1-2 遺跡発掘2

 そこは広くて明るい場所だった。

 そこは異様に澄み切った場所だった。

 そして何より、そこには自然エナが満ちていた。



「どういう、ことだ……?」


 この辺り一帯は瘴気や自然エナが枯渇した土地で少なくともこの直上に当たる森林地帯は術的隔絶地のど真ん中だ。


 だというのに、この空間にはありえないほど高濃度の自然エナが満ちていた。腰から下げている懐中時計型の自然エネルギーの計測機もゼロ地点から計測最大値まで一気に針が回って振り切れている。


「こりゃ、すげぇ……」


「光ってるのは、地底湖っすかね?」


 後から入ってきたバスダロトとネウメソーニャが景色を見て言葉を重ねる。


 まずぽっかりと開けた空間があり、巨大な紋様が輝いている。その紋様は円形に区切られて、中央にサソリ、それを囲うようにカエル、フクロウ、オオカミ、ネコ、ハト、さらに外側にヘビ、ウサギ、ブタがそれぞれ描かれている。かなり大型の術式陣。簡略化、形式化どころか言語化すらされていない純正オリジナルな古式の陣。大昔、まだ術が体系化される前、奇跡と呼ばれていた時代の遺物。


 その巨大な術式陣の奥にはひと際強い光を発する湖があった。


 澄み切ったエメラルドのような輝きを見せる湖は自らが発する光を水面が反射させて煌かせる。あまりにも幻想的なその光景は見る者の現実感を薄れさせるほどに圧倒的。


 天井から天蓋のように垂れ下がる鍾乳管は真下からの緑色の輝きを乱反射させて煌く。


 だが、

「いや、これは……、こんなことって……」

 感嘆の言よりも戸惑いと恐怖感の方が勝る。


「湖の水が光るなんて、よほど強いエネルギーを持ってるってことだわな」


「はぁー、こんな光景は初めて見たっすよ」


 対してバスダロトとネウメソーニャは単純に目の前の光景に純粋な感嘆の声を上げていた。


 両者の温度差は顕著だった。だけれどそこに拘泥することはなく三人は揃って輝く地底湖へと近づいていく。


「これ、やっぱり冷たいんすかね?」


「まずこれが普通の水かどうか分からないから、不用意に手を入れない方がいいよ」


 ネウメソーニャが不用心に湖に差し込もうとした手をそっとつかんで静止する。


「昔聞いたことがありやすな、指が溶ける泉の話とか」


 バスダロトは腕を組んでしたり顔をしていた。


 その様子に内心の恐怖感を振り払いながら苦笑いを浮かべ、太もも近くに装着している多機能ベルトから空の細長い水瓶を、ウェストポーチから木製のハサミとコルク栓をそれぞれ取り出して、エメラルド色に輝く水を掬い取る。


 これが一体どんな水でどれだけのエネルギーを秘めているのかは完全に未知数。しかし未知数だからこそ、持ち帰る意味がある。


 細長い水瓶、計三本分の水を汲み取って、太ももの多機能ベルトへと収納し保護用の小型カバンを被せる。


「サンプルとしてはもう少し数が欲しくはあるんだけれど……」


 ほかに液体を輸送するのに使えそうなものと言えば補給用の水分や酒が入った水筒くらいしかなく、当面の飲み水を取るかサンプルの量を増やすことを取るかという二択迫られるのであればそれは流石に当面の飲み水に軍配が上がる。


「俺とバスダロトはこの辺りをもう少しだけ調べてみるから、ネウメソーニャは帰り支度のために荷物を一旦外まで運んでおいてくれ」


 キャンプ道具やもしものための呪具などを詰め込んである二人分のリュックサックを扉の外まで運ぶように指示を出す。今回は調査用のキットなども持ち込んでいない先行調査、つまりはただの下調べだ。だから本来あまり深入りする必要もない。


 改めてざっくりと辺りを見回してみる。


 垂れ下がり輝く鍾乳石、輝く地底湖、地面に描かれた巨大な術式陣とそれに連結されているのかされていないのか分からない、いくつかの小さな陣。扉近くの騎士を象った術式陣が扉の開閉を司るモノだと辛うじて分かる程度で、そのほかのモノがどういう力を持っているのかを詳しく推し量ることはぱっと見では出来ない。


 壁面はほとんどむき出しの岩肌なことからこの洞窟の入り口に扉を作りその上に遺跡を組み上げたのだろうということはなんとなく分かった。問題はなぜこの場所にこの謎の遺跡を建てたのか、だった。


 あちこち見て回ってみても、この場所に何を残そうとしていたのかというモノの片鱗はあの得体のしれない壁画以外には見つけられない。


 いや、今一つすぐに分かるモノを見つけることが出来た。

 地面に刻み込まれて、今なお稼働し続けている陣の内の一つに見覚えのあるモノがあった。


「へぇ、ずいぶん昔から転移用の陣の形ってのは変わってねぇんすね」


「そうみたいだね。ただやっぱり形式的に今の俺たちが見知ったものとは細部が結構違う」


 現在可動している有名な転移法陣は二転間の座標の位置を示す情報と空間を繋げる太いロープの意匠、それから力を安定させるための三連結された三角形の紋様、そしてすべてを包括させるための天蓋のマーク。


 だが、この場にある転移法陣は細い糸を繋ぎ合わせる意匠を、力を増幅させるための小さな三角形で円形に囲うという形をとっている。術式の簡略化が行われておらず、力の入出力口が馬鹿みたいに大きい。


 こんな大型出力用の転移法陣なんて、戦術教本くらいでしかお目に掛ったことがない。


 それ以外のいくつかある陣は、大まかな用途すら全く解読出来ない。遺失技術によって作られた用途不明の術式陣、というわけだ。不用意にエネルギーを供給したりすると何が起きるか皆目見当もつかなくて空恐ろしい。


「しかし陣以外には本当に何にもねぇっすね」


「転写術式を使って複製を作るにしても、手作業で書き写すにしても暴発が怖いな……」


「なあに、きちんとした解析系の機材とそれからある程度の人員にも同行を願ってもう一回来ればいいことですぜ」


「それも、そう――――?!」


 ガクンッ、と足元が揺れた。

「うわっ!! なっ、なん――――!?」


 バスダロトが頭を守りながら身をかがめ、声を上げる。

 足元の揺れに伴って天井の鍾乳石からミシミシといやな音が響き、かすかな砂利が降る。


「荷物は置いて行っていい!! ネウメソーニャっ、走れっ!! 敵が来る!! 近くの町に避難勧告を出すように要請しろ!!!」


 揺れに足元を取られそうになりながらも叫んだ。自分でも驚くほど大きな声で叫んだ。その言葉が本当に自分の口から発せられているのか信じられないくらいに大きな声だった。多分、大昔術の仕組みを習いたての頃、術式の構築が上手くできずに泣きわめいて癇癪を起した時よりも、もっと大きな声が出たと思う。


「なっ!? フォグの旦那っ!? 何か起きるっていうんですかい!? 敵、敵って何がくるって言うんでさ!?」


「この揺れは天然の地震じゃないっ! 術的エネルギーの共振作用による地鳴りだ!」


「なっ……?! なんですかそりゃあ!?」


「時間がないから簡単に言う。……瘴気や自然エナなんかの術的エネルギーが過剰にある場で何らかの術式を起動すると場に満ちるエネルギーそれ自体が空間を震わせるほどの力を生み出すってことなんだけれど……!」


 例えるならば粉塵爆発のようなものだ。それだけならば然程問題にもならない小さな火花だったとしても、一定空間内にチリのような小さな粒子が充満していると連鎖的に発火して大爆発を引き起こすことになる。


「力を生み出すって……、それじゃあここが崩れるってことですかい!? ならアッシらも早く逃げねぇと!」


「可能性はあるけれど、ここの封印用の大結界の力もあるし。揺れ自体はそこまで被害を出したりはしない、と思う」


「そいじゃ、一体何がヤバいっていうんで?」


 洞穴が崩れて生き埋めになる心配は恐らく必要ない。そのうえ仮にそうなったとしてもこの揺れの中で移動するというのが現実的ではない。逃げようにも逃げられないのだから心配するだけ無駄骨だ。


 むしろ現状ではそうならないことの方がよほどマズイ。


 何故なら、

「さっき俎上に出した転移術式陣、アレが起動している!」

 身を屈めて揺れに耐えながら、一点を凝視する。淡く輝く地底湖の湖畔で、それよりも強烈に自己主張する強烈な赤い発光現象。


 それは、地面に直接刻み込まれた転移術式陣が発するものだ。


 やや青味がかった深い紫色の発光現象。丁度、瘴気だまりの黒い発光とこの場に満ちる自然エナの青い発光が混ざり合ったような色合い。


「恐らく今からここに来るのは、魅入られし存在が統率を取る魔の群れ。活性化している魔なるモノたちの活発な侵攻と無関係なんて、そんな都合のいいことは多分ない……!」


「そんなら、アッシが時間を稼ぎますから揺れが止まったら旦那も逃げなすってくだせェ」


「いや……、内側から封印して開閉用の術式陣を破壊する。それでネウメソーニャが町に避難勧告を出すまでの時間を作る。悪いな、アンタの命俺のために捨てさせてくれ」


「アッシの命は旦那に救われた時から旦那に預けてやす、気にせんでくだせぇ」


「ありがとう。前に渡したアレと後は時間。多分四秒ほど時間を稼いでくれれば後は俺で何とか出来るはずだから」


「へい、任されやした。しかし、こんなところで折角もらったモンを使うことになるとは……、ちょいともったいないことをしやすな」


「持ち腐れになるよりはマシだ」


「そいつは違いねえ」


 そして、長い揺れがようやく収まる兆しを見せ始めた。

 徐々に徐々に、揺れの振幅が小さくなっていく。

 ある程度まで揺れが収まったことで身動きが取れるようになる。


 そこからの行動は迅速だった。

 輝きを発する転移術式陣と石壁近くにある扉の開閉用の術式陣、それぞれ一目散に地を駆ける。


 バスダロトが転移術式陣の元に到着するのと揺れが完全に収まるのは同時だった。揺れが完全に収まるということはつまり、転移術式による人員の転送が完了したということになる。


「へへへ、こりゃあまた仰山来なすったこって……!!」


 バスダロトは乾いた笑いを零しながらも両手にサバイバルナイフを構えて、迷わず正面の一団へと突っ込んでいく。

 転移術式の残光の中に姿を現したのは二十数名の熊人ウェアベアーの集団だった。


 いや、この場合狂戦士ベルセルクとでも呼称すべきか?


 ほぼ全ての個体が二メートルを超える身長とがっちりとした逞しい筋肉を有し厚い体毛が鎧のように全身を覆っている種族。その強靭な肉体だけでも戦闘力としては申し分ないというのに、全員が全員ギラリと光る大得物を携えている。


 そんな一団に向かってバスダロトは迷いなく突っ込んでいった。その行動は語弊を恐れない言い方をすれば蛮勇や死に急ぎと表現して差し支えない。もっと明け透けに分かりやすく言うならば、ただの飛び込み自殺だ、と言っても過言ではないかもしれない。


 それでも彼はためらいもなく行動した。

 行動してくれた。


「その首、貰いやすぜ!!!」


 ぎょっとした熊人ウェアベアーの首元に狙いを定めて飛び、刃を振う。


 紛れもない手練れの一撃。完全な不意打ちと本人のナイフ捌きの技量の高さがプラスされたそれはほぼ完璧に近い一撃と言える。


 ザシュッ!! 音を立ててナイフの刃が深々と首に突き刺さり、そのまま喉笛を切り裂いて血が噴き出した。


 だが、

「ほう、いい一撃だ。だが狙う相手を間違えたな」

 完璧な不意打ちで最前線に立っていた一人を殺したというのに集団に動揺が広がる気配は一切なかった。


 それどころか集団の中で一人だけ図抜けた体格の持ち主はバスダロトのことを賞賛して来る始末。


 賞賛の言葉と同時に武器が振われる。


 それは無骨で大きな戦斧だった。ハルバードと呼ばれるそれの柄は人間ほどの太さがあり、人間の倍以上も長さがある。柄の先に組み込まれたギロチンのような刃は肉厚で過大、それでいて驚くほどの鋭利さを備えている。そんな長重なものを苦も無く迅速に振り上げて、油断も隙もなく振り下ろした。


「ちっ、ぃぃぃぃ!!!」

 バスダロトは反射的に避けようと身を捻る。


 だが――――、

「勘は悪くないが体が鈍すぎるな」

 寸で遅かった。


 斬撃音と破裂音、それから飛沫が上がる音が響く。


「ほお。脳天から二つに割いたつもりだったが良く避けたな」


「馬鹿が……、避けたなんて……、言えるかよ……」


 微かな声で、震える声で、バスダロトが吐き捨てる。


 無残な姿だった。


 右の肩口から右の腰骨まで、上半身の右側が丸っと切り取られている。だくだくと血が流れ出て、すっぱり広がった切り口からは砕けた骨が、寸断された肺や胃が包み隠れることなくさらけ出されている。


 遅れて切り払われた半身がどさりと地面に転がった。


「いや、即死を避けるためにわざわざ左側に身を捻っている辺り大したものだ。この虫の息加減で生き残るのにどんな意味があるかは掴みあぐねるがな」


 振り下ろした鋭利な凶器をゆっくりとまた持ち上げる。


 それは目の前の敵に対して引導を渡すための動作。半身を切り落として虫の息になったバスダロトを雑になぎ払うため、ではなく抜かりなく十全に殺しきるための動作。


 刻一刻と流れ続ける血液量は既に人の活動限界を超えている。身を起こしていることでさえ、あと三秒も持たないだろう。


 もう死んだも同然だ。


 それでも目の前の筋骨隆々な魅入られし存在たる何者かは、今この瞬間にきっちりと完全に命の灯を断ち切るつもりらしい。


「虫の息になるのが分かっていて、それでも何とか生き残ろうとするつーことはよぉ……。何らかの一発逆転の手札を用意しているって、相場が決まっとろーが!!!」


 掠れた声でバスダロトが叫んだ。命の残り火の最後の最後、燃え尽きる火が一瞬だけ大きくなるかのように、力のこもった叫びだった。言葉と同時にレッグホルダーから三本のガラス瓶を引っこ抜き、そのまま地面に叩きつける。


 バリンッ!! というガラスの割れる音と、バシャッ!! という液体が地面に広がる音が鳴る。


「面白い、なんだ致死毒でも捲いたか? しかし俺達に人間の毒なぞが効くと思うなよ」


 どさり、とバスダロトの体が地面に倒れ伏す。

 目の前の魅入られし存在に声を返す者はもういない。

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