第6話 弟の中に父を見る

 最大の宿敵新田義貞を討った足利尊氏は、ここにようやく征夷大将軍の宣下を受け、名実ともに足利幕府が始まった。

 後醍醐天皇が崩御したのはその翌年である。

 彼はその報に接すると朝廷(北朝)でさえ幕府をはばかるばかりに対応を決めかねていたというのに即座に雑訴ざっそにいたるまですべての政務を停止して追悼、謹慎の意を表した。

 だけでなく平等院で菩提を弔う法事を催したり、大般若経を写経している。

 果てはそうこくの進言をいれ、天竜寺の建立まで行っている。

 兄正行から預けられた情報網からもたらされる情報には驚かされるものが多かった。

 学問の道はまだ緒についたばかりの正儀である。

 大人の心の機微など判ろう筈もない。

 ただ彼は受け取った情報を手習がわりにして兄の手紙にしたためてくる。

 正行は尊氏の気持ちが半ばまで判っている。

 真に後醍醐天皇に申し訳ないことをした、不忠をしたという事を悔いている。

 しかし、だからこそ正行には尊氏を許せないという気持ちがこの頃いっそう募っていた。

 その想念は、あるいは尊氏に対してだけではなかったのではないかとさえ思える。

 最愛の父を奪い、楠木一族一党を否応の叶わぬ戦乱の渦中へと追い込む南朝の公家どもに対しても、やり場のない憤りを感じるようになっていたに違いない。

 楠木勢は吉野の行宮を護っている。

 その間、南北両朝の争いは全国で幾度となく繰り返された。

 全国で、とは言ってもそれは九州菊池一族の奮闘を例外として、おおむね南朝方が起っては潰走するという繰り返しであった。

 信濃では北条残党が、越前では新田の一族が討たれても倒されても飽くなき闘争心で兵を繰り出していた。

 そこには大義や勤王の志がある訳ではない。

 あるのは足利氏に対する怨念と足利の世では生きていけないという事実に抗う執念があるだけだ。

 正儀はその様をむなしいと感じ、正行は切ないと思う。

 そうした中、常陸にあってことのほか健闘していた顕家の父きたばたけ親房ちかふさが、関城での絶望的な抵抗を続けていたせき宗祐むねすけ率いる籠城軍を見捨てて吉野へ逃れてきた。

 楠木兄弟への印象は、その初めから悪い。

 城兵は極度の飢えに苦しんだ末にこうの師冬もろふゆ率いる軍勢に抵抗らしい抵抗も出来ずに討ち散らされている。

 そんな彼らに対して一顧いっこだにもせず自らの苦心だけを切々と主上に語る姿には、さすがの正時もまでがその思いを表情に顕したほどである。

 旧知の公家衆とひとしきり再会を喜び合ったあと、親房は威儀を正して正行たちをねめつけた。


「楠木もんしょう


 正行は頭を下げる。


今日こんにちまでよう主上をお護りなされた事、褒めてつかわす」


「……ありがたきお言葉、恐悦至極に存じます」


 正行は努めて抑揚なく答えるとぎりりと奥歯を噛みしめた。

 行宮の警護にあたるようになって四年になる。

 その間、公家衆の武家軽視の雰囲気は確かに感じていた。

 しかし、ここまであからさまにその気分を色に出した公家はいない。

 それはもう侮蔑と言えた。


 これがあの顕家様の父親か……。


 正行には睨みつけたい衝動をかろうじて抑え、ゆっくりと吐息をつく。

 親房はそれを一瞥したが、すぐに向き直る。


「主上。この親房、ご主上のためにと書き認めましたものがございますので、なにとぞお読みくださいますよう」


 そう言って差し出した書物こそが南朝を、そして正行正儀らを無限の戦地獄へと引き込む事になる「神皇じんのうしょうとう」である。

 後醍醐天皇がまかられ、後を襲って即位した義良親王が皇統として正統であるという事を筆を尽くして書き述べている。

 この事を大義の根拠として南朝方の人命は以後五十年もの長きに渡って散らされ続けるのだ。

 この頃から正行の体調はどうも芳しくない。

 元来、戦場働きをこなすような恵まれた体つきではなかったのだろう。

 ただ彼は楠木党の党首として父の遺言のために生をまっとうし、帝を、河内の民を守ってきた。

 心にも身体にも蓄積していたその疲労が耐えきれず顕れたものとみえる。

 彼は行宮に正時を残して一時河内の館に戻ってきた。


「兄上は無理をしすぎです。そのお年で父上の替わりを見事にこなせるわけかないではありませんか」


 散所から見舞いに戻った弟の姿を見た正行は、目を細めて微笑んだ。

 生来色白な顔がやややつれ、蒼白とも見える。


「大きくなったな。逞しくなった。兄弟の中ではお前が一番父に似ているやもしれん」


 正行は薄れゆく父の面影を弟の中に確かに見留めた。

 まだ十代も半ばではあるが、正行のような儚さがない。

 正時のような稀薄さもない。

 濃密な生の中に「悪党」の力強さを感じる。


「……悪党か」


「何か申されましたか」


 この頃にはすでに「悪党」なる鎌倉末期に活躍したような存在は消滅していた。

 ある者は商いに専従し、ある者は名和氏のように武士となり、またある者は争いの中に滅んできた。

 楠木はどうなるのか。

 正行にはその決定権がすでにない。

 しかし、まだどれかの道を一つ選んでしまった訳でもない。

 吉野の行宮に行けば確かに南朝の中でも重きをなす帯刀たちはき舎人のとねりであり、河内にあっては南朝から河内守かわちのかみを拝命した足利幕府も憚る有力豪族でもありながら、いまだに散所の権益に深く関わる長者のようでもある。


「お前もそろそろ元服せねばならんな」


 父は、この弟にだけいみなを与えられなかった。

 さて、父であればどのような諱を授けたであろう。

 彼は「正儀まさのり」と名付けた。

 「儀」は立派な行いを意味し、ことがらの意もある。

 正しい事柄に対し、正しく振る舞って欲しい。

 そう願ったのだ。

 父には果たし得なかった事、自分には出来そうにない事をこの弟に望んでみたのかも知れない。


 楠木党はいまだに沈黙を続けている。

 小競り合いこそ幾度か起きてはいるが、北朝が本格的に動いてくるような事はなかったし、楠木自身が河内を出撃することもない。

 その争いは在地豪族の領土争いの域を出るようなものではなかった。

 いや、武力を用いた戦をしていないだけで、正行は父に劣らぬ智謀で色々と仕掛けていたのである。

 京の都は勝ちに驕った武士らの傍若無人な振る舞いに晒されていた。

 時代は戦乱期である。

 戦に勝つことで所領も権力も手に入れてきた者どもが驕るのは仕方のない人間の業とも言えたが、それを抑えるべき幕府に彼らを制するだけの権力がなかったのだ。

 まして幕府を開くためだけに担がれた朝廷に威光などありようもなく、しばしば公家と武家の間に争いが起こった。

 その人心の荒廃を衝くように流言飛語を巷に流していたのだ。

 それは「吉野が動く」というようなものではあり得ない。

 兵力では抗し得ないと知っている正行の天変地異や狐狸妖怪、怨霊を持ち出した哀しい抵抗であった。

 これはしかし、打ち続く混乱の中にあって京の都に放置される不衛生さから起こった疫病と相まって、多少なりとも効果をあげはした。


「それだけの事だ」


 この程度の流言に戦局を変える力のないことなど、理解出来ない正行ではない。

 ただ北朝と京の都の人々の心に吉野朝廷を意識させるだけの力はあると信じていた。

 かみも神仏も畏れないとうそぶく武家にではなく、彼らに因果応報をと希う人々に向けて飛語を放っていたのだ。

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