#22 意志

 ――これが三枚目の手紙。閉じ込められているのは私だけみたい。大人の人以外だれもいない。大人の人はいつも私の体をいじくって、セーエキを採取して出ていく。怖い。知らない人にちんちんをいじられて、おっぱいもおまたも、きもちわるい。赤ちゃんなんて作りたくない。この手紙を読んでいる人、どうか覚えていて。ここは天国じゃない。早く逃げて。逃げ方は、分からないけど。


 それは、昨日の手紙よりも年を経た人物からのものだった。少しだけしっかりとした筆跡。文末に刻まれた『アン』の文字。


 文章こそ拙いものの、限りある語彙で紡がれた生々しい文面からは、差出人の感情が残り香のように漂う。


「こ、これ……」


 言葉を失うコトニに顔面を白くするユイ。何かに勘づいたらしい二人の一方、シロはただ、じっと紙面を見つめていた。


 浅い呼吸。文面を、言葉を飲み込むたび、全身の熱が引いていく。常識を乱す頭を、開き始めた目を、押さえる。


「どういうこと……?」


 シロの役目は子供を残すこと。それが鴨ノ羽トモミの、ひいては人類の役に立つからと、そう唱えて育てられた。


 女性器と男性器を兼ね備えた仲間がいること、同じ使命を課された人物がいること、それはとても心強いことだ。よかった。そう思うと同時に、何となく気持ち悪く感じるのはなぜだろうか。


 シロはここが――自らが育った環境を『天国』と称したことは一度たりともない。それ以外を知らないから比較のしようがない。


「…………」


 だから、理解ができなかった。


「なんで?」


 理解したくなかった。


「どうして『あん』さんは嫌なんだろう」


 当たり前のことなのに。ぽつりとシロは呟く。


「すっごく、すっごく、幸せなことなのに」


 不言コトニも二人静ムツキも縹ユイも、皆、次世代に子供を残すためにこの場所へ集まった。それの何が悪いことなのか。何が気持ち悪いのか。


 ふと三人を見上げる。皆、シロを肯定するどころかひどく渋い顔をしていた。なぜ――ヒュと喉が鳴る。頑張ろうと約束をしたコトニでさえも頷かない。


「……きっと、口に出すべきじゃないのでしょうね。ここに来た時点で」


「でも嫌だよ、シロちゃんが……シロちゃんの意志で望んでくれないと」


「もうなんつーか、王手掛けられている気しかしないんだよなぁ……」


 


「つ、次の世代に子供を……イデンシを残せるのは、すっごく幸せでメイヨなことなんだって、トモミさん、言ってたよ。みんなは嫌なの?」


「シロちゃんは誰と話しているの?」


 思考が、止まる。


 少しだけ拗ねた様子のコトニは、目を瞬かせるシロをじっと覗き込むと、ふかふかの指を絡めた。


「アタシたちはシロちゃんと話しているんだよ。シロちゃんが言ってたことって、トモミさんの言葉そのままでしょ。シロちゃんはどうしたいの?」


「え……」


 それは、いつかと同じ問い掛けであった。


 どうも何も、先程の言葉がシロの意志であった。物心ついた頃から当たり前のように信じていた、疑いようのない常識。これ以外に何があるのか――シロには皆目見当もつかなかった。


「だ、だって、これが当たり前なんでしょう。正解なんでしょう?」


「……間違ってはないッスね」


 ぽつりとムツキが口を開く。


「子孫を残し、命を繋ぐこと――これは生物としては正しい。けど、ここで問われているのはシロちゃんの意志なんスよ」


「意志……」


「『当たり前』を信じるのは簡単だ、何せ自分に責任がないッスからね。人類はそうやって命を繋いできたわけだし。でも、あんまりじゃないッスか。それだけのために管理されてきたなんて。その先には何もないなんて」


 ムツキはへにゃりと眉を曲げる。その顔は心の底から憐れむようだった。その顔が、なぜか世話係の女性と重なる。


 シロの使命は次世代を作ること。ずっとずっと、それこそ生まれた時から何度も何度も刻まれてきた。


 これこそが義務。


 これこそが意義。


 それなのに、なぜ今更。まるで悪いことのように。どうして、道のない道を、示す。


「……ムツキちゃんの言葉は、すごく難しいね」


「ちょっと意地悪だったッスかね」


 クク、と喉を鳴らすその様は、先程とは打って変わって、ひどく子供然としていた。


 シロの意思。何をもって意思とするのか。意思と常識との違いは何か。


 シロの意思の大部分は世話係の言葉に置換される。鶏卵論争ではないが、果たしてどちらが先なのか――そう問われた時、シロに答える術はない。


 分からないのだ。哲学じみたその言葉に応じるには、あまりにも経験が少ない。


 文字通り『箱入り娘』として育ったシロには、自らが異常であったとしても、それと気づく術は持たない。三人の嫁とて書物として残る歴代の哲学者のような、柔軟で複雑で、ともすれば天邪鬼な思考は持ち合わせていないだろう。


「何が正解なのかな」


「正解なんてないッスよ。ないから迷ってるんでしょ」


「うえ……ぼく、そういうの苦手」


「はは、小生も嫌いッスね」


 答えのない問いほど面倒なものはない。世話係の女性に訊いても本を捲っても、『答え』は教えてくれないのだから。


「シロちゃんって、今までトモミさんとしか話したことないんでしょう? 参考にできる人が少なかったから、余計に難しく感じるのかもね」


「一理あるわね。じゃあコトニさん、あなたは子供を残したい? また、あなたにとって子供を残す行為とは?」

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