3

 すると丁度そんな僕らへ助け舟を出すかのように料理を持って来た店員さんがやってきた。新たな料理をテーブルへと置き、食べきったお皿をまとめ個室の外へ。

 僕らはさっきの沈黙を引きずったままその料理を小皿に盛ってはお酒を口へと運ぶ。


「アタシさ……」


 それは突然で不意の事だった。グラスを口から離したばかりの空さんは、そう言うと焦らすように続きを言わずそのグラスをテーブルへ。その間、僕は逆にお酒を一口。ただ黙って空さんの続く言葉を待った。

 僕がグラスを置くまで続いたその沈黙の後、空さんはそっと僕へ視線を向けては口を開いた。


「本当は――あんたの事、嫌いだったんだよね」


 呟くように放たれた言葉。僕はなんと返していいか分からず、停止してしまったように動けないでいた。

 でもその間もじっと見つめ続ける空さんの視線。


「……ごめん」


 だけどその言葉と共にその視線は逸れ、空さんはまたグラスを口へと運んだ。


「……いや」


 そんな彼女に依然と何て言っていいか分からず、誤魔化すように僕もお酒を口にした。


「実はアタシさ……」


 すると先程を再現するような切り出しで空さんがそんな言葉を続けた。僕は思わず心の中で身構える。


「好きだったんだよね」

「好きって、誰が?」

「――陽咲」


 何を今更、僕はさっきの身構えが要らなかったと思いながら内心ホッとしていた。


「分かってるよ。だって昔からの付き合いでしょ? 親友だし、何だったら僕より付き合い長いし」

「そうじゃなくて」


 思わず首を傾げる僕を空さんは真っすぐ見つめた。


「恋愛的に」


 別にそういう人を差別してる訳じゃないし、特に何か思ってる訳でもない。でもそれは初めての体験で、相手の事も考えるとすぐには返す言葉が見つからず、結果的に僕は沈黙という返事をしてしまっていた。


「ごめん」


 僕から外れ落ちる視線。なんだか自分がその言葉を引き出してしまったようでどこか罪悪感が僕の中には生まれた。


「いや……ただ、何て言ったらいいか分からなくて。その――いつから?」

「んー、どうだろう。多分、気付いたのは大学かな」

「ちなみに、それを陽咲には……」

「言ってない。関係が壊れるのも嫌だったし。まぁ、そんな事ないとは思うけど。なんか怖くて」


 突然の告白に僕もどうしていいか分からず、隙間のような沈黙が生まれてはただお酒を口にしては料理を食べるだけ。


「どっちでもいいんだけどさ。一応言っとくと、レズっていう訳じゃなくてどっちも。バイってやつになるのかな。実際にこれまで付き合った人は全員男だし」

「っていう事は女性は陽咲が初めて?」

「よく考えたらそうかも。でも別に昔からそういうの気にしないし」

「そう。――でも何で僕に?」

「――分かんないけど。なんか言っといた方が良いかなって。あんたの奥さんをそう言う風に思ってた訳だし……」

「そうだったんだ。でも言ってくれてありがとう」


 確かに動揺はあったけど、別に何か思った訳じゃない。けど、変に本当は何かを思ってるって思われたくなくて僕は平然を装いながら料理を食べた。


「それとさ……」


 次は一体どんな告白をされるのか。僕は少しだけ体をビクつかせ、空さんの言葉に耳を傾けた。


「キスもしたことあるんだよね。あんたらがもう結婚してた時に――酔っぱらって。でも陽咲はアタシがただ酔って悪ふざけしただけって思ったみたい。アタシには好都合だったけど。――だから、それはごめん」


 僕はそこで改めて空さんの顔を見た。俯かせ眉間に皺を寄せた顔。

 辛そうで、苦しそうで――僕はそんな告白なんかより、その表情が気になった。


「今でも――好きなの? 陽咲の事が」


 空さんは視線だけで僕を見た。

 そして、そんな視線を逸らしてから申し訳なさそうに答えを口にした。


「愛してる――かもしれない」


 何かを堪えるようなその声は今にも泣き出しそうにも思えた。それでいてどこか申し訳なさそうで。


「……ごめん。言わなくてもいいのにこんな事、わざわざあんたに言って。――でも。だからこそ、アタシも陽咲があんなことになって……」


 それ以上は泪が邪魔をして声にならなかった。出来る限り泪を堪える空さん。僕はそんな彼女をただ見つめる事しか出来なかった。

 少しの間、個室に響く彼女の鼻を啜る音。


「アタシあの葬式以来、一回もお墓参りに行けてなくてさ」


 間を埋めるように聞こえたのは、空さんの鼻を啜る音だった。


「なんか。お墓を目の前にしたらより一層、陽咲の死を実感しそうで……。それに陽咲をより一層近くに感じそうで。そうなったらアタシ、耐えられないよ。また会いたくなっちゃう」


 最後の言葉は震え、空さんは今にも泣き出しそうだった。もしかしたら俯かせたその顔は既に泣いているのかもしれない。

 でもそれよりも僕は、彼女の言葉を聞いて――痛すぎる程にその気持ちが理解出来て、思い出したその気持ちを堪えるのに必死だった。陽咲を近くに感じては、また彼女に触れたいと思う気持ち。あの日々のように彼女に対して湧き上がった愛を、温もりと匂いと肌の柔らかさと愛おしい顔と――全てで満たしたいと思う感情。そしてまた僕は君を愛し、愛されたい。

 このままだと想いが雫となって零れ落ちる。そう思い僕はそれらごと流し込むようにお酒を呷った。


「なんかごめん」


 そしてどうして空さんが僕を避けていたのか、その理由が分かった僕は彼女に一言謝った。別にそんな必要が無い事も分かってたけど、なんだか申し訳ない気持ちになってて自然と口にしていた。


「でも、どうして今は一緒に?」


 僕と同じようにお酒を呑む彼女に当然の疑問を投げかける。


「なんかバカらしくなってさ。言った通りあんたを嫌ってたのってただの嫉妬な訳じゃん。しかも自分は伝える勇気も無いくせに。ただの我が儘な嫉妬」


 一瞬、下唇を噛みしめた後にまたお酒を流し込む。


「陽咲はずっとアタシとあんたと三人でご飯食べたり遊んだりなんて事したがってた。でもアタシはあんたに嫉妬してて、一緒にいるのが嫌だった。だから陽咲も気を遣ってそんな事言わなくなったんだよね」


 彼女は軽く肩を竦め、呆れた笑みを浮かべて見せた。


「バカじゃんそんなの。自分の変な我が儘で好きな人に悲しい思いさせたり、楽しみを奪ったりしてさ。それに陽咲はあんたと一緒で幸せそうだった。本当はアタシが隣でそうさせたかったけど……でも、そうじゃなくてもあんたは陽咲を幸せにしてくれてる。あんたはそんな陽咲の愛してる相手。お礼のひとつやふたつあったとしても勝手に嫌ったりするのは違うかなって。だから――」


 一秒か二秒。もっと短かったかもしれないけど、次の言葉まで一瞬の間が空いた。


「ありがとう。陽咲を幸せにしてくれて」

「――いや。幸せにしてもらってたのは僕の方だよ」

「そりゃそう。だって陽咲と結婚したんだから」


 すると空さんは冗談交じりで揶揄うようにそう言ってきた。ここで沈痛な雰囲気は終わりと言うように、笑みを浮かべながら。それに釣られ僕も笑みを零す。

 僕らは二人して小さく笑い合った。


「でも、もっと早く――こうなる前に気付けてれば良かった。今更じゃ何の意味もないし」

「少なくとも僕らはこうして仲良くなれたけどね」


 そう言って僕はグラスを空さんの方へ差し出すように近づけた。


「一番大切な人がいなけどね」


 空さんは僕らの隣にある空席を横目で見た。

 それから遅れてグラスを持ち上げた。


「これからもよろしく」

「アタシの方こそ」


 個室へ穏やかな波のように響くグラスの音。

 それは陽咲が一番望んだ光景のはずなのに、肝心な彼女だけがいない空間で叶った願い。

 それからも話をしながらお酒と料理を楽しんだ僕らだったが、それ以来お互いに暗黙の了解とでも言うように陽咲の話題だけは口にしなかった。

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