第4話 公爵家のお嬢様

 豪華な広々とした一室の大きなテーブルを前に、トリトニア公爵家のお嬢様――アイリスは、いつものように朝食をとっている。礼儀作法にのっとり上品ながら、ぱくぱくもぐもぐと、お嬢様にしては遠慮無くしかも量多く食べていく。

 バターのしっかり塗られたパンを端から囓り、二枚目はハムを載せ、三枚目はふわふわ卵を載せた。山盛りフルーツはしっかりと食べ、サラダも手をつけるがトマトは見ないふり。しかし脇に控えるメイド長のバビアナが咳払いをするや、渋々とトマトを口にするも大急ぎで呑み込んで、さらにキノコのスープを飲み干した。

 多数のメイドに囲まれながら、たった一人でする食事。

 公爵や公爵夫人である両親とも、なにかの祝祭日でもなければ、揃って食事をする事はなかった。これは格式ある貴族としては、しごく当たり前の光景になる。

「ごちそうさまでした」

 食べ終わると、ひょいっと椅子から飛び降りるようにして立つ。

 アイリスは周囲のメイド達と比べれば分かるように小柄だ。ほっそりとしているが痩せている感じはなく、体つきには柔らかな丸味が感じられる。淡く薄い紫色の瞳に白く滑らかな肌。顔立ちは将来間違いなく素晴らしい美人になると確信されるものだが、今はまだ可愛らしいといった印象が強い。

 しかし、一番目を引くのは長い髪だろう。

 シルクのような質感の髪は、白さを宿す気品のある銀色で、長さがあって腰まである。少し屈んでしまえば床に触れてしまうだろう。そんな髪には、瞳に合わせた紫の花と黒いリボンのあしらわれた髪飾りが一つある。

「お嬢様、今日のご予定はいかがなさるのです?」

 歩きだそうとしたところに、恰幅の良いバビアナが罷り出た。

 言葉使いこそ丁寧で礼儀正しいが、そこには少しばかり有無を言わせぬ強さが存在する。メイド長は家中の権限を強く持ち、たとえ主と言えども蔑ろにはできない立場だ。令嬢とは言えど、まだ子供であるアイリスでは、下手に逆らえない恐い相手でもある。

 ただしバビアナはアイリスの乳母も務めている。だから行動の根本は間違いなく愛情だった。


「アイリスは、この後で散歩に出るのです」

「散歩は宜しいのですが、そろそろ学園にも行かれませんと。もう十日も行かれていませんし……まさかですが、学園で何か困った事でもあったのですか?」

「ないです。困った事があったとすれば、それはアイリス自身の事になります。そろそろイベントが起きるのです」

「イベントですか? やはり学園で、何か起きそうなのですね」

「それは分からないのです。だから気にしないで下さい」

 普段であれば、ここで話は終わるところだ。

 しかし今日のバビアナは、険しい顔をしてアイリスに迫った。

「この機会ですから言わせて頂きますよ。もしも何か困った事があるのでしたら、我らに告げてくださいな。お嬢様の為であれば、たとえ相手が何であっても、私を含め皆が全力で取り組みますよ。それとも我らが、頼りなさすぎるのでしょうか?」

「そうではないのです」

 アイリスは口元に微笑を浮かべながら、そこに困った感情を滲ませている。そのまま軽く頭を横に振るため、長い髪もさらさらと揺れている。

 横から声が掛かった。

「バビアナ殿。些か口を出され過ぎではないですかな」

 そう窘めたのは家老のバートンだった。

 量の少ない白髪の下に毅然とした眼差しがあり、丁寧な物腰の中に強さが存在する。

 メイド長のバビアナが家中の権限を持つのであれば、バートンは家外に対し強い権限を持つ。トリトニア家を動かす両輪として、互いに協力しあう二人だ。

 しかしアイリスに取っては、バビアナが厳しく口煩い母とすれば、バートンは甘やかし気味の父といった存在になる。どちらも大切な存在だった。

「アイリス様もお年頃。人には言えぬような理由や気分があって、学園に行く気が起きない。そんな時も時にはございましょうに」

「バートン殿は、そう仰りますけどね、私としては……」

「学園など行かれずとも、我れらがトリトニア家は些かも揺るぎませぬ。それよりも、アイリス様の御身を案じる事こそが第一。ここは暖かく見守るのべきでございましょう」

 そう言われたバビアナは、黙っていられず反論。アイリスの教育方針を巡って、両者の熱心な話し合いが始まった。

 当の本人であるアイリスは、笑顔を変えないまま、その話し合いを見守っていた。

 だが、途中で自分の口を挟む幕がないと判断すると、会釈するように小さく頭をさげた。そのままメイドたちが恭しく頭を下げる前を、てくてく歩いて自分の部屋に行ってしまったのであった。


 アイリスの部屋は、柔らかな色に満ちている。

 柱や天井は白色に、壁は淡い黄色で、ドレープカーテンは薄い赤色。煌びやかなシャンデリアや見事な風景画、精緻な細工の彫刻といった装飾品類が、部屋の華やかさを際立たせている。これらは全て、アイリスの為にと、父親であるトリトニア公が心を尽くして用意させたものだ。

 そんな部屋にある豪華な天蓋付きベッドで、メイドの一人が寝そべって寛ぎ、朝食の代わりに菓子パンを口にしていた。メイドとしてあるまじき光景だが、部屋に戻ったアイリスは気にした様子もない。いつもと同じ笑みを浮かべたままだ。

 淡い紫色をした瞳を、堕落したメイドへと向ける。

「掃除は終わりましたか?」

「お嬢様見て下さいよ、この綺麗な部屋を。メイド長が感心して褒めてしまうぐらい、丁寧にやってありますよ。これで掃除が終わったかどうか尋ねる方が間違ってませんか」

「ありがとうございます」

「いえいえ、これもメイドの努めってものですからね」

 ベッドの上から動かぬまま、フリージアはヒラヒラ手を振った。

 フリージアはアイリス専属のメイドで、トリトニア家普代の出身になる。代々仕える一族の出身のため、普通に賃金で雇われている従者よりも地位は高い。

 小さなころから主家に入って、メイドとしてアイリスの為に働いている。しかも身分は違えど、乳姉妹ちきょうだいとして一緒に育ったので気安さがある。おかげですっかり、ぞんざいな口調であるし、メイドらしからぬ態度だ。

 アイリスがドレスを脱ぎ、新たな服に着替えだしても手伝う様子もない。

「やややっ!? お嬢様。まさかまさかの、お出かけですか」

「はいそうなのです」

 返事をしながらアイリスは、フリルのついた黒のワンピースに着替える。それに腰丈の白い上着を羽織り、長い銀髪を持ち上げ、さらりと流した。

「アイリスは、今から散歩に出かけるのです」

 鈴を転がすような透明な声で告げられると、フリージアはベッドの上で起き上がった。

「そうやって一人で出歩くのは止めて欲しいんですけど。そりゃ出歩くなとは言いませんよ、言いませんけど、お供の一人でも連れて行って下さいよ」

「分かりました。それでは、鍛錬場に行く事にしましょう」

「えーっ。お屋敷の中ですと、私も一緒に行かなきゃダメじゃないですか。そうすると、筋肉ムキムキな武官の皆さんに、ジロジロ見られるんですよ。主に胸とか胸とか胸とか」

「そうですか?」

「そうですって。しかもほら、あの人たちって、人の胸に向かって話しかけるんですよね。凄く失礼だって思いません?」

「アイリスには、そんな事ありませんが」

「そりゃそうですって。だって、お嬢様ではねぇ……」

 フリージアは視線を下に向けると、自分とアイリスを見比べ頷いた。幼馴染みであるフリージアは、同年代の中でも発育の良い方なのだ。アイリスは目を細め、薄紫色の瞳を鋭くさせた。

「今月のお小遣いは、一割カットを進言します」

「酷い!」

 無慈悲な宣告はダメなメイドに悲鳴をあげさせた。

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