第2輪 夜行生物部

第2輪① 

 炎天下のしんどい通学路も熱帯夜を超えれば幾分マシになる。同じ制服を着た生徒も、朝日に満ちた空に呼応する蝉も、僕の尻を叩こうする先生もいない。見慣れた世界から色んなものが引き算されると全く別の世界になる。静まり返った住宅街で一人ぼっちのナイトウォークに興じている間に正門に着いた。

 夜闇の中で重々しい威厳を放つそれは来るものを拒んでいる。僕は手を伸ばして門扉を横に引いた。キャスターの転がる音が虚しく響き、周りに誰もいないことを確認して僕は校内に入った。ふと視線を感じて見上げると監視カメラと目があった。規則正しい点滅が僕に不整脈を打たせる。誰が見てるわけでもないのに昇降口に急ぐ。夜に起きていることを責められたように思えれば、夜に出歩くことさえ許されない不自由さに憤りを覚える。監視カメラに写っても問題はないのか。他の部員はどうやって校内に入っているのか。僕が学校側から咎められたら変態魔法使いは責任を取ってくれるのか。責任転嫁と言い訳を考えながら第一関門を突破したが、まだまだ安心はできない。廃校でもしたかのような廃れた雰囲気だけが、夜の学校で唯一身を委ねられるものだった。

 緊張感はありつつも、あっさりと僕を招き入れた夜の学校は昼よりも味わいがあった。幽霊が出そうな気配はないが、昼間の喧騒と同じ場所とは思えない。夜という時間がもたらす世界は僕の足に羽を付ける。廊下に反響する足音を聞きながら第二理科室に向かう。近づいていくごとに鼓動が脳内に反響する。

 第二理科室は三階にあり、この階には三年生の教室と理数系の研究室が並んでいる。理科室の前に着いて電気がついていないことを不思議に思いながら、僕はやけに静かな第二理科室の後ろ扉を開けた。ここからが第二関門。

「こんばんは」

「おーす!お前が見学者?」

 開口一番に僕に挨拶をした彼は扉を開ける音に主が帰ってきた飼い犬の反応をした。

「は、はい」

 黒板から一番近い四人掛けの実験台に男子生徒と女子生徒が向かい合って座っている。男子の方は僕に笑顔を振って、こっちに来るよう手招きした。僕は彼の顔に見覚えがある気がした。

「まこちゃん先生から聞いたよ。お前も不眠症なんだって?俺は昼夜逆転型なんだぁ。よろしく!」

「よ、よろしくお願いします」

 彼が勢いよく差し出した手を握り返す。ブレザーに第一ボタンとネクタイを緩め、杏色のパーカーを着ている。革靴ではなくスニーカーを履いているところが彼の活発さを物語っている。

 窓から入り込む街の薄明かりに照らされて、僕は彼の隣の席に座った。ようやく暗闇に目が慣れてきて、彼の顔がハッキリ見えたとき確信した。金曜日に保健室を出るときに鉢合わせた子だ。だけど、あの時とはどこか雰囲気が違う気がする。彼も僕の顔を一度は見ているはずなのに、まるで覚えがないような素振りだから。

「お前も挨拶したら?」

「活動が始まる前にするんだからまだいいでしょ」

 女子の方はずっと本を読んで、こちらには見向きもしない。どこかで聞いたことある声だ。鈴の音のように凛としていて、静かで鋭くて冷たい。ブレザーの第一ボタンとリボンを締めて、藤色のカーディガンを羽織っている。

 前の扉が開いた音に僕らは猫の反応をした。

「おっ、全員揃っているね」

「先生こんばんわ!」

「こんばんは」

「お、お邪魔しています」

「来てくれて嬉しいよ成瀬くん。ようこそ、夜行生物部へ」

「ヒュー!イェーイ!!」

 男子の方が歓声を添えてくれた。まだ見学なのに大袈裟だ。潮見先生は教壇に立って活動開始の挨拶を唱えた。

「では、これから夜行生物部の活動を始めます。今日は見学者がいるから、まずは自己紹介からしよう。俺は夜行生物部顧問兼部員の潮見真琴しおみまこと。ご存じの通り保険医です」

「はーい。白代新しらしろあらた、二年C組。『しろしろ』じゃなくて『しらしろ』ここ重要ね!友達からはシローって呼ばれてます。仲良くしてなぁ。はい次、黒弓!」

黒弓心有くろゆみみあ二年A組。名前で呼ばれるのは嫌いだから名字で呼んで」

 温度差が激しい二人の挨拶に僕は唖然とした。カルト部活動と覚悟はしてきたものの、二人はあまりにも〝普通〟の一人でいることが好きな女子と深夜テンションでハイになっている男子にしか見えない。

「二人ともありがとう。この二人、名前が白黒で始まるから白黒コンビって呼んでるんだ」

「そう呼ぶの、世界でまこちゃん先生しかいないよ」

「そうそう。だから成瀬くんもたくさん呼んでね。じゃあ次」

 潮見先生は僕に目で合図を送る。二人は僕をじっと見つめているが、その目が意味するものが二人とも違った。僕はそれを好奇心旺盛な猫と警戒心が強い猫と名付けた。僕は三人の顔が見えるように座り直した。

「二年B組の成瀬諒なるせりょうです。今日は見学に来ました。よろしくお願いします」

「全員二年なのにクラスバラバラなのウケる」

 白代くんが机に肘をついて鼻で笑う。僕は教室を見回して、思ったことを聞いた。

「あの、夜行生物部の部員は先生を含めて四人ですよね?もう一人は」

「今は休部中」

「もしかしたら退部するかも」

「えっ」

 白代くんの発言に僕よりも先に驚いたのは黒弓さんだった。反応を見た感じ、彼女は知らないのだろか。

「代わりに紹介しよう。桐沢和きりさわあえる、クラスは三年E組だったかな。彼は一年生の時から不登校児で、たまに部活に顔を出す幽霊部員ってやつだよ。夏休みが明けてからはまだ学校に来てないんだっけ」

「そうらしいよ。三年だってもう受験始まるのに、あの人大学行くんすかね」

「そもそも卒業できるかも怪しいんじゃない?三年だってギリギリの出席日数と成績で進学できたみたいだし」

「先輩が留年したら俺らとタメかぁ。同学年しかいない部活も楽しそうだなぁ」

 潮見先生が軽く手を叩く。そのクラップ音に白代くんの渇いた笑い声が引いていく。

「今いない子の話をしても仕方がない。和くんについては彼が来たときに説明しよう。さて、今日の活動だけど、見学者がいるから今日はこっちで遊ぼう」

「こっち?」

 僕の独り言に白代くんの口角が上がった。

「先週から始まった『ドーナツの穴の存在証明』だけど、今日は実験をしてみようと思う。その前に成瀬くんに詳細を説明しないとね。じゃあ、心有ちゃんに説明してもらおうかな」

「なんで私が」

「いいからいいから」

 名指しをされた黒弓さんは少し不機嫌な顔をしてから、何かを諦めたようにため息を吐いて僕の方に顔を向けた。

「夜行生物部の活動内容は色々あって、その日、その時の気分で何をするかを決める。夏休みが明けてからは『ドーナツの穴の存在証明をする』ことになって、議論したり、考察したりしているところ」

 保健室で聞いた説明とまったく同じだ。僕はもっと具体的なことが知りたくて根を掘ってみた。

「そもそも、『ドーナツの穴の存在証明』ってなんですか?」

「やっぱりそうなるよなぁ。って最初は思うんだけど、これが結構奥深くてさ」

「新くんの言う通り、この問題はかなり難問だけどとても興味深くてね。面白そうだから夜行生物部でやってみようと思ったんだ。で早速なんだけど、家庭科室に移動してもらえるかな」

「料理でもやるんですか?」

「そう。実際にドーナツを作りながらドーナツの穴について考察するのもいいんじゃないかと思ってね」

 潮見先生はポケットから取り出した家庭科室の鍵を見せびらかして、部員の二人は席を立った。状況を理解できないまま僕も二人に倣って席を立ち、不慣れな足取りで三人を追いかけた。

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