第5話

 杏音がシャワーから上がった後、濡れたままの風呂場でシャワーを浴びる。

 つい数分前まで全裸の女子高生がいたと考えると、ドキドキしてしまいそうになるため、実家の姉の笑顔を必死に想像した。

 ありがとうお姉ちゃん。

 今日も無事に僕は無事です。


 リビングでは杏音がラフにテレビを見ていた。


「服着替えなくて平気なんですか?」

「まぁ汗かいてないし」

「汗って気付かないだけで結構掻いてるもんですよ」

「そんな事言うんなら、悠は毎日制服洗ってるの?」


 それとこれとは別だろう。

 だって俺、制服で寝るわけじゃないし。

 しかし。


「私も別に布団に包まるわけじゃないし。あ、悠が嫌なら服買ってくるけど」

「もういいですよ」


 床で雑魚寝されるくらいどうでもいい。 

 と、彼女が昨日貸した上着を羽織っていることに気づいた。

 さっきまで着てなかったのにだ。


「なんで上着てるんですか?」


 聞くと彼女は俺の方を見もせずに言ってのけた。


「ブラ付けてないから」

「……え?」


 今なんと言いましたかこの人は。

 あなたの実家じゃないんですけど。


「寝るときに下着付けてるの嫌いなの」

「形崩れますよ」

「……どうせ誰も見ないし」


 なぜ傷口を自ら抉るのか。

 自爆してる人へのフォローなんて知らないぞ。


「俺が見ちゃおっかなー」


 放置するのも痛々しかったためちらりと彼女を見た。

 謎の言葉を発する俺に、彼女はゆっくりと振り返る。


「見たいの?」

「え? いや、なんでぇ?」


 違うだろ。

 もっとこう、いつもみたいに気持ち悪いだの死ねだの殺すだの言ってくれないと調子狂っちゃうじゃん。

 いや別に、罵詈雑言を受けたいわけじゃないんだが。……ホントだよ?


「見せるわけないでしょ」

「ですよね」

「どうせ見せるほどのものはないし」


 自分の胸を押さえて目を閉じ、ため息を吐く杏音。

 とても怖いです。


 しかしながら姉妹でこうも違うとはな。

 妹は巨乳というか、もう少しで爆乳?って感じのサイズなのに、姉はまな板レベルでもないが慎ましいサイズ感。

 血というのは残酷だな。


「憐みの視線を送ってこないで。どうせ芽杏は巨乳なのになんでこの女は貧乳なのか、なんて勝手に推理してるんでしょ?」

「姉妹でサイズが違うなんてよくある話ですよ。うちも姉と妹がいますけど、姉と妹でサイズかなり違いますし」

「否定はしないんだ」

「バレる嘘はつきません」


 杏音はテレビを消し、俺に向き合う。

 テーブルを隔て、彼女は若干イライラしたように言った。


「全部持っていかれたわ。胸もコミュ力も」

「成績は杏音の方がいいじゃないですか」

「この世界で重要なのは愛嬌よ。変に器用貧乏になると疎まれるだけ」

「そんなことわかりませんよ。いつか理解者が現れるかも」

「無責任な言葉。誰よ理解者って」

「あなたの事を好きになってくれる人とか」


 言うと杏音は笑った。

 昨日から見た中で一番寂しそうな表情を浮かべる。

 それは口角は上がっているが、眉は下がっているような、痛々しい笑みだった。


「恋愛はしたくない」

「それは、二年前の話ですか?」

「……まぁそうかも。中学の頃はませててさ、三人の男子と付き合ってたの」

「同時に?」

「んなわけないでしょ。別々よ」


 話が長くなりそうだったので、紙コップに冷蔵庫から取り出したスポーツドリンクを注ぐ。

 杏音にも渡し、話を聞く体制を整えた。


「一人目は中一の冬から三か月。自宅でのメッセージのやり取りがほとんどで学校ではロクに話さなかった。別れたのは彼の方から『他に好きな人ができた。二度と話しかけんな』って言われたから」


 まぁあるあるだな。

 自然消滅じゃなく、わざわざ連絡が来ただけマシかもしれない。


「二人目は中二の夏休みの二か月。一緒に遊んだりもした」

「いいじゃないですか。プールとか夏祭りとかですか?」

「まぁグループで行ったからデートって感じじゃなかったけど、そんな感じ。別れたのは彼から『他の女子に告白されて付き合うことになった。ブロックするわ』って」


 ま、まぁそんなこともあるよな。

 新しい物好きな男の子だったのだろう。うん。


「三人目は中三の時の約一年間。彼の家に行って遊んだりもしたし、結構仲も良かったな。別れたのは受験前日に彼からメッセージで『実は半年前から他の女子と付き合ってた。だからもう話しかけるな』って言われたから。あは、仲が良いと思ってたのは私だけかも」

「うん。まぁ、うん。……いやどんな畜生なんだ、ヤバいだろっ!」


 この女、極端に男運がなさすぎるゥッ!

 流石に全肯定マシーンの俺でも頷きかねる。


「畜生って。恋愛なんてこんなもんでしょ?」

「……」


 酷い当たりを引きすぎて恋愛観が壊れてるんだこの人。

 フォローの言葉なんて思いつかない。

 いや、あんまりだ。


「だからね、もう恋愛なんて、人間なんて男なんてよくわからないねって」

「最初の二人はまだしも、最後のは特殊な人だっただけでしょうよ。流石にそこまで外道な男はいませんかと思いますので?」


 もはや動転して俺の口調が乱れる。

 と、杏音は首を傾げて笑う。


「なんでもいいよ」


 確信した。

 これはただの拗らせなんかではない。最早病気の域だ。

 その名も恋愛恐怖症。

 過去のトラウマによって発動された重い精神病の一種である。


「でもね」


 痛々しさに口をつぐんでいた俺を他所に、杏音は口を開いた。


「治したいとは思ってる。だって一人は辛いもん」

「そうですね」

「はぁ。でも怖さもあるし、もう精神が持たない」

「妹は他人の事情なんてつゆ知らず、勝手に彼氏を作ってトラウマをえぐってきますしね」

「そうなの」


 と、頷いてから彼女は吹き出す。

 そしてスポーツドリンクを飲んでから頬杖をつき、聞いてくる。


「なんか恋バナしちゃって、私も修学旅行してるみたい」

「青春満喫中ですね」

「悠の恋愛はどうなの? まぁ私を家に置いてくれてる時点で彼女はいないんだろうけど」

「……」


 彼女、か。

 嫌な響きの言葉だな。


「さぁ、どうですかね」

「まぁどうでもいいや」

「俺に興味無さ過ぎでしょ。初めから聞かないでくださいよ」


 苦笑しながら、会話は終わった。

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