#5 来ないで

「じゃあ、やってみる? 『鬼ごっこ』」


「っ、する!」


 面を上げると、コトニは意表を突かれたかのように長い睫毛を瞬かせていたが、やがて噴き出した。


「うん、やろっか。ムツキちゃんもそれでいい?」


「え、小生も?」


「もちろん。二人で遊んでも面白くないでしょ?」


「ええ……運動は苦手なんですけど……」


 『鬼ごっこ』のルールを知らないシロに、コトニは懇切丁寧に説明をしてくれる。

 追う役である『鬼』と逃げる役である『子』に人を分け、『鬼』に捕まった『子』は『鬼』となる。


 体力が続く限り永遠と続けられるのがこのゲームだ。


「ぼく、あんまり走ったことない」


「大丈夫だよ、流石に手加減するから。ね、ムツキちゃん?」


「えっ」


 意外とばかりに反応を示すムツキ。手加減をする気などさらさらないようだ。


「シロ氏に『鬼』、押し付ける気だったのに」


「そういうのよくないよ、ムツキちゃん」


「ゲームは弱肉強食なんですなぁ、残念なことに」


「じゃあムツキちゃん逃げる? アタシとシロちゃんで鬼するから」


「おっと、多勢に無勢ですかな? 集団リンチは倫理的によろしくないのでは?」


「ふっふーん、味方を作るのも強者の知恵だよ」


 バチバチと火花を散らす少女二人。どちらも舌戦には自信があるようで、一歩も引かない。


 その光景がひどく不穏に見えたのか、シロはおろおろと視線を漂わせた後、二人の間に割って入った。


「けっ、ケンカはだめだよ……!」


「大丈夫、ケンカじゃないよ。止めてくれてありがとうね」


 と微笑むコトニが頭を撫でてくれる。トモミと違って、腫れ物に触れるように柔らかい。シロは知らぬ間に目を細めていた。


「んで、『鬼ごっこ』やるなら外出申請出してくるけど?」


「ムツキちゃん、切り替え早ぁ……。そうだね、さすがに部屋の中でやるわけにはいかないし」


 ムツキとコトニは顔を見合わせる。シロはびくりと身体を震わせた。


「そ、外……?」


「外と言っても、『本当の外』じゃないけどね」


 外。世界の外。シロはそれに興味がないわけではなかった。扉の先に消えていくトモミを追いたい気持ちはいつも抱いていたし、純粋に、そこに何があるのか気になっていた。


 しかし、とシロはワンピースを掴んでうつむく。


「シロちゃん?」


 怖かった。未知へ踏み込むのが。いや、踏み出すのが。


 コトニが不思議そうに覗き込む。顔色の悪いシロに、何か異常を察知したらしい。あわあわと大仰にうろたえて視線を泳がせた。


「ど、どうしよ、ムツキちゃん……!」


「おいー、困ったらこっちに振るんかーい。ま、いいけど。――シロちゃんや、外が怖いかい」


 ムツキは慣れた手付きでトランプを片付けながら、世間話のごとく投げ掛ける。


 シロは答えられなかった。せっかくのチャンスだというのに、せっかく誘ってくれたのに。歯がゆくて仕方ない。


「……こりゃ前途多難ですわ」


「うう、ごめんなさい」


「ま、嫌なら無理にやらなくても――」


「っ、したい! 『鬼ごっこ』、遊びたい!」


 せめて『鬼ごっこ』だけでも。そうムツキに縋れば、彼女は少し気まずそうに視線を逸した。するとコトニが助け船を出す。


「室内でやれないかな? この部屋、結構広いし」


「不可能ではないでしょうな。……テーブルとかクッションとか、端っこにやっておきますか」


 コトニとムツキは、てきぱきとシロの部屋をいじっていく。ローテーブルは窓際に、ビーズクッションはベッドの上に。おもちゃはおもちゃ箱の中に。


 部屋の中を走り回った際に支障が出ないよう、空間を確保していく。


「じゃあこのアタシ、コトニちゃんが鬼だからね。十数えたら追いかけるよー」


 壁を向いたコトニがカウントを始める。十、九、八――数が小さくなると、不意にムツキがシロの肩を掴んだ。


 コトニとムツキを隔てるように立たされ、困惑の最中にあるシロだったが、これも『鬼ごっこ』のルールなのかもしれないと一人納得する。


「ゼロ――ええっ、盾にしてるの!? ムツキちゃん、倫理観ある? ほらシロちゃん、走って走って!」


「うぇえ!? はっ、走るってなに!?」


「まってそこまで浮世離れしてるとは聞いたことないんだけど!? ――はい、ムツキちゃんタッチ!」


 くるりと踵を返したコトニがムツキの肩に触れる。スウェットに包まれた足をもつれさせるようにして速度を緩めたムツキは、髪を振り見出して、今まさに自らを捕まえた鬼を顧みた。


「おまっ、阿呆じゃん!? 圧倒的に意味不明が過ぎる。さっきシロ氏を捕まえようとしてたじゃん!」


「へっへーん、油断してるムツキちゃんが悪いんだよーだっ」


「チッ、これだから陽キャは。マジ光。ま、いいや。シロ氏。捕まえてやるから覚悟しやがれ」


「ひゃぁああっ!」


 ムツキは容赦なくシロを追い立てる。シロはといえば筋肉のほとんどない、今にも折れそうな細足で懸命に逃げるが、不意に足がもつれて倒れ伏した。


 絨毯が衝撃を和らげて幸いにも痛みはなかったが、背後から迫るムツキは微塵も勢いを緩めない。それどころか手をわきわきと動かして、シロに影を落とした。


「やだぁっ、来ないでぇ!」


「ぐへへ、そんな悲鳴上げられるとそそられますなぁ」


「ひえっ、不審者……」


「聞こえてんぞ、コトニ氏。テメェのでかい乳から先に揉み解してやりましょっか」


 床を蹴ってムツキはコトニへと迫る。コトニは自らの肩を抱いて鋭い悲鳴を上げた。


「変態変態変態! サイテー、ムツキちゃん!」


「はっはっは。ほれほれ、もう追いついちゃうぞ~」


 速足で、しかし手を動かしながら迫るその様は、まるで昆虫のようだった。


 彼女が本気を出せば、シロなどひとたまりもない。しかしながら、『家』の隅で頭を抱えているわけにもいかなかった。


「む、ムツキちゃん、こっち!」


「シロちゃん……っ!」


 手を広げて、自分よりも大きな身体へと向き合う。シロの方を振り向いたムツキは、口角を引き上げて凶悪な笑みを浮かべていた。

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