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 すると僕があれやこれやと思考を巡らせていると、視界端で先輩がポケットから何かを取り出し口元へ。その動きに釣られ思考とは別に視線だけが移動し先輩の顔を見た。

 でもその瞬間僕の思考は停止。それどころか一驚に喫し言葉すら失った。

 先輩は何食わぬ顔で煙草を一本咥えていたのだ。まだ火は点いておらず手にライターも持ってはいなかったしその素振りも無かったが、僕はじっと先輩を見ずにはいられなかった。

 当然ながらそんな先輩を僕のみならず本部長も見ていた。

 でも僕とは相反し、表情に吃驚の類はない。


「何だ? また禁煙し始めたのか?」


 その口調は平然とし、熟れた様子。


「まぁあ。今度こそは、ってやつですよ」


 声に合わせ上下する煙草。


「なら頑張れよ。だが――」


 言葉が途切れると伸びた本部長の手がその煙草を連れ去り取り上げた。


「火を点けないとは言えこんなとこで咥えるな」

「どーも口がもどかしくて」

「ならこれでも食ってろ」


 そう言って煙草をポケットに仕舞った本部長が代わりに差し出したのは棒付きの飴だった。


「本部長様も糖分控えた方が良いですよ」

「余計なお世話だ」


 本部長の返しを聞きながら笑みを浮かべつつ飴を受け取った先輩。早速、煙草の代わりに咥え始めた。

 そんなやり取りを置いてけぼりにされながら見ていた僕へ本部長の視線が戻る。


「それで? どうだ?」


 それはまだ何も決めきれてないにも関わらず、先輩に気を取られ思考停止していた僕の不意を突く声。

 我に返ると同時に答えないといけないという責任感や義務感にも似た気持ちが僕を急かした。


「えっ? あっ――はい。分かりました」

「よーし! それじゃあまた後でコイツ通して連絡するからな。待ってろ」


 本部長は麻姑掻痒な結果に満足気な様子でその場を後にした。

 一方、僕は焦った末に望まぬ返事をしてしまい何とか取り消したい気持ちが声にならない声となりただ本部長の後姿を見送るしかなかった。


「それじゃ、仕事に戻ってどうぞ」


 そんな僕の肩をポンっと叩き自分のデスクへと戻る先輩。

 そしてその場で(心の中で)溜息を零した僕は仕事へと戻ろうとしたが――。


「ちょっと待って」


 先輩に呼び止められ僕はくるりと体を戻す。


「これ捨てといて」


 そう言って先輩が手渡してきたのはまだ半分ほど入った煙草の箱。


「いや、そこにゴミ箱あるじゃないですか」


 僕は受け取る前に先輩のデスク傍にある小さなゴミ箱を指差した。


「こんなとこに捨てて欲望に負けたらどーすんの。喫煙者舐めるなよ」


 何故か少し堂々とした様子の先輩。

 別に断るほど面倒という訳でもないので、僕は自分にとっては今の現状を引き起こしたその忌まわしき煙草箱を受け取った。


「絶対に禁煙してくださいね!」


 僅かに湧き上がってきた苛立ちと私怨を籠め、僕は箱を握り潰しながら先輩にそう言った。まるで自分が犠牲になったのだからとでも言いたげに。


「煙草に恨みでもあるわけ?」

「いえ……でも頑張って下さい」

「はいよ」


 それから吸ったことも無い潰れた煙草箱を片手に僕は仕事へと戻った。

 その日の退社後、予定の無かった僕は陽咲に会いにあの場所へ。これまでのように彼女に会うと少し雑談を挟み、尋ねられたからしょうがなくあの本部長からの話をした。


「えっ! ホントに?」

「うん」

「えぇー!」


 当たり前だけど予想だにしてなかったんだろう、陽咲は言葉を失ったように少しの間だけ何も言わず僕を見つめ続けた。


「その中々の企業ってどこか訊いた?」

「そう言えば聞いてなかったかも」


 確かに言われた時は多少気になりもしたけど、最終的にはそれよりも色々とあったから。


「でも君のとこの本部長が言うんだから、結構スゴイとこなんだろうね」


 何故か僕よりも意気揚々とした陽咲。


「相手の人の写真って見た? どんな感じの人だった?」

「先輩を通じて連絡するとは言ってたけど、その時は写真は見せて貰ってないかな」

「そっか。でもまぁ、見た目とかだけじゃないからね」


 人は見た目じゃない。世間一般ではそれが綺麗とされているけど、僕は正直に言ってそんな風潮に疑問を覚えていた。他の誰かが言っていたら「そうですね」と流していたとこだけど、相手は陽咲だし思っていた事が口から零れ落ちる。


「人を好きになるのに見た目じゃないってよく言うけど――実際、見た目も結構重要じゃない? まぁ、見た目が良いの定義は人それぞれだけど……でも、結局は自分が綺麗だったり可愛いって思う人の事を好きになるんじゃないかな? もちろんそれだけじゃないけど」


 僕のその言い分に対して陽咲は「んー」っと少しだけ何かを考え始めた。

 そんな彼女を僕はただ黙って見つめる。何も考えずただじっと、見つめていた。自然と記憶の陽咲と目の前の彼女が重なり合う。狐面が消え、陽咲の顔が見えてきた。僕が愛してやまない彼女のその頬に触れたくて手が動く。

 でもすぐさまそれを別の記憶が止めた。手を握り締め気持ちを押し殺し、僕は視線を逸らした。


「君が言う事も分かるよ」


 すると丁度そのタイミングで返事を口にし始めた陽咲に僕は逸らしていた視線を戻した。


「実際、一目惚れとかって見た目が殆どを占めてると思うし。だから私の中では好きになる要素って大まかに二つに分かれると思うんだ。一目で分かる外見と時間を掛けないと分からない内面。どっちかが満たされれば私は相手を好きになれると思うんだ。まぁ、その人の割合にもよるけどね。でもそのどっちかが大きく満たされてれば人は相手を好きになると思う。自然ともう一方も良く思えてくるって言えばいいのかな」

「その――ちなみに陽咲は僕の……どっちを好きになったの?」


 別にどっちが良いって訳じゃないけど、僕は答えられた逆が彼女の好みじゃなかったと思いそうで恐々としながらそう尋ねた。


「んー」


 宛ら判決を待つ被疑者のような気持ちの中で僕は陽咲の答えを待っていた。


「分かんない。でも最初に君を見たあの映画の途中で一目惚れしたって感じじゃなかったし、そう考えたら中身なのかも。だけど……強いて言えば中身が七で外見が三かなぁ」


 脳内の記憶と照らし合わせているのか少し斜め上を向く狐面。


「そう言う君は?」

「僕? 僕は……」


 陽咲の答えが気になり過ぎて質問をされ返すとは思っても無かった僕は慌てるように想い出を遡り始めた。少しの間、過去の気持ちを丁寧に思い出してみる。


「分かんない。五分五分かな? 出会ったあの日、食事に行って気が付いたら君が忘れられなくなってたから。今からじゃ全部が好き過ぎて分かんないよ」

「って言う事は、外見がゼロでも取り敢えず中身が見える程に関われればチャンスはあるってこと?」

「まぁ、生理的に無理って感じじゃなければ一応、友達になれる可能性はある訳だし。そこから中身で外見も突破出来る可能性はあるんじゃない?」

「でもよく考えたらもう一方が良く見えてくるんじゃなくて、許容や妥協出来るようになるってパターンもあるか」


 そう言ってうんうんと頷く陽咲。


「どちらにせよ次はその人に期待だね。しかも上手くいけば逆玉じゃん。凄いじゃぁーん」


 陽咲は距離を保ちながら(素振りで)僕を肘で突いた。

 こんな時でさえ触れる事のない僕ら。僕は一瞬だけその空白を見つめてしまっていた。


「別にそういうのはどうでもいいよ」

「まぁ逆玉狙ってたら私なんかと結婚してないか」

「そういうこと」

「む! 失礼な! ――でも正しい。給料も貯金も普通だったし」

「でも陽咲も僕を選んでくれたって事は玉の輿なんて狙ってなかったって事でしょ?」

「まぁそーだけど。一応、私も子どもの頃は白馬の王子様とかは夢見てたよ」


 指を交互に組み合わせた祈るような手を顔横にしながら陽咲は懐古の念を帯びた声でそう言った。


「白馬にも乗ってないし、王子様じゃなくてごめん」

「確かに君はそういう感じじゃないね」


 少し意地悪に言ったつもりだけど、陽咲は更に意地悪で返してきた。


「でも白馬の王子様なんかよりもずっと君の事、好きだよ」


 僕は不意打ち的なその言葉に腑抜けた顔にならないようにするので精一杯だった。堪え切れない笑みを零しながらもすぐさま顔を夕焼け空へと逸らす。遅れて体を顔と揃え、欄干へ手を乗せた。


「それにやっぱり新しい相手にも私と同じぐらい君を好きでいて欲しいかな」


 数秒の間が空いた後、聞こえてきた陽咲の言葉に自分の顔からそっと笑みが消えていくのを感じた。なんだかファンタジーの世界から一気に現実へ引き戻されたような気分だ。


「でもまずは君が気に入るといいね」

「――そうだね」


 機械のようにただ作業的に。僕は空を見つめながら返事をした。

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