第12話

 小倉と別れ、マンションの自室のドアを鍵で開けようとする。

 しかし。


「は? なんで開いてるんだよ」


 何故かドアが開いていた。

 毎日これでもかと防犯に気を遣い、家を出る前にドアをガチャガチャと鍵閉め点検している俺が閉め忘れるなんて考えられない。

 これはもしや……空き巣?

 ピッキングという奴だろうか。

 何しろ、危険事態なのは変わりない。


「警察に連絡するか。いやいや、まだ犯罪と決まったわけでは……でもそれ以外考えられないし」


 独り言を呟くが、いつまでもこうしているわけにはいかない。

 俺は仕方なく鞄を盾にして自室へ入った。

 すると。


「よっ、おかえりなさいませ~」

「お前かよ」

「お前ってなんだよ。せっかく会いに来てやったのに」

「呼んでないです」

「可愛くなーい。誰に似たのかね」


 ため息を吐きながらそう漏らすのはミルクティーカラーの髪の女。

 実家にいるはずの俺の姉である。


「なんでいるんだよ」

「クリスマス近いし、たまには顔見とこうかと思って」

「はいはい」


 鞄を適当に放り出し、俺は洗面所に直行。

 そのまま手洗いうがいをした。

 冬の大敵は乾燥によるウイルス感染。

 やはり予防はきちんとしないとな、うん。


 姉は勝手知ったるなんとやら、部屋の一角で寝転がってスマホを見ている。


「大学は?」

「今日は全休」

「明日は?」

「あるけどサボりまーす」

「行けよ馬鹿なんだから」

「お前に言われたくねーし」


 俺の課題サボり癖は姉由来である。

 姉にサボりの極意を教えてもらって以降、俺の生活は激変した。


 姉――宮田梨乃りのは今年20歳の大学二年生。

 なまけ癖を発揮して受験はボロボロ、何とか引っかかったギリギリFランではない私立大に通う女子大生である。

 見た目は、悪くはない。でも特筆して言うほど可愛くもない。

 それこそ贔屓目無しで言うと、顔面偏差値55というところか。

 別にブスでもないが、スタイルも良くないからな。


 まぁ俗に言うロリ体型というやつだ。

 身長百五十センチ前後、童顔、まな板というよりはただの幼児ボディ。


「何ジロジロ見て~。あ、お姉ちゃんの顔可愛い? 見惚れてた?」

「マジ可愛い。大好き。結婚して」

「きっも。あんた絶対女子に嫌われてるでしょ?」

「知らん」

「そもそも嫌われるほど接点もないか。ごめんちょ」


 この女、一回三途の川まで往復マラソンしてくればいいのに。


「ってか勝手に鍵開けんなよ。ビビるだろ」

「だって外寒いし」

「……じゃあ一言言うとかさ」

「サプライズの方がいいでしょ?」

「姉ちゃんにサプライズの価値なんてない」

「いい加減にしろよ。捻り潰すぞ」

「ごめんなさい」


 親しき中にも礼儀あり。

 というかあまり舐めた口をきくと急にキレられる。

 姉あるあるだな。

 面倒くさい。じゃあ来るなよと言いたい。

 そもそも他人の家に勝手に侵入しといてよくもまぁって感じだが。


「遅かったね。帰宅部の癖に」

「帰宅部じゃない。部活動無所属だ」

「一緒じゃん」

「違うんだよな」


 帰宅部などと言うと陰気な感じが増して嫌いなのだ。


「なになに、意味わかんない反発しちゃって~。あ、もしかして彼女できた?」

「……」


 どうしてこう、地雷を的確に踏み抜いてくるのか。

 姉という生き物なんて消えてしまえばいいのに。

 なんて心の中では軽口を叩くがしかし。


「何その切羽詰まった顔」

「うるせーよ……」


 折れかかった心は身内を目の前にし安心、そして真の姿をさらしだす。

 まるで姉ってのはラーの鏡みたいな効果だな。

 言葉とは裏腹に体は正直。

 俺は力なくその場に座り込んだ。


「え、どしたの?」

「……なぁ姉ちゃん」

「なに?」

「恋愛って何だと思う?」


 尋ねると彼女はきょとんとした表情をする。


「悠?」

「やっぱダメだな。どれだけ他人の前で虚勢張っても、あんたの顔見たらダメだ」

「……」


 姉はモテる。

 こんな子供っぽい女のどこがいいのか知らないが、中学に入ったくらいからずーっと彼氏がいるイメージだ。

 半年置きくらいに隣の男は変わりながら、しかしそれでも彼女は常に恋愛の渦中に身を投じている。

 現在はもうそろそろ一年になる彼氏がいるはずだ。


 そんな姉は、少し考えると口を開く。


「愛される事かな」

「愛される?」

「わたしってばわがままだからさ、人を愛す幸せとか性に合わなくてね。愛してもらわなきゃ無理なのよ」

「……」

「恋愛か。難しいね、確かに。わたしもよくわからないよ」

「そっか」

「でもね」


 姉は先ほどの軽口を叩いていた時とは全く異なる、優し気な笑みを浮かべて言った。


「わたしは恋愛好きだよ。他人に愛されたら嬉しくなるし、愛してくれる方も幸せになれる。一種の脳内麻薬みたいな感じかな」

「……ふぅん」

「何その相槌。わたしだってこんな事弟に話すの恥ずかしいんだからね?」

「はいはい。それは申し訳ございませんでしたでござんすよ」


 適当に返事をしながら天井を見上げる。

 お世辞にも優良物件とは言えない低い天井。

 だがこれがちょうどいい。


「マジで何なのよ。フラれた?」

「その次元にも到達してない」

「ありゃりゃ」

「馬鹿にしてんのか」

「ちょっとね」


 悠のビビり癖は昔っからだね~と揶揄いながら、姉は溜息を吐く。


「びっくりしたー。急に思いつめた顔してたから女の子妊娠でもさせたのかと思ったよ」

「ハッ、童貞の俺がそんな芸当できるわけ」

「わかんないよ~? 悠の武器は遠距離貫通攻撃可能かも」

「どこのチーターだよ。それとあんたの想像力、ワードチョイスにはいつも感心する」

「ありがと。でもあんたって呼ぶのやめないとはさみで切り落とすよ?」


 姉弟間でこんな下ネタを言い合うなんて普通はあり得ないんだろうな。

 でもうちはイレギュラーだ。

 姉は平気で下ネタ言ってくるタイプだし、俺も杏音程でないにしろ拗らせているため下ネタに恥ずかしさすら覚えない。


 ただ妹は違う。

 現在中学二年生。

 多感なお年頃な彼女にこの手の話題はご法度だ。

 顔を真っ赤にして発狂しかねない。


「ねぇねぇ、お姉ちゃんに話してみな? スッキリしたいでしょ? 話聞いてあげるからさ」

「うっぜぇな」


 とは言いつつ、もう既に喉の辺りまで鬱憤が出かかっている。

 やはりここ数日は我慢してたんだな、俺。

 そしてもう限界らしい。


「好きな子が親友と付き合い出してさ」

「あー、最悪なパターン」

「姉ちゃんも経験あるの?」

「わたしはもっぱら取る側だったけどね。恋は盲目だからさ、一回その気になり始めると周りなんか見えなくて、すぐには自分が他人の恋愛をぶち壊したことになんて気づけないんだよね~。で、気付いた後が地獄ってわけ」


 あいつらの場合その心配はないだろう。

 俺の芽杏への恋心は墓場まで持っていくからな。

 これからも興味ない振りし続けて、奴らの恋愛相談に乗ってやろうじゃないか。

 ……おえ。なんだろう、吐き気がするぞ。


「それでそいつらの恋愛相談に乗っててさ」

「可哀そうな役回りだね。でも自業自得かも」

「冷たいんだな」

「悠が告白してればそんな展開にはならなかったでしょ? 仮にフラれても気まずくて恋愛相談はしてこなかっただろうし」

「でもそうなるとアイツらとの縁が切れる」

「うん。だから保身に走った結果じゃん。悠が最善と思ったルートが現在なわけでしょ?」

「……まぁそうだな」


 俺は芽杏との縁が切れる事、仲の良い関係性が壊れることを恐れたのだ。

 そしてそれは、今の状況より避けたい展開だった。

 確かに自分で選んだ道だ。

 でも。


「可哀そうなことには変わりないけどね。これからも辛いよきっと」

「うん」

「頑張ってるね。えらいよ」

「……」


 姉は無言で俺を抱きしめる。

 身長差的に、小中学生に抱き着かれているようだ。

 小さく温かい体温が俺の心を内側から溶かす。

 嗅ぎなれた実家のシャンプー、柔軟剤の匂いがやけに心地いい。


「よしよし」

「……流石に調子乗り過ぎだろ」

「嬉しいくせに」


 二十歳の姉に頭を撫でられて喜ぶ男子高生がどこにいるんだよ。

 こそばゆいので小さな肩を掴んで姉を離す。

 彼女の頬は若干赤かった。

 恥ずかしいならあんたもやるなよ。


「安心した?」

「うん」

「じゃあ来てよかったよ」


 姉はそう言うと定位置に戻る。

 そして再びだらけた態度で寝転がった。

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