第2話

 孤高魔女はフリーズしていた。

 まさか、俺が同じ学校の人間だとは思わなかったのだろう。

 ドブで会った時彼女の意識は朦朧としていたし、この家に帰ってから俺は私服に着替えている。


「っていうか」


 今日が12月の上旬であると気づいて大事なことに気づいた。


「今、修学旅行中じゃないんですか?」


 うちの高校は二年時に修学旅行がある。

 そして現在二年生は修学旅行に旅立っている最中なはずだ。

 なのに、なぜか。

 どういうわけか目の前に二年生がいる。


 孤高魔女は無心で何かを見つめた。

 何も言葉を発することはない。


 ……。


 俺はえげつない地雷に片足を踏み入れてしまったようだ。

 今からでも入れる保険ってありますかね。


「サボってる」

「ですよね」


 孤高魔女は呟くと、俺を睨む。

 しかし、すぐにその視線から力がなくなった。


「行きたくなかった」

「それは、なんでですか?」

「友達がいないからって思ってるでしょ?」

「……いやいや、まさかぁ」


 薄眼で彼女を見るが、底冷えするような目つきを返される。

 仕方ないでしょ。

 孤高魔女なんて呼ばれてる時点で、そう推測するのが自然でしょうに。


「確かにそれもあるけど」

「ほんとに友達いないんですね」

「別に友達なんていらないし……」


 彼女はそう言うと、視線を落とす。

 そして、涙をこぼし始めた。


 え、マジ?

 嘘でしょ……?


「あ、あの……」

「私だって! 私だって……っ!」

「あ、あぁぁぁぁあ」


 どうしていいか分からず、奇声を発する俺。

 構わず泣き続ける彼女。

 カオスな状況だ。

 ここ、本当に俺んちだよね?

 アウェー空間過ぎて段々不安になってくる。


 彼女はそのまま泣き続けた。

 俺もその場から動けず、泣きじゃくる目の前の女の子を座して眺める。


 どれくらい経ったかわからないが。

 彼女は口を開いた。


「彼氏にフラれた」

「え?」

「彼氏にフラれたの」

「……最近ですか?」

「……二年前」

「嘘ぉぉ」


 とんでもない昔の話だった。

 二年前と言えば、孤高魔女もまだ中学生だろう。

 それに新情報だが、昔は孤独じゃなかったらしい。


「自分でもなんでこんなに引きずってるかわかんない」

「そうですね……」

「でも、なんか怖くて。あれ以降他人が怖くてしょうがなくて!」


 人間不信とか、そういう類の病か。

 なるほど。

 これは二年前の失恋なんて忘れちまえと言えるほど軽い問題ではないな。

 心の傷になった時点で、おしまいだ。


「まだその元カレの事好きなんですか?」

「大っ嫌い」


 最悪だな。

 無関心ならまだしも、負の感情は長引く。

 嫌いな人間の顔を何年も思い出し、その度に人間に対する不信感が蘇るのだ。

 これは、確かに人付き合いをしたくなくなるかもしれない。


「で、それで修学旅行をサボったんですか?」

「いや、もうわかんない。なんか色々、色々がもうめちゃくちゃで」


 孤高魔女と呼ばれる所以である冷徹さは最早感じない。

 目の前にいるのはただの拗らせた女子高生。

 孤高魔女というあだ名から、サバサバしているような印象を受けていたが……いやいや、どう見てもメンヘラだ。


 彼女は洗ったばかりの髪をぐしゃぐしゃと触る。

 そしてデカい溜息を吐いて俺を見た。


「君、一年生?」

「そうっすね」

「私の事、孤高魔女って呼ばれてること以外に何も知らないの?」

「ん? まだなんか異名があるんですか?」

「ち、違う!」


 彼女は若干湿った冷たいバスタオルを投げつけてくる。

 シャンプーやボディソープの残り香がふわっと鼻を通るが、俺は少し嫌な気持ちになった。

 だってこの人、さっきまでドブに入ってた人なんだもの。


「……! 他人の事を汚物みたいに見るのね」

「いや、つい」

「条件反射が一番タチ悪い。要するに深層心理で私の事汚いって思ってるって事でしょ?」

「そんな事、ないですけど。先輩可愛いし」

「可愛い? そんなの鏡を毎日見てる私が一番知ってる。もっと違う褒めるところあるでしょ?」

「……」


 うわだっる。

 何だこの女。

 そりゃ男にもフラれるだろうよ。

 しかしなんだか、親近感を覚えるのも確かだ。

 何故だろう。


「あぁなんでこんなこと言うんだろ。可愛いのに彼氏がいないとか、中身が最悪って自分で言ってるみたいじゃん……それに最早外見が整ってるのかも自分じゃよくわからなくなってるし……ねぇ、私ってブスなの?」


 今度は一人反省会からの問答。

 思考回路がバグってるよ。


「まぁ可愛いんじゃないっすか?」

「なにそれ」

「俺は胸が大きくて、ちょっとふっくらしてるくらいの子が好きなので。顔も先輩みたいな猫目より、柔らかい感じが好きです」

「君、名前なんだっけ?」

「宮田悠です」

「悠、死ね」


 ちなみに孤高魔女の胸はそう大きくない。

 いや、別に貧乳って言うほどでもないが。

 揉めば十分な感触は伝わってくるだろうってサイズはある。

 でも、せっかくなら包み込んでくれる方がいいじゃん。

 包容力とか母性ってのに憧れるね、俺は。

 そしてこの女にその方面での魅力は微塵も感じない。


「はぁ、悠みたいな子、話しやすくていいわ」

「Mなんすか?」

「殺すよ?」

「Sなんすね」


 言うと目一杯睨みつけられた。

 どちらでもないようだ。

 じゃあなんだろう、Kとか?

 Kはもちろんキ〇ガイのKだ。

 こんなに気がふれるという単語の似合う人間にはそうお目にかかったことがない。


「学校じゃ変に高嶺の花的な存在にされて誰も生意気なこと言って来ないもん」

「高嶺の花とか自分で言っちゃうんですね」

「だってその言葉の裏を知っているから」


 彼女は自嘲気な笑みを浮かべる。


「陰キャ、陽キャの枠に入れない爪弾き者。変に見た目が整ってて、成績もよくて運動もできて……そんな私をハブる言い訳が高嶺の花。『私達とは住む世界が違う』という体の良い言葉でグループから除外するのが目的でしょうに」

「ハイスペックって以外に損なんですね」

「ハイスペック? 顔も成績も運動も全国的に見たら中の上。これでハイスペックなんて、どれだけ狭い世界に生きてるのって感じだけど」


 結局自分の顔が平均以上だとさり気なく言っていることはさて置き。

 かなり拗らせているらしい。


「高校はいつもぼっち?」

「そうだけど」

「昼ご飯は?」

「独り」

「うわぁぁぁ」


 高校生でぼっち飯なんて実際にあるんだ。

 都市伝説だと思っていたぜ、汗汗。

 額ににじむ汗を拭いながら、俺は気になる質問をする。


「あの、便所飯って……」

「するわけないでしょ。せっかくお母さんに作ってもらったご飯をトイレで食べるなんて……考えるだけで悲しくなるし」

「お、その考え方好きです。超好き、めっちゃ好き」

「なに上から目線で。私の方が先輩なんだけど」


 いやいや、倫理観がしっかりしているのは良いことだ。

 こういう胸糞系のシチュは苦手なんだよな。

 母親の想いを大事にできるっていうのは俺の中でなかなか評価が高い。


 そして今の一言でこの人の性根が腐っているわけではないことが判明した。

 そう、彼女は周囲の人間への不信感によって生み出された悲しきモンスターなのだと!


「なにその目、イラつく」

「ていうか俺が招いたとはいえ、人の家に上がり込んできてなんすかその態度」


 元はドブにハマっていた汚物だ。

 と、そこで考えが回る。


「まさか、さっき自殺でもしようとしてたんすか?」

「なわけないでしょ。あれは……ただ足を滑らせただけ」


 若干赤らむ頬に、彼女の言葉が偽りでないことが伺えた。


「気晴らしに散歩してたら足踏み外しちゃって……慣れない道なんて歩くのが間違ってた」

「家こっちじゃないんですか?」

「逆方向ね」

「まぁ普通慣れない道でもドブにハマったりはしませんけど」


 俺が言うと薄暗い目を向けられる。

 何の表情だろう。

 ただの萎えか絶望か、はたまた殺意……?

 怖い怖い。


「運動ができる、か。たしかに全然ハイスぺじゃないですね」

「イラつく解釈だけど、事実ね」


 変な人だ。

 頭は回るし、基本的にできることも多いのにちょっとしたところで抜けている。

 ここをチャームポイントとして曝け出せたら、孤高魔女なんてあだ名は消えそうだが。


 まぁ無理な話か。

 今更この人だって引けないだろう。

 プライド高そうだし、今更間抜けなイメージを付けられるなんて死んでも嫌そうだ。


「あのさ」

「はい」


 気付けば辺りは暗くなっており、時計の針も七時を指していた。

 先輩を追い出して夕飯の支度でもしようかと立ち上がったところ。


「家帰りたくないから今日泊まっていい?」

「はぁ? いいわけねーだろ」


 意味の分からない話に、俺は舌打ちをする。


「そこまで邪険にしなくてもいいでしょ。ほら、どうせ童貞でしょ? ラノベとか好きでしょ? ちょっとならエッチなことしてもいいから泊めてよ」

「ふざけんな。俺は初めて揉むのは巨乳だって決めてるんだ。それにあんな自傷行為紛いの展開で興奮なんかしません」

「……でも帰りたくない。帰れない。親にこんなしょうもない理由で落ち込んでるって知られたくない」

「そう言えば家族は先輩が修学旅行をサボってるのは知ってるんですか?」

「勿論。欠席の手続きみたいなのはお母さんが全部やってくれたから」

「感謝しなきゃですね」


 母思いなのか、任せっきりなのか。

 俺もマンションの契約手続きとかを全部親にやってもらった口なので、何かを言える立場にはない。


「一日で帰りますか?」

「もちろん」


 俺は溜息を吐く。

 仕方ない。

 こんな気が狂った繊細な生き物を野放しにするのも気が引けるからな。


「じゃあ飯くらい奢ってくださいね」


 こうして何故か孤高魔女を家に泊める事になった。

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