第1話 平たな石が敷き詰められた道

 優美な城砦の彼方の空の、抜けるような青さに、白雲が勢い良く伸び上がる。色とりどりの屋根が軒を連ねた城下町。赤い屋根の直ぐ上を、鳥の群れが勢い良く過ぎっていく。王都の景色は、そんな昼日中の強い日差しの中に、鮮やかに際立っていた。

 一人の男が歩いている。

 細身にも見える引き締まった身体に、白い綿のシャツに革製のチョッキ。腰には一振り剣を帯びる。黒髪は無造作に切り揃えられ、飄々とした気楽さの漂う顔つきだが、その両眼には優しさと穏やかさが見られた。

 その男――グライドは幅広の石畳みの道の、濃緑に染まった葉がつくりだす木陰の下を選び、少しでも日射しを避けようとしている。今日は良く晴れて、辺りの暑さは熱を帯びているぐらいだった。

 木陰がなくなると観念して日射しの中に出て、平たな石が敷き詰められた道を進む。

「参ったぞ……」

 悩むのは自宅の食料が底をつきかけ、しかし金はないからだ。そろそろ伝手を頼って、警備か護衛の仕事を貰って、何かしら収入を得る必要があるだろう。だが、そう都合良く良い仕事があるとも思えない。

 悩み顔で腕を組み、空の日射しを忌々しげに睨んで、ゆっくり静かな足取りだ。

「おや?」

 僅かに視線を戻した直後、前方でざわめきが起きて、何人かが走って行く様子が見えた。特にまとまりのない人々で、様子から野次馬に思われる。こうした場合は、何かの揉め事が起きたに違いなかった。

 迂回しようと、横の小道に数歩進みかけたが、グライドは立ち止まった。

 人が走っていく方向から、子供の泣き声らしきものが微かに聞こえたのだ。途端に顔をしかめ、向きを戻すと、ゆっくりではなく早足に進んだ。


「何かあったのか?」

 野次馬の人垣で見知らぬ相手をつかまえ尋ねる。いきなり話しかけたグライドに対し、相手は少し驚きの顔をしてみせたが、直ぐに原因を教えてくれた。

 どうやら元気に走り回っていた子供が、通りかかった三人組の一人にぶつかったという事だ。それだけならよくある事だったが、運悪く相手は辺りでも指折りの粗暴者だったとかで、子供を容赦なく殴りつけ蹴ったあげく、襟首を掴んで引き立てているというわけだ。

 声を潜めて語った野次馬は、グライドの携える剣に気付いた。

「あんた、ファイターか何かかい? だったらちょうどいい、止めてやってくんないか」

「いやいやいや、何を仰るか。俺は、そんな大した者ではないので――」

 辺りから悲鳴があがった。

 男の一人が子供を地面に放り投げ、その前で剣を抜いたのだ。そのまま斬り付けるつもりらしい。瞬間、グライドの顔が打って変わって鋭くなり、野次馬の間から割って出ていた。

「子供相手にバカな事は止めろ!」

 つかつかと進んでいって、剣を抜いた一人を突き飛ばし、子供を背後に庇った。

「いきなり出て来て、何だお前は?」

「何だこいつ、偉そうに!」

 残り二人は騒ぎたて、突き飛ばされた男は剣を手にしたまま怒り顔だ。微かに酒の臭いがして、元から粗暴なところが、余計に粗暴になっているらしい。

「野郎ぶった斬ってやらぁ! 誰だか知らんが偉そうに出て来やがって! いいのか? 俺はファイターのジョブ持ちだぞ!」

 野次馬の間からざわめきがあがり、男は悦に入った様子で口の端を歪めた。

 ジョブとは国の機関において認められた資格のようなもので、該当するジョブに対し能力才能を示した者が認定されるものだ。得てしてそれは、常人を凌駕する力を保つとの証左になる。この男の場合は、戦闘職のファイターというわけだ。

 しかしグライドは、少しも表情を変えなかった。


「ファイターを名乗るのであれば、もっと誇りを持ってはどうだ」

「なに!?」

「しかも酒臭い。昼間から飲んだくれて、やってる事は弱い者いじめか」

 グライドの言葉には、多少のやっかみ――最近は酒も飲めない――もあったが、野次馬たちは、そうとも知らず手を叩いて快哉している。途端に男の顔色が真っ赤に変わり、目が怒りの色に染まったかと思えば、早口で罵りながら、いきなり斬りかかってきた。

「この野郎がっ!」

 だが、グライドの反応は素早い。

 剣に手を掛け前へと踏み込み、柄をファイターの男の腹に突き込む。身を翻し、声をあげる取り巻きの一人を殴って昏倒させ、慌てて武器を抜こうとし、もう一人の腕を強打し動きを封じる。

「てめぇっ!」

 ファイターの男が咆え剣を振り上げた。どうやらジョブは本物で、それなりに耐久が高いらしい。瞬間、グライドは大きく旋回しながら剣を抜き放った。気付けば、男の首筋すれすれに刃が突きつけられている。驚くべき早業と腕前に、野次馬から感嘆の息がもれているほどだ。

 刃の起こす風を間近に浴びた男は、目の動きだけで剣の存在を確認し顔を青くした。

「お、お前。まさかジョブ持ちか……」

「ファイターではなく、サムライのジョブだがな。さて、どうする? このまま続けるか? 次は剣が止まるかは分からんぞ」

 問いかければ、男は怯えた目になって震えた。

 サムライはジョブの中でも上級職。それだけに認定は厳しく、求められる能力も高くなる。しかもサムライという存在は、戦いになれば死をも恐れぬと噂されているのだ。

 男はゴクリと喉を鳴らした。

「戦う気がないなら、その剣を捨てたらどうだ」

「わ、分かりました」

「次に子供に剣を向けてみろ。間違いなく、その首を斬り落としてやる」

「ひっ」

「理解したら失せるんだな」

 ファイターを名乗った男は昏倒した仲間を抱え、後ろから野次馬の歓声と嘲笑を浴びながら、逃げ去って行った。これだけ恥を晒せば、とてもではないがこの辺りに顔も出せないだろう。

 災難に遭った子供の母親が駆け付けた。我が子を抱きしめ大粒の涙を零す母と、母に縋り付いて声をあげ泣く子の姿に、グライドは優しさを宿した眼差しを向けている。だが、我に返った母親に何度も頭を下げられ、さらに皆からの称賛を受けると、途端に頭を掻きつつ照れた様子で、そそくさ立ち去った。


 悪い連中を懲らしめ皆の快哉を浴び、それで気分が良いかと言えば、そうでもない。冷静になってみれば、あの場は衛兵なりを呼ぶべきだっただろう。お節介にも程があったと思えるのだ。ただし、もしも同じような目に遭っている子供を見れば、迷わず飛び出してしまうに違いないのだが。

「いやー、まいった。まいった。余計な労力を使ってしまったよ……しまった、相手の剣を拾っておけば良かったな。売れば金になったのに」

 晴れやかな空を眺め、グライドは呟いた。

 如何にも無駄な事をしたと言いたげに息を吐き、続いて自分を尾行する誰かに対し、もう一度息を吐く。あの広場を去ってから、誰かが自分を尾行してきている。

 それが分かるのは微かな音の響きであり臭いであり、そうした勘の働きである。しかし先程叩きのめした連中の仲間ではないだろう。気配の主には殺気はなかった。

 そうなると相手の目的が分からない。

 このまま尾行されようと構わないのだが、しかし思い直し足を止め振り向いた。

「何の用かな?」

 グライドが視線を向けたのは、石積みの塀の角。

 隠れているつもりらしいが、そこに見え隠れする姿がある。ややあって出て来たのは、こざっぱりとした身なりの男だ。それだけでも、先程の連中との関係ないと分かる。

 目の前にいる相手は、立ち居振る舞いからして、明らかに貴族の関係者――それも、かなり上流――と分かる。少なくとも子爵、下手をすると公爵辺りの家臣かもしれない。

 警戒するグライドが沈黙を保っていると、相手から喋りだした。

「先程の戦いぶりを見させて貰った。実に鮮やかな手並みだったな」

 言葉こそ称賛する様子だが、居丈高な雰囲気が見え隠れしている。グライドの服装などを、じろじろと露骨に観察する様子などもあって、実に不躾だ。

 軽く眉をひそめたグライドの仕草を、男は別の意味に捉えたらしい。

「ああ、不審がらなくてもよい。私はとある御方に仕える者だ」

「はあ……?」

「サムライのジョブを持つというお前に、一つ頼みをしたい事がある」

 男は怪しげに笑った。

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