#2 獅子の子落とし
「この慎ましやかな睾丸に秘める”子の元”で、
「う……は、ハラマセル? ハラマセルって何……?」
犬を前にした子猫のように、ぶるぶると身体を震わせるシロ。
彼女の脳内は混乱を極めていた。
言葉と意味がイコールで結ばれないのもさることながら、精通を迎えたばかりの十四才の少女だというのに子づくりを命じられ、人類の存亡を小さな両肩に乗せられる。さらに、鴨ノ羽トモミとの距離が近いということもある。
身体の変化と性知識の拡大は、シロを一歩大人の世界に連れ出すとともに、困窮を極めた未知の世界へと突き飛ばしたのだった。
「あっははは、本当に世間知らずなんだね!」
突然、一人の少女が腹を抱える。金髪のおさげが特徴な、人形のごとき少女。彼女は肩を震わせたまま、
「ごめん、ごめん、おもしろくってつい。――鴨ノ羽さん、そろそろアタシもその子と話してもいいかな?」
「ああ、もちろんだとも」
そう言って、ようやくトモミはシロの上から退く。いつもは落ち着くはずの花の香りが遠ざかり、シロはほうっと溜息を吐いた。
ようやく開けた視界の先では、三人の少女が依然として立っていた。
「はいはーい! じゃ、アタシから自己紹介しちゃうね。アタシは
未だ熱の引かないシロの顔を覗き込むように、少女は身体を傾けた。
豊かなおさげにリボン、カーディガン、スカート。ひらひらと視界をくすぐる物たちに、シロははくりと喉を震わせる。
よろしく――そう答えようとした声は音にならず、ただ空気とともに萎んでいった。
「
そう静かに、淡々と唱えるのは黒髪の美しい少女だ。凛と立つ姿はまるで花瓶に生けた花のよう。典型的な奥ゆかしい日本人女性、というよりは、その実情は切り立つ山の上に立つがごとく自立している。
かっこいい女性だ、鴨ノ羽トモミのように。シロは何となく親近感を覚えた。
自己紹介は最後の一人に差し掛かる。上下スウェットの寝起きのような姿の少女は、目に掛かるほど長い前髪の奥で、にたりと目を歪める。
「ヒヒ、どちらも必死ですな。……ああ、小生の番ですか。
「リアジュ……?」
「おっと初歩の初歩すら知らない感じですか? これはコミュニケーションに難儀しそうな予感」
ヒヒヒ、と特徴的な引き笑いをこぼすムツキ。いつかの絵本で見た魔女のような少女だ、シロは目をぱちくりとさせながら、引きつった笑みの少女を眺めていた。
トモミの言う「お嫁さん候補」は以上である。
三人、全く共通点のない少女たちは、いずれも三様の表情とともにシロを見つめていた。彼女たちからすれば、シロは「お婿さん」。希少な“子の元”の持ち主である。
珍しいのかもしれない。シロは早く布団の中に隠れたい気持ちになりながら、視線を一身に受けていた。
「……えーっと、この子はシロちゃん。みんな知っての通り――」
「ふたなり」
ムツキがぴしりと口にする。微かにトモミの表情が剣呑を帯びるが、それはすぐにいつもの穏やかな笑みの裏へと戻っていく。
「両性具有。女性器と男性器を併せ持つ、とてもいい子でかわいい子。みんなも気に入るはず。何たって、このお姉さんのシロちゃんだもの」
自信にあふれたその口調は、いつものトモミと変わらない。しかしどこか――微かにではあるが、節々に苛立ちのような、威嚇のような、ひどく厳しいものが含まれている。
オムツを履いていた頃から世話をしてくれていたのだ、大切なパートナー選びに際しては鬼になるのだろう。親とはそういうものだと、シロは本で学んでいた。シロはそう納得をつけて、ベッドから腰を浮かせた。
短毛の薄桃色のスリッパ。それがパタリと音を立てる。
「し、シロ、です。……えっと、コトニさんにユイさん、ムツキさん。ぼく、まだ勉強中で、たくさんイライラさせるけど、よっ、よろしくお願いします!」
「わあっ、すごい! もう名前覚えてくれたんだ!」
勢いよく腰を折るシロに、コトニが近づいてくる。人懐っこくヒマワリのように眩い笑みでシロの手を取った。
ふっくらと温かい手。緊張が一気に熱を帯びる。
「同い年同士なんだから、敬語なんて使わなくていいよ。アタシのことはコトニって呼んで!」
「こ、こと、に……?」
「そう、コトニ。『さん』も『ちゃん』もいらないから。ね? できる?」
幼子に言い聞かせるように、コトニは優しく唱える。コトニ、コトニ。ぐるぐると目を巡らせていると、ふと覚えのある手がシロの肩に乗った。
「付き合いは長くなるんだし、少しずつ慣れていけばいいよ。まずはトモミお姉さんから呼び捨てにしてみる?」
すりすりと肩を擦られる。からかう時の合図だ。
随分と昔、それこそシロが十歳前後であった頃は『トモミ』と呼んでいたものだが、いつの間にか『トモミさん』と呼ぶようになっていた。
すると、ふとユイが手を挙げる。
「鴨ノ羽さん、用が済んだなら戻ってもよいでしょうか」
「ん、何か用でもあるのかい?」
「練習があるので」
それだけ言うと、ユイは長い髪を揺らして
同年代の少女と全く接したことのないシロにとって、対話の相手が一人減るだけでもひどく安堵する。
知らず知らずのうちに強張っていた肩を緩めた。
「練習って、何のことだろう」
琥珀色の瞳を瞬かせて、コトニが呟く。それに応じるのはトモミだ。
「彼女、スポーツをやっていてね。このご時世に珍しいことだよね」
「ええっ、スポーツ!?」
かつて地球では、青空のもと身体を動かし競い合う『スポーツ』というものが存在した。
存在した、というのもおかしな話であるが、今となっては土地の枯渇や環境問題等によって競技人口が減り、スポーツの所以たる『競い合う』が叶わないのであった。
一九〇〇年代より受け継がれるラジオ体操程度の『運動』ならばシロも経験があるが、スポーツは歴史の授業で学ぶばかりであった。
「気になるなら直接聞いてみるといいよ、シロちゃん」
ふとトモミが話し掛けてくる。
「彼女なら答えを知ってるから」
これまでは鴨ノ羽トモミが全てをやってくれた。会話の仲介も食事の配膳も、着替えや本の取り寄せも。
しかし今の彼女はどうだろうか。
まだまだ手柔らかではあるが、いつかの映像で見た、子に親離れを促すシーンとよく似ている。
心細い気分になりながらも、シロはゆっくりと頷いた。
「さぁて、お邪魔虫はこの辺りで退散しようかな。それじゃ、御三方、ごゆっくり」
「えっ、えっトモミさん!」
行かないでと縋る。会ったばかりの人と三人きりにしないでほしい、せめてこの部屋にいて――口早に、彼女にのみ届くように囁くが、トモミは涼やかな目元を歪めるばかりだ。
「大丈夫だよ。何かあっても、ちゃんと見てるから」
「え、それって――」
意識が逸れた隙に、トモミの白衣はシロの手から逃れる。甘えを許さず、子を崖の底に突き落とすが所業に、シロの頭は真っ白になった。
プシュ、と空気の漏れる音と共に、扉は閉じてしまう。じっと見つめてみるも、部屋に似合わぬ冷たい扉は、ぴくりとも動かない。いつものように。
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