第18話 17 牧場



 どうやら気付かれていたようだった。この時には、黒い霧が見えなくても若く髪の毛を短く切り揃えた笑わない男と、廊下のあちこちで出会うようになっていた。


 出会う時は、笑わない男から黒い霧は出ていなかった。ただ、私を感情の無い目で見つめていた。まるで昔見た、鮮魚コーナーの死んだ魚の目に似ていた。


 私は恐ろしかった。恐怖は、どんどんと私の心を攻めてきた。最近では、黒い霧は廊下を滑るように伸びて来るのではなく、私の部屋の前で止まるようになった。時には、触手を伸ばすように、私の部屋の扉の隙間を潜って部屋に入って来るようにもなってきた。


 夜目覚めると、月明かりに照らされた黒い霧が私の足元にまで伸びている時も増えてきた。死にたく無い。本気でそう思った。事故でもなく、病気でもなく、自分の意志とは違う自殺。それだけは嫌だった。


 夜もろくに眠れなくなってきた。あの笑わない男の目的は何なのか? 黒い霧を操って何をしようとしているのか。


 私は、眠れない夜を何度も越えてきて、やっと気付いた事がある。私が私のサイズに合っていないのだ。産まれたばかりの赤ん坊が、三歳児の服を着せられているような感覚だ。私の魂が小さくなって、体のサイズに合わなくなってきているのだ。


 私は悟った。奴の目的は魂だったのだ。魂を吸い取り、小さくなった魂を空へ返し、空で成長した魂が再びこの世界に舞い戻ってきた時、また魂を吸い取る。ここは魂の牧場なのだ。私は、この考えを否定できなかった。牧場で育てられた牛は、やがて食肉となる。この時ほど死を覚悟した時はなかった。死にたくない? いや、死ぬのだ。死ななければならないのだ、そんな気分になっていた。

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