第34話:【まひる】求める境界線

 真っ白なテーブルに突っ伏し、向かいに座る真由美へスマホを突きつける。


「気付いてないみたい」


 昨日の月曜日、空上さんに送ったRINEの画面。彼女はグレーの袖を伸ばし、スマホを受け取った。

 何度か上下に画面を動かし、笑う。ちょっと堪えようとした感じに、私は親友を睨みつける。


「ベタだねー。気付いてほしいなら、そのまんま打てばいいのに」

「ほんとに気付かれたら恥ずかしいでしょ。それにこんな突然、びっくりさせちゃうし」

「まあね」


 表参道の裏路地に建つ、ガラス張りのビル。外からも丸見えの階段を上ると、二階の面積をいっぱいに使ったお店がある。

 ネットで調べてもガイドブックを見ても、必ず高い評価の洋菓子屋さん。一つ千円のチョコケーキを、真由美は大胆に取って口へ運んだ。


「うまっ」

「ちょっともらっていい?」


 断られるのは想定してない。答えの前にフォークを伸ばし、サイコロくらいを奪い取る。

 表面のチョコがほんのり硬い。でも音もなく割れて、チョコクリームと見紛うようなスポンジと混ざり合う。


 アルコール臭さのない、洋酒の香り。鼻から息をしている間にも溶けていく、チョコ生地。

 綿菓子みたいにあっけない。だけど厭味のない甘さ、アーモンドとバニラの風味がいつまでも残る。


「これで千円はむしろ安いね」


 高さも直径も五センチくらいの、円柱型のケーキ。値段だけ先に聞けば身構えてしまう。

 しかし真由美の言う通り、どうやったら千円で提供できるか不思議なくらいだ。


「うん、凄い」


 渋味の強い、濃く入れられた紅茶を飲んで、次は私の緑色のケーキ。

 見た目にメロンぽい色合いだけど、食べてみれば見事に裏切られる。さっきのチョコを一撃で駆逐する、鮮烈な酸味。ライムムースだ。


 もちろん酸っぱいだけじゃなく、ココナッツの甘さ。トッピングされたホワイトチョコも。

 甘味と酸味が渦を巻き、舌先からお腹まで突き抜ける。同時に鼻から、上品な香水めいた風が抜ける。


「ふうっ」


 と。背すじを伸ばした私は、大きく息を吐いた。


「参った?」

「当たり前でしょ。比べるのもおかしいくらいレベルが違うもん」


 私のを食べた真由美も、しきりに鼻から息をしてる。しばらく堪能した私たちは、揃って紅茶とコーヒーを飲んだ。


「でもやっぱり分かった。私が働きたいのは、こういうお店じゃない。五百円玉で二つか三つ買えるようなのがいい」


 切羽詰まってるのに、何を今さらと思う。だけど毎日毎日あちこちの洋菓子屋さんを巡ってると、どんなお店を探してるのか分からなくなる。

 私の希望通りに行くとも思ってないけど、間違いなく違うっていう基準を確かめに来た。


「だね。あたしもこんなの、お土産よろしくって気軽に言えないもん」

「もー、私は真剣なのに」

「あたしもだよ」


 真由美の誠実さは置いといて、やっぱり吉祥寺のカフェしかないのかなと思う。昨日、池袋を回ってみても、私のイメージするようなお店は見つからなかった。


「あんたも忙しいね。自分のことと、空上さんのことと」

「真由美が言ったからでしょ」


 そうだ。いかにも人ごとっぽく言うこの真由美が、余計なことを吹き込まなければ。

 私は働くお店を探すのに集中できたし、彼に投げかける言葉の一つひとつ悩むこともなかった。


「そうねえ、余計だったねえ。じゃああたし、空上さんに誰か紹介しようかな。彼女ができれば、変なことも考えないだろうし」


 真由美は自分のスマホを取り、今にもどこかへ連絡するふりをした。悪い冗談と分かってても、妨害の手を伸ばさずにいられない。


「だからそれは、私がやるの」

「なら、早く伝えたほうがいいんじゃない? 先を越されない保証はないよ」

「そうだけど……何か知ってるの?」

「さて、どうだろ」


 自分の気持ちを知らなきゃ、伝える機会を窺うこともできない。だから真由美のしたことは、本当は余計じゃない。

 けど、思わせぶりな声が意地悪だ。ニヤつくほっぺをつねろうとして、逃げられた。


「あ、RINEが」


 不意に、テーブルに置いたスマホが鳴る。ニッフィーのケースが、木の天板をカタカタ振動させた。


「空上さんだ」


 声が弾んでしまう。我ながらあからさまで、現金だなと呆れた。だけど抑え方が分からない。


【空上晴男】明日、時間ある? 俺休みなんだけど、ちょっと話せるかな。


「何て?」

「うーん? 明日お休みみたいなんだけど、私は時間あるかって。何だろ」

「何でもいいじゃん。会おうってことでしょ」

「何でもいいって」


 言い方に抵抗はあっても、その通りだ。彼の顔を見られるなら、それは嬉しい。

 だけど何か気になる。嫌な予感というか、ざわざわする。


 空上さんと会うのは必ず、私を助けてくれる時だ。彼のために何かしたのは、まだ一度もない。


「お店探しを手伝う、とかでもないみたい。ほんと、何だろう」

「んー、どうかな。心配する理由はないと思うよ」


 私が聞いてるのに、真由美は自分のスマホへ手を伸ばした。いくら操作したって、そこに答えはないでしょと言いたくなった。

 ただ、心配する理由がないのもたしかに。たとえば優しい空上さんが気紛れに、息抜きでもしなよと言ってる可能性のほうが高い。


「そんなに心配なら、何の用か聞けば?」

「嫌な答えだったら怖い」

「空上さんがそんなこと言う?」

「絶対言わない」

「じゃあいいじゃん」

「でも怖い」


 分かってる、真由美の言うのが正しい。たぶん私が怖れてるのも、嫌な答えじゃない。


「だいじょぶだって。何もかも解決したとして、じゃあこれっきりとはなんないから」

「本当?」

「あんたが言えば、地球の裏側まで来てくれるって」

「それは言いすぎ」


 私の不安を、真由美が慰めてくれる。

 超能力者みたいな幼なじみを心から信頼してるけど、こればかりは相手のあることだ。空上さんに聞いてみなきゃ分からない。


「うん。決めた」


 何時でも大丈夫とだけ、返事をした。空上さんはどんな時も、私をがっかりさせることはない。

 もし。仮に。万が一。良くない話だったとして、勝手に結末を決めたりはしない。

 だから詮索しないで、任せることにした。


「何だか知らないけど、ちょっとくらい用事を書けばいいのにね」

「きっとそんな軽々しい話じゃないんだよ」

「はいはい。そう思えるなら、あたしが言うことはないね」


 いつも通り私の味方をして、空上さんを責める真由美。なのに私が裏切った。

 彼女は「ふぇっ」と変な息を吐いて、残りのケーキを食べ尽くす。呆れられたらしい。


「ああ、うん。やっぱり大丈夫っぽいよ」

「え、空上さんに聞いたの?」


 真由美のスマホからも、着信音がした。まさか直接確認したのかと思ったけど、首が振られたのは水平にだ。


「ううん、勘」

「ええ?」


 本気か冗談か、どっちだろう。そんなわけないでしょと何度言っても、真由美は勘だと言い張った。

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