第10話

「どうぞ」

「お邪魔します……」


 ほとんど会話の無いまま自宅に到着した。

 招き入れると彼女は浮かない顔で靴を脱ぐ。


「汚い」

「杏音を拾った日はたまたま掃除したばっかりだったんですよ。男の一人暮らしがそんなに綺麗なわけがない」


 部屋に目立った埃は落ちていない。

 ハウスダストに弱いこともあり、掃除機は毎日かけるようにしているからだ。

 しかし、教材などは床に散らばっているという謎空間。


「恋愛って何なんでしょうね」

「さぁ、もう二年も前だし、他人を好きになるっていう感情そのものを忘れた」

「俺もそうなるんですかね。怖いなぁ……」


 真っ暗な部屋の中。

 電気もつけずに俺達は話す。

 窓を向きながら二人並んで座っている。


「ペット飼わない人の中に、死ぬのが怖いから、悲しみたくないから飼わないって人いるでしょ?」

「あぁ、俺そうです」


 懐かしいな。

 小二から小五の頃に飼ってた金魚だ。

 あれが死んだときは悲しかったな。

 二個下の妹なんて泣き喚いて、その日は学校どころじゃなかったのを覚えている。

 姉や両親はケロッとしていたが、確かに今思えば、金魚の死に絶望していたらこの先思いやられるって感じだな。

 命の重さに違いなんてないと綺麗ごとなら言えるが、正直違う。

 俺も妹もあの金魚に餌すらあげた事なかったし。


「私もそうなんだけどね。その考え方が恋愛にも起こるようになるよ、きっと近いうちに」

「どういう意味です?」

「どうせ別れるんだから、はなから付き合わなくていいやって」

「なるほど」


 悲しみの種は作らないようにするのが利口と言えよう。

 しかし、頷く俺に杏音は続ける。


「多分わかってない。そうなったら地獄の始まりなんだから」

「……」

「まず恋愛を恐れるようになる。身近に失恋する人を見れば恋愛なんてしなきゃいいのにと思い、芸能人が恋愛スキャンダルで干されるのを見れば恋愛なんて諸悪の根源だと思う。そしてどんどん恋愛を拒絶し始めて……最終的には誰の事も好きになれない。恋愛感情そのものが消える」

「おっそろしぃぃぃですね」


 ぼーっとそう口にすると、杏音は俺を向く。

 暗闇の中でも整った鼻筋など、綺麗な凹凸・陰影のおかげで可愛い。


「今の話聞いてどう思った?」

「恋愛感情そのものがなくなるなら幸せそうかも、と」

「ふふ、こちら側へ来るのも時間の問題ね」

「えぇぇ」

「何その反応。うっざ」

「ありゃああぁぁぁぁ」


 思い切り左腕を握り締められて、俺は奇声を漏らす。

 ふっざけんじゃねーぞこの女! どんな握力してやがるんだ。

 涙目になりながらお返しにと、その二の腕を掴もうとした。

 しかし、触れる間際に芽杏の顔が浮かぶ。


「なによ、来ないの?」

「芽杏の姉の腕と思った瞬間、急に血の気が引きました」

「……やめて反応に困ること言うの」

「すみません」


 やめたいのは俺の方なんだがな。

 今まで自分の中だけに抑えていた恋心を曝け出した事により、俺のメンタルもぐちゃぐちゃだ。


「悠、結婚願望あるの?」

「はい」

「じゃあ治さなきゃね」


 恋愛によるトラブルは容易に想像がつく。

 中学の頃の同級生には告白失敗からのいじられキャラ堕ち、そして転校という確定コンボを食らっていた奴もいたしな。

 痴情の縺れから殺人事件だって起こるご時世だ。


 だけど、将来は愛にあふれた環境で生活したいのだ。


 笑顔と会話の絶えない家庭。

 年上の包容力ある美人が毎日いってらっしゃい、おかえりを言ってくれる日々。

 夕飯の後には子供たちと遊んだり勉強を教えたり、そしていろんな話をしたり。

 あぁ子供は女の子と男の子が一人ずつが良いな。

 それから、夜になればやはり——。


「ねぇ、何考えてる?」

「夜はやっぱり大きな胸で——ゴヴァッ!?」


 脳内妄想を垂れ流し始めた俺にティッシュの箱が飛んでくる。

 思い切り鼻の頂点に激突した。


「な、何するんですか! これ以上鼻を低くしないで!」

「キモいこと言ってるからでしょ。まるで当てつけみたいに……って、芽杏の事好きって胸の話?」

「違いますよ失礼な」


 まぁそれもあるのだが。

 っとダメだダメだ、想像するな。

 虚しくなる。

 一部元気になるがその生理現象にさらに虚しくなる。


 若干変形した俺の家のティッシュ箱をなでなでしながら、俺は杏音を睨んだ。


「じゃあ杏音はどんな結婚生活したいんですか?」

「……言いたくない」

「きっも。言いたくないような事考えてるんだー」

「ッ! 私だって妄想くらいするわよ」

「うっひょーい。はい言質取りましたー。孤高魔女はドブ汚水浴の趣味がある変態妄想家っと。メモメモ」

「ちょっと、マジで変なことスマホに打ち込まないで」


 売られた喧嘩を買っただけだ。

 まぁいい。

 スマホの入力を総消しして電源を切る。部屋がまた一気に暗くなった。


「っていうか、芽杏で思い出しましたけど、とんでもない勘違いされてます俺」

「私の事好きっていう勘違い?」

「そうです」

「皮肉な話ね。悠が好きなのは芽杏なのに」

「今は好きじゃないですよ」

「本当?」

「勿論。NTRはするのもされるのも見るのも嫌いです」

「NTRって……やる気満々じゃん」

「モノの例えでしょうが」


 意地悪な人だな。

 そもそも寝取るような度胸があれば、今頃告白してるさ。

 ビビりだからこうなっているというのに。


「親友に好きな子取られるのって辛そう。今後何かとイチャイチャを至近距離で見せられるね」

「苦しいです」

「……」


 茶化すことなく弱みを晒すと、杏音は黙る。

 そして手を伸ばそうとしてきて、すぐに引っ込めた。


「何してるんですか?」

「慰めようと思ったけど、なんか違うなって」

「優しいですね」

「ごめん今の嘘。殴ろうと思っただけ」


 可愛くない人だ。

 いや、むしろこの天邪鬼さがチャームポイントかもしれないが。


「話戻しますけど、芽杏の勘違いはどうするんですか? 既に俺を杏音にくっつけようとしてますよ」

「知ってる。年下は好き? って昨日聞かれた」

「なんて答えたの?」

「イケメンなら何でもって」

「それに対して芽杏は?」

「じゃああいつは無理かぁ~って言ってた」

「……」


 ぶん殴ってやりたい衝動と、そして好きだった人にイケメンではないと言われたことを間接的に知ったショック。

 ストレスで禿げそうだ。鼻毛が。


「まぁ放置してていいんじゃない?」

「楽しんでます?」

「若干ね」

「あなたにも一応被害は及ぶと思うんですけど」

「別にいい。妹が楽しんでるなら妨げはしない」


 そのせいで俺が迷惑被るんです。


「悠も芽杏と話すきっかけができてよかったじゃん」

「彼氏持ちと話してもですね」

「どうせすぐ別れる」

「なんてことを……」


 悪魔のささやきだ。

 いや、魔女のささやきか。

 そう言えばこの女、魔女呼ばわりされているような奴だしな。

 性格が悪いのは分かり切っている。


「まぁ仮に悠と芽杏が付き合うことになってもすぐに別れると思うけど」

「……」


 悪戯っぽい目で顔を覗き込んでくるのが腹立たしい。

 俺はこの仕草にお茶目や可愛いと言ってあげられるほど、穏やかではないのだ。


「っていうか話って何だったんですか?」

「別になんでも。見かけたから」

「寂しがり屋なんですね。さっさと友達か彼氏作ればいいのに」

「それができれば苦労してないでしょ」

「まぁそうですね」


 ほんと、俺達の関係は歪だ。

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