第30話 『春風祭 剣聖』

 その場にいた誰もが驚き、動揺した。

 当たり前だ。最強の真武六修人の一人がこんなとこにいるなんて、誰が予想できるかよ。


「待て待て待て! オレは騙されねぇぞ!」


 後ろに立つ兄貴が吠えた。


「自慢じゃねぇが、オレは本物の剣聖を見たことがあるんだ。その人はお前よりもっと年上の女だった。つまり! お前は偽も」

「本物だよ」


 否定の声は、兄貴の顔に金の入った袋を投げつけたティアさんのものだった。

 リリィと名乗った剣聖は、その言葉に頷いた。


「たぶん、その人は……私のお母さん……先代の……剣聖……二年前……変わった、の」


 さらにどよめく観客たち。

 いつの間にか、どんどん人の壁が増えていってる。


「だから……私……そのことを、広めるために……旅を……してる……新しい……剣聖の……名と顔を……」

「そ、それが本当だとして、どうやって剣聖って証明するんだよ!」


 兄貴はさっきより距離を取って、まだ噛みつく。

 俺もそれは気になっていたが、自称剣聖はおもむろに服を脱ぎ始めた。


「は!?」

「な、なにしてやがる!」


 止める声にも興奮して茶化す声援にも反応せず、傷だらけだけど白くて澄んだ肌を見せる。

 

 だが、全員が息を飲むことになった。

 背中に彫られた大きな刺青が、声をかき消した。


「これは……代々……体に彫る……剣聖の……証」


 細い声が遠くに聞こえた。

 たぶん、俺は他の人たちとは違う意味で驚いている。

 背中の刺青は紋様じゃない。

 この世界にとっては同じものかもしれないけど、俺にとっては違う。

 

 あれは漢字だ。


「そして……代々剣聖にのみ……読み方が伝わる……初代の……名前……」


 けれど、俺にも読める。

 いくら馬鹿だった俺でも分かる。

 そして、知ってる。


「……その名は……」


 だから、剣聖の言葉を待たずに呟いてしまった。


「佐々木小次郎」


 次の瞬間、俺は目を合わせていた。

 黒い瞳に映り込む自分自身と。


「なっ」


 速すぎる。

 振り向いて走ってくる動作のすべてが、まったく見えなかった。それどころか反応すらできなかったし、この距離に入るまで気づくこともなかった。


「なんで……知ってる? 読めたの? きみナニモノ?」


 細くて小さな声が、とんでもない切れ味を持っているようだった。

 全身を見えない刃物に囲まれて、内臓にすら突きつけられている感覚がある。


「き、気になり、ます、か」


 強がりの笑顔で答えてやった。

 でもダメだ、声も体もガクガク震えて立っているのが不思議なくらい。死ぬ気で張った虚勢もガタガタだ。


「おやめ、リリィ」


 鼻がくっつきそうになっていた顔の間に、煙管の煙が吹きかけられた。


「……ティアさん……なにか……知ってる?」

「知らないよ。あたしも驚いてるんだ。でも、それは後回しにしときな。ここは祭りのど真ん中、野暮なことは遠慮してもらうよ」


 すげぇ。

 こんな異次元の相手にも、全然怯むことなく向かい合ってる。

 兄貴なんて人混みに紛れて、どこに逃げたのかも分からねぇのに。


「分かっ……た」


 リリィが離れると、剣が鞘に納められた気分になった。


「で、どうするんだい? ケインと戦うかい?」


 服を着ながら、リリィはこくんと頷いた。


「うん……私を……覚えてもらうのに……ちょうどいいし……食べ放題……ほしい……」


 カマセィのときより倍以上に増えた客が、一斉に沸いた。


 そりゃあ剣聖の戦いが見れるんなら、興奮もするだろう。

 でも、いざ戦うこっちの身にもなれってんだ。


「おや。ビビってんのかい、ケイン」


 ティアさんが笑いながら見下ろしてくる。


「そ、そりゃあ、少しは」

「大丈夫だ! お前なら!」


 逃げたはいいがなかなか戻れなかった兄貴が、もみくちゃにされながら人混みから出てきた。


「なんたって、あの炎人ライオスの息子なんだからよ! おい、リリィとか言ったな! お前も聞いたことあんだろ? 次期剣聖と言われた男のことをよぉ!」


 シャツのボタンを丁寧に留めていたリリィは、不思議そうに首をかしげた。


「……知らない」

「はあ!? モグリかてめぇ! あのライオス・ローガンだよ! お前の母ちゃんの時代に、噂になっただろう! 本当ならお前じゃなくて、こいつの父ちゃんが剣聖になるって言われてたんだ!」


 兄貴の言葉に共鳴して、同世代の男たちが「そうだそうだ!」と声を上げた。

 

「……本当に知らない……たぶん、お母さんも……知らない……」

「は?」


 兄貴がきょとんと固まった。

 

「それ……周りが勝手に……言ってただけでしょ……だって……人族なら……心人流……のみ……話に……ならない」

「んな!?」


 言葉を失った兄貴は、拳を握りしめて唸った。


 あれ?

 俺も恐怖心が薄まった。

 それどころか、なんかムカムカする。


「あな、た……それ……ちょうだい……」

「え! あ、こ、これ?」


 リリィは観客の中で、肉の串焼きを食べていた男に近づいた。


「た、食べるんですか?」

「違う……その串」


 食べ終わった串を一本抜き取ると、細身の女はそのまま俺と向き合った。


「……なにするんだ?」

「これでいい………きみは真剣でおいで」


 ふざけている様子はない。

 真面目に、俺相手なら串で十分だと思ってる。


 あぁ、そうか。

 ムカムカの正体は怒りだ。

 ライオスのことも、俺のことも、本人にその気はなくても馬鹿にされた気分になる。


 だから今。

 怒りの沸点を超えた。


「おもしれぇ! やってみろや剣聖っ!!」


 俺の全部をぶつけてやる。

 カマセィに放った倍の闘気が、俺の体から放たれた。


「やってやれー! ケイーン!」

「ウキャー!」


 狐火に乗ったクズハと肩のゴクウが、空から声援をくれた。

 それを皮切りに、ギャラリーの興奮は一気に高まっていった。


「兄貴ぃ! はじめてくれ!」

「よっしゃあ、ぶちかませケイン! では……はじめ!」


 今までで最高の踏み出し。

 初速もダントツ、構えもブレてねぇ。


「……ふぅん」


 でも、初撃は簡単に躱された。


「ドッラァァアアアアッ!!」


 けど関係ねぇ。

 むしろ、そうこなくっちゃな剣聖!


 追撃の斬り上げから、怒涛のコンビネーションを繰り出した。


「きみは……私に触れるか……この串で防御させれば勝ちで……いいよ」

「そうかい! 優しいな剣聖! でもよ……馬鹿にすんじゃねぇぜ!」


 俺はまだまだ止まらない。

 反撃の隙なんて与えず、上下左右前後から縦横無尽に剣を振った。蹴りや肘鉄も織り交ぜ、攻撃のバリエーションを増やした。


 なのに、当たらねぇ。


「くっ……そぉ!」


 それどころか、相手は最初の位置からほとんど動いていない。

 半歩以上の動きはなく、完全にこっちを翻弄している。観客にもこの異様さが伝わったのか、歓声が少なくなった気がする。


「……えい」


 隙なんて見せたつもりはねぇ。

 なのに、タレの付いた串が目の前に迫っていた。


「うおおうっ!」


 間一髪のけ反って躱した。

 そのまま距離を取って、息を整えた。 

 

「へぇ……今の……躱すんだ……」


 息ひとつ乱れていない剣聖は、音の鳴らない軽い拍手を送ってくれた。


 ……腹立つぜ。


「仕方ねえ……卑怯だなんて言うなよな」


 俺がローガン家で学んだのは、ライオスとダインの剣術だけじゃない。


 ソランとモニカの魔法。

 リースの牙獣流。

 メイの投擲術。


 そしてこの魂は、殴り屋の喧嘩を覚えている。


「っしゃあ!」


 拾った小石を投げつける。

 闇雲にじゃなく、的確に頭や関節を狙って。


「わー……一影いちえいみたい……」


 もちろん簡単に避けられた。

 だが、俺の攻撃は終わらねぇ。

 低い姿勢のまま、足元に突っ込んだ。


「……うん、分かってる」


 カマセィレベルなら絶対引っかかるフェイントも、この女には通用しない。


 睨む俺と目が合っても、表情ひとつ変えやしねぇ。

 でも、これは知ってたか?

 この世に俺しか使い手のいねぇ、手のひらの魔法はよぉ!


「『穏やかに 涼やかに 心地よく 実りを運べ 風生ウィンド!』」


 普通の奴が使えば、洗濯物を乾かすそよ風。

 俺が使えば、手の中で凝縮された強風になる!


「オラァァ!」

「っ!」


 地面を撫でたまま振り抜き、砂を巻き上がらせる。

 いきなり吹いた風と合わさって、強烈な目潰しになった。


「もらったぁ!」


 目をつぶり顔をしかめさせた。


 剣聖に初めて見えた僅かな隙。

 左手で逆手に握った剣を、牙獣流の構えで放った。


「……ざんねん」


 タイミングも角度もなにもかも完璧。

 相手の体勢も崩れて、視界も奪っていた。


 絶対に当たっていたはずなんだ。

 なのに、こいつは。

 リリィ・ソードマンは躱しやがった。


「なんだと!?」

「えーい」

「ぐぅ!」


 腹に伸びてきた長い足をなんとか防いで、最初よりも長い距離を取った。


「い、今のが当たらねぇのかよ」


 くそが。

 こっちは肩で息してるのに、向こうは砂を払えば涼しい顔のまんまだ。


「……惜しかった、ね……きみ、牙獣流も……使うん……だね」


 ほんの小さくだが、白い顔が微笑んでいるように見えた。


「でも……足りないね……剣聖は……あと三つ……使える……から」


 蜜パン以外に興味なさげだった目に、なんとなく光が見えた気がした。

 そのせいか、剣聖は手のひらを上に向けて手招きをした。


「諦めず……かかっておいで……他の流派を……見せて……あげる」


 闘気なんて見えないのに、ビリビリとした圧力を感じた。


 だが、引きたくねぇ。

 こんなチャンス滅多にないんだ。

 剣で生きていくなら、引くわけにはいかねぇだろ!


「上等っ!」


 見せてもらおうじゃねぇか。

 

 今度は正面から、正々堂々斬りかかった。


「……さっき避けたのは……これ」


 体が揺れて、剣を振ったそばから躱される。

 まるでどこを狙っているのか分かるみたいに。


「エルフの流派、風耳かざみみ流……攻撃の……風を読む……」


 こっちの攻撃を、ふらふらふわふわ避けていく。

 木の葉とか花びらが風に舞ったときみたいに、捉えどころがない。


「くそぉ!」

「次が……これ」


 細くて小さい串が振り下ろされる。

 

 俺は咄嗟に剣で防御した。

 だから串は真っ二つになっててもおかしくない。 


 なのに傷一つ入らず。

 逆に俺が吹っ飛ばされた。


「ぐおおおおおおおおっ!」


 なんとか踏ん張ったが、串の強度以上にその重さに驚いた。

 細くて幸薄そうな見た目からは、想像もできない威力。受けた手の痺れがしばらく取れそうにない。


「ドワーフの流派、鉱腕こうわん流……重い一撃と……揺るがない……体を生む」

「すげぇな。でも、俺だってまだまだ!」


 負けずに突っ込もうと足に力を込めた。

 なのに、体が動かねぇ。

 向けられたただの串が、異様にデカく見える。


「魔族の流派、魔角まかく流……魔力を魔法以外に、使う……こうして……目に見える威圧にも……なる」


 そうかい、おかげでこっちは声も出ねぇよ!


 自分を奮い立たせようとしても、向こうが一歩近づいただけで恐怖が上書きされる。

 なんかのきっかけで、逃げ出してしまいそうだ。


 でも思い出せ、俺の流派を。

 ライオスはなんて言ってた。


『心人流は、文字通り心を力に変える。喜怒哀楽、様々な感情を上手く操るんだ。そうだな、もし恐怖を抱いたら押さえつけて奮い立つのもいい。だけど、それすら受け入れてしまうのも手だ。恐いのは仕方ない、だからこそ恐怖心の原因を取り除こう! ってな』


 まさに今それだ。

 相手は剣聖、足が震えても仕方ねぇ。

 だったら、だからこそ! 

 ぶつかっていこうや、ケイン・ローガン!


 「ガアアアアアアッ!」


 雄叫びを上げて走った。

 動いてしまえば、あとはやるしかねぇ!


「……へぇ……やる、ねぇ」


 もう串の化け物は見えなくなった。

 代わりに、最強の女が立ってるけどな。


『牙獣流の基本は』


 いつか剣を教わった日の、リースの声が蘇る。

 先生だからってかけてた伊達メガネ、すごく似合ってた。


『本能のままの攻撃っす』


 説明の内容は野蛮だったけど。


『闘争本能生存本能、全部解放して戦うんすよ。相手が自分より手練れなら尚更、恐怖心なんて抱く暇もないくらい一気に! 牙を剥いて襲いかかるんす! 生き残るために、勝つために全身全霊全力全開! って感じっす!』


 牙を剥くってこんな感じか?

 獣人じゃないから上手くできてねぇかもだけど。

 でも、これが。


 俺の全身全霊全力全開だ!


「『紅蓮の炎 燃え盛る憤怒 怒りを解き放ち 敵を燃やせ 灼熱の咆哮よ 火炎砲フレイム・アンガー!』」


 剣に燃え盛る火炎が宿る。

 バンズを相手にしたときよりも巨大で、勇ましい炎だ。


火炎刃フレイム・ブレイド!」


 魔剣にヒビを入れた最強の技。

 くらいやがれ、剣聖!


「バカバカバカバカ!」


 兄貴の慌てる声がした。


 やべぇ、周りのこと考えてなかった。

 でも……もう止まらねぇ!


「……面白い」


 逃げ出したり伏せたりして、背を向ける観衆たち。

 

 そんな中、俺は見た。

 闘気を纏った剣聖を。


 静かで、洗練された鋭さを持っていた。

 決して揺らぐことなく、ただ己が在るように在る。

 剣聖リリィ・ソードマンが、凛と立つ一本の刀に見えた。


「はっ!」


 辛うじて見えた一太刀。

 どこにでもある小さな串で繰り出された、唯一無二の斬撃。

 

 一瞬のうちに魔法剣はかき消され、俺は衝撃波で飛ばされた。


「ぐああああっ!」

「きゃっ!」


 受け身も取れずにいた俺を、触り心地のいい毛並みが包んでくれた。


「だ、大丈夫、ケイン?」

「ウキャイキャイ?」


 狐火で浮いていたクズハだった。

 ゴクウも心配そうに顔を覗き込んでいる。


「おう、助かったぜ……でも、悪い。ろくに体が動かねぇや。下ろしてくれるか?」

「いいわよ、そのくらい」


 闘気を大量に使ったのもあるけど、なんだか完全燃焼って感じでもう戦える気がしなかった。


「……壊れ……ちゃった」


 リリィが握る串は、あまりの力に耐えられずボロボロと崩れていた。


「でも、一撃もらいました。俺の……負けです」


 悔しくないと言ったら嘘になる。

 だけど、言いようのないほど完敗だった。


「おら、ムーサ!」

「へ? お、おう」


 ティアさんに頭を引っぱたかれて、呆然としていた兄貴が前に出た。


「勝者、剣聖リリィ・ソードマン!」


 大歓声が上がると同時に、健闘を称えてくれるかのように教会の鐘が鳴った。


「ほんとに大丈夫?」

「あぁ、さすが剣聖。ありゃ強いわ」


 クズハに肩を借りたまま、改めて剣聖を見た。


 最初に感じた恐ろしさみたいなのは、もうない。だけど、それ以上に燃えるものがあった。


 この人に近づきたい。

 この人を超えるくらい強くなりたい。


 自分でも分かる。

 俺は剣聖に、どうしようもなく憧れていた。


「お疲れ……さま」


 そんな憧れの存在が、目の前に歩いてきた。


「ありがとうございました。完敗です」

「うん……きみも……強かったよ……さっきのこと、聞きたいけど……その……前に……」


 褒められて嬉しかったが、すぐに視線が他に移った。


「蜜パン……食べ放題……ほしい……」


 憧れの最強は俺たちの店を見つめながら、よだれを垂らしていた。

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