夕日の残り香

1

 仕事終わり、僕は翔琉の呼びかけで集まった五人で居酒屋へ。最初の一杯目。全員がほぼ同時に一口を喉へ通した。


「あぁ~。何で仕事終わりに呑む酒はこうも旨いかねぇ」


 個室へ響く翔琉の声。


「お腹減ったぁ。何食べよっかなー」


 別にそんな決まりがある訳じゃないけど、暗黙の了解とでも言うように僕らは初めてからずっと同じ席順で座っていた。翔琉と先輩が並び、その向かいに圭介と彩夏。僕は圭介と翔琉の間の一人席。

 でも今日は何故か彩夏と先輩が逆。それも彩夏が一歩先にいつもの先輩の席へ座り、先輩は(別に何とも思ってないと思う)空いた圭介の隣へ。僕は特に訊きはしなかったが少しだけ疑問に思っていた。誰も訊かなかったのは多分、翔琉は席順なんて覚えてなくて先輩は全く気にしてないからだと思う。


「アタシいつもの」

「りょーかーい」

「俺は焼き鳥盛りと冷ややっこ食いてーな」

「やっこ? 珍しいじゃん」

「僕はもつ煮込み食べたいな」

「おっけー」


 タブレットで自分の食べたい物を選びながら周りから受けた注文を入力していく彩夏。


「オレよだれ鶏」


 だけど何故か圭介の言葉にだけは返さず、それどころか見向きもしない。まるで聞こえてないみたいに。


「おーい。彩夏。オレよだれ鶏食いたてーって」


 すると彩夏は隣でビールを呑む翔琉の肩を叩き呼んだ。


「向かいのバカに、うっせー自分で頼め! って伝えて。あとこれも付け加えてね」


 翔琉はジョッキを置くと圭介の方を向いた。


「うっせー自分で頼め!」


 言われるがまま中指を付け加えて。


「何でだよ! っていうかお前もやるんじゃねーよ。聞こえてるっての!」

「それじゃあもうないね? 注文するよ?」

「だからオレの――」

「はーい。ちゅうもーん」


 圭介の言葉を遮り彩夏はこれ見よがしに注文ボタンを押した。確認するまでもなく二人は喧嘩してるらしい。幼馴染らしく基本仲が良い二人が喧嘩をするのは――思えば見た事が無いかも。というか喧嘩自体はしょっちゅうしてるけど、どれも喧嘩するほど仲が良いという言葉が似合う感じでここまで本格的なのは初めてだ。

 彩夏の手から離れたタブレットを手に取り遅れながら注文をする圭介。そんな彼に僕は近づき少し小声で尋ねた。


「どうしたの?」


 タブレットを戻してから僕を見た圭介の表情は言外な溜息を零していた。


「さぁーな。アノ日なのかも」


 説明されなくてもそれが何を意味するかは分かった。

 すると言葉の後、ビールを呑もうとした圭介へ横から先輩の顔が近づく。


「それで片付けたらダメでしょ。もしそうだとしてももっと気を使え」


 叩くと言うにはあまりにも優しく先輩は圭介の頭を叩いた。


「だとしても何でオレが?」

「アンタに怒ってるみたいだし、それに幼馴染でしょ」


 それを受け流すように圭介の顔が僕へ向く。


「アンタ同僚でしょ」


 先輩を真似ねながら圭介は頼んだと言わんばかりの表情を浮かべていた。

 そんな彼の頭へ再び先輩の手が落ちる。でもそれは変に真似された事に対してだろう。


「僕よりも圭介の方が知ってるから。協力はするからさ」

「はぁー。何でオレが……。まぁ取り敢えず今日のとこはひっそりして逆鱗に触れないようにするさ」


 それからも彩夏と圭介が直接話すこともなく呑み会は続いた。時間的に言えば一、二時間ぐらいで恒例のように真っ先に酔い始める彩夏と翔琉。


「そーいえば、先輩って家でどんな感じなんですかぁ?」

「何が?」

「だからほら、彼氏? 旦那? 分からないですけど、その人の前でどんな感じなのかなぁーって」

「普通」


 酔いの所為で若干ながら赤くなった顔で見つめる彩夏に対し、顔色一つ変えず答えた先輩はお酒を一口。

 にしても以前にも聞き覚えのあるような会話だ。多分、前回もそして今回も酔った勢いの彩夏は覚えてないんだろう。


「その普通を聞きたいんですよ!」

「相手は年下でしたよね?」


 先輩の返事は聞かず、翔琉は彩夏へ視線を向けると妄想のような予想を語り出した。


「だからやっぱり相手は犬系で先輩が甘えを受け入れたり突き放したりだろ。なんてんだろう。リードを握ってるみいな」


 だがそんな翔琉に反論し、彩夏は立てた人差し指を振りながら舌を鳴らした。


「わーってないね。意外と外面がこうな女は、男の前じゃ甘えるタイプだったりするんだってば」


 そう言うと彩夏は調整する為に喉を鳴らし指を交互に組んだ手を顎傍へ持ち上げ、顔を少しだけ斜めにした。


「えり、寂しいぃ。ギュってしてくれなきゃイヤ!」


 お見合いモードの時と似た甘え声に潤んだ瞳の上目遣い。

 それを正面で見ていた先輩の眉間には明らかに苛立ちの皺が寄る。


「圭介」


 視線は彩夏に向けたまま先輩は圭介の肩を叩いた。

 そして少しだけ身を寄せ特に小声にすることもなくこう伝えた。


「アイツに、うっせーぶりっ子が。早く結婚してみろ! って伝えて。あとこれも付け加えといて」


 最初の彩夏を再現しながら圭介に中指を立てた手を見せる先輩。

 一方それを受けた圭介は一度彩夏を見るが、彼と目が合った瞬間に鬼の形相を浮かべられすぐさま視線を先輩へと逸らした。


「すみません。無理です。いつもならいけるんですけど、今日は無理です。状況分かってても冗談じゃ済まなそうなんで」


 先輩はそれを受け体を戻すと小皿に取った何度目かのだし巻き卵の一口分を口へ。


「まぁ別にアンタらがどう思おうといいけど、期待してるよりホント普通だから。何も変わんないし。――ていうかアタシの私生活聞いて何が楽しんだか」


 溜息交じりで僅かに肩を竦める。


「えー。楽しいですよ。やっぱり先輩って意外と私生活はギャップありそうじゃないですか」

「勝手に期待すんなって」

「えー。そのまんまなんてつまんないですよぉー」


 一人勝手に頬を膨らませ駄々を捏ねるような口調の彩夏。


「アンタの楽しみなんて知らないっての」


 それから相変わらず彩夏と圭介の会話は無く、呑み会は終わりを迎えた。このメンバーでの呑み会はあまり高頻度で行われる訳じゃないからか、最早恒例のように先輩が奢ってくれる。今回も例外なく。

 そして一足先に店先へ出た僕ら。彩夏は毎回のように酔っぱらうのだけど、珍しく今回は足元が覚束ないほどに酔いが回っていた。


「おい。お前呑み過ぎだろ。ったく。――ほら圭介、あと頼んだ」


 そう言って凭れかかる彩夏を圭介に渡そうとするが、彼女は翔琉に抱き付く。


「翔琉ぅー。家まで送ってよぉー。見捨てないでよぉー」

「はぁ? いつも圭介と帰ってるだろ。家近いし」

「んー。ヤダ!」

「俺もヤダ! だってこれから俺は、最近いい感じの子の家に行くんだもん!」


 語尾を弾ませ自慢げな表情だった。


「えー! ――ゴム持った?」

「うっせ! とにかく、だから圭介ほら!」

「えぇー」


 いつもならば一緒に帰り、酔っぱらった彩夏に肩を貸す圭介だったが、今日ばかりは不満気だった。理由は明確だろう。

 しかもそれは酔いながらも彩夏も同じだったらしい。翔琉の元を離れ、今度は僕の方へ。


「蒼汰。送ってよぉー」


 でも僕はこれを二人が話し合ういい機会だと思った。


「圭介に送ってもらいなよ。だって僕、反対側だし」

「えぇー! あたしを裏切るっての?」

「だってそうしたら終電間に合わないもん」

「――じゃあ。あたしの家に泊まってけばいいじゃん。蒼汰ならいいからさぁ」


 中々引かない彩夏に僕は思わず圭介へ目をやる。その視線に彼は静かに溜息を零した。


「おい、彩夏。迷惑かけんなよ。ほら、行くぞ」


 自分自身、迷惑だという自覚があったのか不満そうにしながらも彩夏は圭介に引かれるがまま駅へと向かった。


「んじゃ、俺も行ってくらぁ」

「うん。また明日」

「じゃーなー」


 二人の姿を見送るより先にそう言って翔琉も行ってしまった。

 一方、僕はそれから少しだけ待ち会計を済ませた先輩が出て来るのを待っていた。

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