った。上に昇れる階段だ。ここは最下層だっ

たらしい。下に降りる階段はなかった。やっ

た、これで地上に出られるかも知れない。や

はりここは地下だったのだ。


 階段を昇ると次の階にはまたさっき開けた

扉と同じ扉があった。階段はまだ上へと続い

ている。勿論僕は一切の逡巡もなく上へと昇

った。


 どんどん、どんどん昇る。一体何階昇った

のだろう。数えていなかったので判らないが

多分五、六階は昇った筈だ。足が棒のように

なってきた。それでもどんどん昇るしかなか

った。


 相変わらず警報が鳴ったり、この施設の職

員とかがやって来たりすることは無かった。

そもそも人が管理しているのだろうか。監視

カメラのようなものはいままで一切見なかっ

た。


 階段が終わり、また扉があった。その扉を

開ければ外に出られるのか。


 扉はすんなり開いた。やはり誰かが外に出

ることを想定していないのだろうか。


 扉を出るとまた廊下だった。しかし今まで

とは違う。窓があった。外が見える。


 窓はフィックスだったので開けられはしな

かったが外の景色は新鮮だった。緑に覆われ

ているようだ。


 外に出られる扉を見つけた。自動ドアだっ

た。誰にも咎められることなく外に出ること

ができた。咎められるどころか誰一人出会わ

なかった。


 外は緑に覆われていた。正に覆われていた

としか表現できない。ジャングルの中に建物

が埋もれている、というのが表現として一番

近い。玄関を出た途端木々に埋もれてしまう

のだ。建物そのものは二階建てのようだった。

地下に六階、地上に二階ということか。外か

ら見たらうすい灰色の建物だった。コンクリ

ートの打ちっぱなしというやつだ。


 玄関の上に看板がぶら下がっている。元々

はちゃんと付いていたものだろう。


 看板には「琵琶湖大学付属病院心理学病棟」

と書かれていた。やはり精神を病んだ人々の

収容施設だったのだ。窓もなく地下に部屋が

たくさんあるのも、そういうことなのだろう。


 それにしても、琵琶湖と言うことは滋賀県

か。僕は滋賀県に住んでいたのか。全然ピン

と来ない。住んではいなかったが、ここに入

院させられた、ということもあるのか。いず

れにしても病院に入院していた、ということ

で間違いないのだろう。全く記憶にはないの

だが。


 施設内に戻る選択肢は無かった。今のとこ

ろ誰にも会わなかったが、誰かに会った途端、

元の部屋に連れ戻される危険がある。森の中

を彷徨うことも相当危険だろうが、まだマシ

のような気がした。

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