第2話 オレンジソース

 柿から抽出した砂糖と、魚醤、塩を使い、肉じゃがを作る。

「ほら、アリス。俺に飛び乗って」

「え。乗り移ってもいいですか?」

「何か問題があるのか?」

 俺は眉根を寄せ訊ねる。

「いえ。乗り移ると少しの間、気を失うらしいので……」

「それでいい。俺の身体を使えば食事もできるだろう?」

「はい。そうですが……」

 煮え切らない態度に、俺はちょっとイラッとする。

「いいから、食べてみろ」

「は、はい。失礼します」

 アリスは俺に飛び乗り、食事を始める。


 終わったらしい。

 俺が夢から覚めると、アリスは感慨深そうにため息を吐く。

「どうだった?」

「おいしかったです! とてもおいしかったぁ~♡」

 アリスはうっとりとした声音で、肉じゃがを見つめる。

「なんだ? こんな夜更けに……」

 寝ぼけ眼をこすり、廊下から入ってくるノノ。

 クンクンと匂いを嗅ぎ、顔色がよくなる。

「おお! うまそうな匂いだ。食べていいの?」

 ノノは肉じゃがを見て、問う。

「ええ。アリスにも味わってもらったところです」

「アリス……? 乗り移るのはキスに等しい行為、それを易々と?」

「え……」「たははは」

 アリスが乾いた笑いを浮かべる。

「常識なの」

「いやいや! そんな常識知りませんから! アリスも言ってくれなかったじゃないか!」

「だって、おいしそうだったんだもん!」

 もん! って!

 ああ、たくもう。

「して、お味はどうなの?」

 ノノは肉じゃがを食べ始める。

「う、うまいじゃないか! これなら明日の料理勝負も問題ないの。あ、もう今日か」

 ボーンボーンと鳴り響く時計の音。

 もう十二時を回ったのだ。

「して。もう寝るよ。ほら、アリスも」

 ノノが先陣を切ると、俺たちは各々の部屋に戻ることになった。

 確かに睡眠は大事だろうに。

 自室に戻ると泥のように眠る俺。


 朝早く起きると隣にアリスがいる。はだけた衣服からは白い地肌が見えて……。

「いかんいかん。幽霊になに考えているんだか」

 俺は自分でもあきれた声を上げる。

 アリスを起こさないようこっそりと起き上がると、着替え、俺は魚市場に向かう。

 お金はノノからもらっている。基本的に料理にかかったお金はすべてノノ持ちになるそうだ。

 お店で塩魚えんぎょと呼ばれる魚を購入する。この魚は海水からとれる塩を体内に蓄積する。そのため身は塩辛くそれだけでは食べられたものじゃない。

 だが、俺はその塩気を塩の代わりにすることができる。

 その他にもサンマやアジを購入。

 他の店でトマトや柿、魚醤、羊肉などを買い足していく。

 これで今夜の料理勝負には勝てそうだ。

 しかし、

「これだけいいものがそろっているのに、なぜ食事はマズいんだ……」

 俺の呟きは朝市の活気に消し飛ぶ。

 家に帰り、キッチンで火を付ける。薪に火をともすのには慣れていないからか、時間がかかった。

 火をともしたキッチンで俺は下処理を行っていく。

 サンマは鮮度を活かした塩焼き。アジは内臓を取り除き、天日干しにする。これで明日の食事はまかなえる。

「お昼できましたよ」

 俺はノノを呼ぶ。

「なっ! おれの仕事を!」

 前任のアック料理長が泡を食った顔をする。

「もうできたのか……」

 アックが呆れに近い顔を浮かべている。

 俺は料理はおいしくないと意味がないと思っている。

 だから料理を提供する。

 俺の腕前ならできる。

「ん! おいしい」

 ノノはうっとりするような息づかいで食事をする。

 ちょうどいいあんばいの塩気が効いたサンマ。それにレタスを中心とした生サラダ。中華スープに、白米。

 日本食に寄せた形ではあるが、ノノは満足げに頷くのだった。


 ひんやりとした夜。

 俺の目は冴え渡っている。

 俺の仕事は決まっている。毎度の食事、それの調理だ。

 しかし俺は目の前の光景に立ち尽くしている。

 羊肉にかけられた塩。正確には塩魚のすり身がこれでもかとかけられてる。

 まるで塩の塊に取り込まれた羊肉。

 立ちすくむ。

 予定ではこの臭みのある肉を熱湯で下処理、ほろほろにほぐれるほど煮込み、ビーフシチューのようにする予定だったのだ。なにせ、こちらの世界ではパンが主流なのだ。

 昼飯に白米を出したとはいえ、その文化は廃れたわけじゃない。

 だが、その羊肉が塩まみれになっては意味がない。

 俺は調理を開始したアックを睨む。

「へ。どうした? お坊ちゃんはメシの一つも作れないのか?」

 挑発的な笑み。言動に苛立ちを覚える。

 まるで地球にいた頃と同じじゃないか。このままでは料理人の名が廃る。

 ビーフシチューがダメなら、他の方法で挑んでやる!

 俺はその塩漬けの羊肉をオーブンに入れる。そして焼き始める。

「おいおい。何をしているんだ? そんなのもう食えないだろ」

 失笑するアック。

 だが俺は知っている。

 塩気が肉をおいしくすることを。

 その間に買ってきた肉の残りをミンチにしていく。

「おいおい。せっかくの肉だっていうのに、そんなに細かくしてどうする?」

「分からないのなら黙っていてください」

 俺はそう返すと、オーブンの様子を見る。

 まだ大丈夫。内部まで火を通すのには時間がかかるからな。

 ミンチ肉をナスで挟み、片栗粉のような粉を水で溶き、それを高温の油で揚げる。

 肉のナスサンドだ。

 できあがると、次の行程にかかる。とても酸っぱいトマトと、卵を利用したマヨネーズ作り。

 生サラダにはこれが一番、マヨネーズ。

「何を作ってももう遅い!」

 先にできたアックの料理。

 それをノノに提供する。

「一番は腹が減っているときに食べることだ。それゆえ、早く食卓に運べる方が有利なのさ!」

 アックはそう言い、この地域ならではのスープを差し出す。

「ほう。これは馳走だな」

 ノノは感心すると、そのスープに手をつける。

「うむ。うまい」

 しかりとした下味にこしらえた具材、この地方では珍しい薄味の塩気。

 この料理人、できる!

 俺は内心不安を覚えるが、俺にできるのはうまい料理を作るだけ。

「ふぅ。食べ終えてしまった。これではガイの料理が頂けないかもしれんのう」

 ノノは気を遣うことなく、思ったことを口にする。

 そんな中、アリスがよってくる。

「大丈夫ですよ! ガイさんの料理がおいしいのはわたしが証明しています!」

 俺はその応援を胸に料理を急ぐ。

「まだかのう? ガイの料理は。このままでは寝てしまうぞい」

 まだ焼けないのか。あと二十分はかかりそうだ。

 このままでは……。

「そろそろ眠くなってきたぞい」

 ノノはあくびをかみ殺し、眠たげな目をこする。

「できました」

 俺はマヨネーズと生サラダを出す。

「これだけ、かえ?」

「いいえ。俺の提供するのはイタリアンのフルコース。ぜひ堪能していってください」

「フル、コースだと……!」

 訝しげな声を上げたのはアック。

 そして「ほう」と感心した様子を浮かべるノノ。

「しかし、ヘルシーな料理だ。うまいのかえ?」

「そちらに添えてあるソースをつけて食べてみてください」

 マヨネーズに生サラダをつけて食べ始めるノノ。

「う、うまい……。なんだこれは……!」

「気に入って頂けたようでなにより」

 時間がきたのか、キッチンに戻ると、できあがった塩漬けの肉を取り出す。

 塩をハンマーで砕き、中の肉を取り出す。

 切り出し、オレンジソースを添えてノノのもとに出す。

「肉か? ただの肉焼きじゃあ、うまいとは言えないぞ」

 ノノはその素のままの肉に怪訝を示す。

「ん? 添えてあるものはなんだ?」

 オレンジソースが視界に入ったようだ。

「こちら、オレンジソースです。食べやすいよう、塩気を加えております」

 オレンジだけではなく、塩気を足すことで、こちらの文化にあった料理を組み立てる。それは俺にとっては難しいことではなかった。

 これで勝てる!

 そんな自信が俺にはあった。

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