尊史-06

 部屋に戻るまで、俺たちはずっと何も言えなかった。

 何かを言えばそこで壊れてしまいそうだったのだ。

 これまでの何もかも。


 重苦しい沈黙の中、部屋には恵令奈が先に入り、俺の手を引いた。

 その力は予想外に強く、そして、そのまま抱き留められた。


「……ゴメン。こうしてないと、立っていられそうにないの。」


 少し震えた声で、俺の胸を勝手に侵略してきた我儘の言い訳をする。その言葉に対して、俺はその背中に腕を回し、少し強く抱き締める。そして、縮こまっているその額に口づける。


「そこじゃない……」


 そういった彼女は、おもむろに顔を上げ、一瞬目線を合わせた後に、今度は唇をふさいできた。……わかっている。本当はこんな睦み合いをしている場合じゃないと。単純に不安だったのだ。多分、俺の震えも伝わっただろう。だからこそ、お互いの全部を確かめたくなった。


「う……んぅ」


 ふさがれた唇のお返しに、舌をねじ込み、そのまま彼女を抱き上げる。


「ちょ……っと。たか……ふ…」


 呼びかけて制止しようとしたその声をもう一度ふさぐ。そのまま、恵令奈を抱きしめたままベッドへ倒れこんだ。ばふっと音がする勢いで倒れこむと、お互いの距離が少し離れる。たまらずもう一度抱き締めようとしたところ、彼女が俺の唇に人差し指を当てて制止してきた。


「もう……落ち着きなさいって……」


 泣き笑いの顔で、優しく諭すように。そして、次の瞬間には真っ直ぐ見つめ返してこう切り出してきた。


「あの傭兵は、あの時の作戦で生き残った一人、なのね。」


 その視線には、後悔と、犯した罪への怖れがあった。何度も俺自身が見た眼だ。

きっと、今の恵令奈はついこの間まで俺がしていた顔と同じになっているだろう。


「……そうだ。本人がそう話しかけてきた。そんな情報、どちらの得にもならん。わかっていてもどうにもならん心持ちだから、わざわざ俺に言ってきたんだろう」


 冷静になるよう努め、今日あったことを伝える。……だが、これ以上言っても、ただお互い傷つけることになるのに、止められなかった。


「アイツは、銃口を向けながら言ってきたよ。平穏を返せって。奪ったものに対して償えって!」


 一度堰を切った感情の奔流は、濁流になり、あの作戦以降、今日になって立ち直る前と同じに、俺の心を呑み込んでいった。


「クソっ。傭兵なんてやってりゃそういう事にも遭うさ。実際、アイツだけじゃな

かったよ。こうやって誰かの弔いに仇を取りに来るやつは。」


 しかし、それは、作戦中に敵対した傭兵や組織の恋人や家族だった。


「だが、アイツは、亮平は違う。ただ平穏に暮らしていたガキなのに、俺が……

それを……」


 奪った。途中までで俺の告白は終わる。

 そこへ恵令奈がまた唇を塞いできた。部屋に戻って以来、一番長く口づけした。


「……落ち着いた?」


 そういったあと、目の前で微笑む。微笑んだと思ったら、その瞳は濡れていて、目じりから雫がこぼれだしていた。


「後悔しなかった日なんてなかったよ!あの時になんでもっと依頼主についてちゃんと調査しなかったのかって!!だから、だから今回の依頼だって……」

 そのあとは、彼女の嗚咽に変わった。


 そう、今回の作戦は多少割が下がる依頼だったのだ。これまでであれば、もう少し金額の高い依頼を受けていたはずだ。そうしなかったのは、彼女なりに責任を感じていたところもあったのだ。そこはわかっていた。けれども、今回判った事実を、恵令奈に話さないではいられなかった。たとえ伏せたところで、いずれは露見する。それなら、今、話してしまった方がいい。彼女とは、これからもお互いを必要とする、今の関係でいたいから。


「……ごめん。泣いちゃって」

「……いや、こちらの方こそ。俺のために泣いてくれていつもありがとう。」


 彼女に向き直りそう言った。


「色々と今日まで、腐ってた俺を見捨てないでくれて有難う。」


 そういって、また抱き締める。少し落ち着いたかと思ったが、恵令奈はさらに強く俺の胸に額をこすりつけ、肩を大きく震わせながらさらに泣いた。


「こんな……時にぃ……ずるい……」

「こんな時だからだ。」


 彼女ときちんと向き合えるように少し体を離し、見つめる。目が合ったその瞬間、互いに唇を寄せ合った。口づけしたそのタイミングで、お互いの上着に手をかける。上着を脱いで放り投げるあたりで舌はお互いに根元を探らんばかりに絡み合っていた。唾液をたらしながら水音を部屋に響かせ、お互いの体をまさぐり求める。口づけをしながら、時々目線を合わせ、俺は恵令奈のシャツを、彼女は俺のズボンを脱がし、荒くなった息遣いを交わし合う。

 恵令奈の顔を見つめたくなったので少し体を一旦離し、その整った顔を見つめる。目が合ったその瞬間、互いに唇を寄せ合った。口づけしたそのタイミングで、お互いの上着に手をかける。

 いつ振りか猛る情欲に、お互い身を溶かしながら夜を過ごした。


 しばらくそういう行為をしていなかったとはいえ、そのままお互いにまどろんで寝てしまうまで、ここまでタガが外れたようなやり取りはなかったかもしれない。そういえば避妊していない、と気づいたのは、ベッドのシーツを交換するから、とたたき起こされたあとだった。そのままそれを恵令奈に思い出したことも付け加えて報告すると、余韻が台無しだと散々絞られた後、昨日の話に戻る。


「……どうするの?」

 まんざらでもなさそうな表情から唐突に真剣な表情に変わった恵令奈が話を切り出したのだ。


「……どうもしない。というか、どうしようもないし、なるべくなら関わりたくないってのが本音だ。」

 本心をぶちまけた。


「実際のところ、自分が復讐者であったとき、どうしてたかなんて思い出せん。ひとつわかることとしては、生き延びて行けるやつなら、確実にまたどこかで会う。それまでに、こちらとしては日々を暮らし、牙を剥くものがあれば全力で叩き潰す。そのスタンスは変えないでいいはずだ。」


 そう。目的があるならば、それに向かって進んでくるものである。その目的が俺自身であれば、作戦中やらで死なない限りは、いずれどこかの作戦でまた会うことになるだろう。


「……そっか」


 また、俺の目を真っ直ぐに見つめてきた後、ひとまず理解はしたようだ。安心して、天井を仰ぎながら、深く一呼吸する。そこに、囁きが聞こえてきたように思って恵令奈をみると、うつむき加減に自分の膝を見て、何やらぶつぶつと言っていた。


「……このまま、……したい」


 そういった恵令奈の声を最後まで聞き取れなかった


「もう一回言ってくれ。聞き漏らしてしまった。スマン」

「ううん……何でもないよ。」


 首を横に振り、なんでもない、と平気な様子を見せる。ひとまずの方針は決まった。


「ね……大好きだよ」

 おもむろに抱き着いて首根に顔を寄せて恵令奈が言う。

「……ああ、俺もだ。」

 どれだけ後悔しても、どれだけ罪を重ねても、償うものが大きかったとしても。


 今、目の前にあるこの温もりを、どうか守らせてくれ。


 恵令奈を抱きしめながら、誰にともなく願った。

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