21.「困るでしょ?泣くでしょう?」

 翌日出勤をするや否やサエちゃんに「あれから米屋とどうかなった?」と問い詰められ、その明け透けな言い方に苦笑いを返す。


「どうもなってないよー。好き、って、言われただけ……」

「いや、どうかなってんじゃん!」


 いや、どうもなってないのだ。昨夜、米屋の家に行って、「もう分かってると思うけど、オレ、美輪のことが好きなんだ」と真剣な瞳で告げられた。最近なんとなく気づき始めてはいたものの、実際に言葉にされた衝撃はすごかった。なんと答えようか悩んでいる私に、米屋は「好きな人いるんだろ?」と確信を得ているような口振りで話を続けた。


「う、うーん。うん。でもダメなの。好きになっちゃダメなの」

「ふぅん。ま、オレにとってはラッキーだけどな。気持ちもバレたし、これからはガンガン押してくわ」


 米屋の爽やかな笑顔の裏に、少しの焦燥と期待が見えた。私はそれに微笑み、「私も米屋のこと真剣に考えるよ」と返した。これだけ。そこからはそれぞれがお風呂に入って別々に就寝した。それだけだ。少し進展した、という意味ではどうかなってる内に入るのかな?


「えー、楽しそう!付き合ったら教えてよ!」


 サエちゃんは他人事だと思って楽しそうだ。まぁ、実際に他人事なんだけど。当事者の私は、米屋と約束した食べ歩きデートを楽しみにしていた。なんだかんだで米屋のこと好きになれたら、それが一番幸せなんだろうなぁ。





 家へ帰ると、お風呂上がりの千石が私を「おかえりなさい」と出迎えてくれた。昨日のことを思い出して勝手に気まずい心地になって、「ただいま」と返す声が僅かに震えた。

 でも私にはどうしても確かめておきたいことがあった。本当は傷を抉るような行為はしたくないのだ。だけど、膿を出し切って清々しい気持ちになりたいのも本音だった。現実を突きつけてもらって、いっそバッサリと切ってもらおう。


「もうご飯食べた?」

「まだです」

「よかったぁ!今日はこれ、買ってきたんだ!」


 私が手に持っていた袋を掲げる。そこには千石と食べようと買ったたこ焼きが入っていた。最寄り駅の近くにある美味しいたこ焼き屋さんで、以前食べた時に千石が「うまい!」と喜んでいたことを思い出したのだ。


 そのたこ焼きを食べながら私はビールを喉に流し込んだ。申し訳ないがお酒の力でも借りないと、怖くて聞けないから。


「今日はほどほどにしておいてくださいよ」


 と言った千石の言葉には反応せず、私は意を決して「千石と楓ちゃんって付き合ったの?」と質問を投げかけた。


「寺元さんと?いえ、付き合ってませんが」

「えっ?そうなの?」

「はい。なんなんですか、突然」


 訝しむような視線を私に寄越した千石を見つめ、ということは体だけの関係ってことか、と勝手に納得をした。千石なら全然あり得る。なんなら「付き合うのとか面倒なんで。僕がセックスしたいときに体貸してくださいよ」とか言いそうだ。


「そういう瑠璃子さんは?米屋さんと付き合ったんですか?」


 油断していたときに唐突に質問を返されたので狼狽えてしまった。そんな私を見て千石が「付き合ったんですね」と早合点をした。違うよ付き合ってない、そう返す前に千石が言葉を続ける。


「やったの?昨日、米屋さんと。僕にしたみたいに下品に腰振って、米屋さんのこと誘ったの?」


 やったの?だなんて、汚い言葉を使った千石は、あからさまに私のことを挑発していた。私は勢いよくビールを流し込み、だん、と割と大きめな音を立ててビール缶をテーブルに打ちつけた。自分のことは棚に上げて、私のことを非難するような物言いに腹が立ったのだ。そもそも私は濡れ衣だし。


「私が米屋とどんな風にセックスしてても千石には関係ないじゃん!」

「ほんとにしたんですか?」

「……した。だって、千石がしてくんなかったから」


 これは良くない嘘だ。完全に当て付け。千石が少しでも罪悪感を抱けばいいと思った、ほんの出来心だった。


「……ま、米屋さんいい人ですし。お幸せに」


 だけど千石は心底安心したように笑った。しかもそれだけにとどまらず、「お幸せに」と私と米屋を祝福したのだ。

 私は見事返り討ちにあった。もしかしたら嫉妬してくれるんじゃないかと、邪な期待を抱いていた。だけど千石はそんな素振りなんて全く見せなかった。千石は私のこと、恋愛対象としてちっとも見てくれていなかった。


「っ、もうやだ!千石きらいっ!」


 これは完全な八つ当たりだ。思い通りの結果を得られなかったからって、千石に当たり散らしている。現実を突きつけてもらって、綺麗さっぱり忘れようだなんて。それこそ綺麗事のとんだ建前だったわけだ。惨めで、滑稽。もっと大人になりなよ。「ありがとう」ぐらいにっこりと笑って言えばいいじゃん。心のどこかでは分かっているのに、実際に口から出てくる言葉は全て千石を非難するものだった。


「なんで、お幸せになんて言うの!千石がなに考えてるのか分かんないっ!」

「…………」


 私だけがヒートアップして、一方的に千石を責めている。しかも身勝手極まりない理由でだ。いつもの千石ならば、呆れ果てて大きなため息でも吐いているだろう。だけど今日の千石は私の理不尽な怒りに何も言わず、ただただ私を苦しげに見つめるだけ。制御が効かなくなった私の理性は、千石の反応がないことにも腹を立ててさらに怒りをぶつける。


「私のこと抱くって言ったのに!可愛くてスタイルが良い楓ちゃんとセックスしたんでしょ?もー、やだぁ!千石のバカ!自己中!高慢ちき!鈍感!バカバカバカ!」

「…………、」

「なんか言ってよ。意気地なし!ヘタレ!」

「……、」


「好き。千石、好き」


 「千石、なに考えてるの。なにか言ってよ」と、なんて大人げない。どちらが自己中で高慢ちきで鈍感で意気地なしなのか。

 我慢できなかった感情を言葉にした途端、今まで黙っていた千石が徐に口を開いた。


「はぁ……ほんと、あなたって。米屋さんと付き合ったんじゃないの?」

「付き合ってない」

「付き合ってもないのにセックスしたの?」

「……してない。してないよ。私、千石がいいの。千石じゃなきゃだめなの」


 私の言葉をそこまで聞いた千石は、困ったように額に手を当てて、もう一度ため息を吐いた。だけどそれは呆れとかそういったものではなくて、自分自身を落ち着かせるようなものだった。


「僕は必死で我慢してるんですよ」

「我慢?なにを我慢してるの」


 その問いかけに千石は「いろいろとですよ」と曖昧な返事を寄越した。私は濁されたその"いろいろ"を知りたいのだけど。私の瞳をまっすぐに見つめる千石はすぐに「困るでしょ」と言葉を繋げた。

 言いたいのか言いたくないのか、知ってほしいのか知られたくないのか。やはり千石は遠回しにしか自分の気持ちを表さない。


「はっきり言って。私、鈍感だから分からないよ」


 と、いつか千石に指摘された私の性格を逆手に取って懇願すれば、千石は諦めたように眉を下げて笑った。


「いつまで居られるか分かんない僕が、あなたを愛したって……困るでしょ?」「僕がいなくなったあと、泣くでしょう?絶対」


 一呼吸置いて、千石はそう告げる。千石はこれからの私の心配ばかりだ。じゃあ、今の私は?今千石に愛されたいと願っている私の気持ちは?そして千石の気持ちは?そこを教えてほしい。


「先のことなんて今は考えたくない。今の千石の気持ちを知りたい」

「、そんなの、許されるんですか」

「私が許すよ。お願い、」


 私は縋るように千石へ体を寄せた。懇願の瞳が千石を映すが、溢れる涙によってすぐに滲んでしまう。今、千石はどんな顔をしているのだろう。それが分からなかったのは涙のせいではない。千石が私に口づけを落としたからだ。ゆっくりと、千石が震えていることが伝わってくるほどの丁寧な口づけ。


「好きです。瑠璃子さん、あなたのことが好きです」


 先ほど柔らかい口づけを落としてくれた唇が、今度は愛の言葉を囁いた。千石は諦めたように笑っていた。私も千石が愛しくて笑った。

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