2019年10月13日(日)


 先住民による襲撃を受け、散り散りになったドナー隊が再び結集することはついになかった。何とか生き延びた真留子まるこの傍に残ったのは隊長のジョージ・ドナーと彼の家族、及びイタリア移民の青年ロッシの数名だけだ。連れていた家畜も積み荷を満載にしていた幌馬車ほろばしゃも、ドナーはその大半を失ってしまった。これでは旅を続けられないと判断した彼は、他の生存者が合流してくるのを待ってしばらく宿営地に留まったものの、結果が虚しかったことは言うまでもない。


「どうするんです、ドナーさん。このままでは、ここで生存者を待っているうちに食糧が尽きてしまいますよ。幸い、戦いに驚いて逃げ出した家畜のうち、何頭かは無事戻ったわけですし、そろそろ旅を再開するべきじゃありませんか?」


 と、やがて痺れを切らし、ドナーにそう持ちかけたのはイタリア人のロッシだった。すらりと背の高い痩身の青年を演じるのは、恐らく何幕か前に登場したメキネズ邸の使用人役を務めた生徒だ。彼の発言を受けて腕を組み、顎をさすり、黒いつけひげをちょっと触って難しい顔をしたドナー隊長も、劇の序盤には女衒ぜげん乱助らんすけ役として登場していた。『母をたずねて三千里』にはとかく脇役が多いから、数人の部員が衣装を取っ替え引っ替えして、ひとり何役もこなしているものと見える。

 あれにはあれで、すべての幕に出ずっぱりの主役まることはまた違った苦労と難しさがあるのだろうなと、当時の俺はポケットの中のスマホを気にしながら感心した。


「ううむ、そうだな……この人数なら、これだけの荷物と家畜があれば、何とか旅は続行できると思うが……」

「なら早く西を目指しましょう。あまりモタモタしていると、シエラネバダ山脈に着く前に冬が来て、にっちもさっちもいかなくなってしまいますよ」

「シエラネバダ山脈……ですか?」


 と、そこでドナーとロッシの会話に割って入って、首を傾げたのは他ならぬ真留子だ。この東洋人の子どもがアメリカの地理にはまったく明るくないことを思い出した両人は「ああ」と顔を見合わせて、親切に説明してくれた。


「シエラネバダ山脈というのは我々の目指すカリフォルニアと、その手前のネバダ州にまたがる巨大な山脈でね。フロンティアへ辿たどくためには、どうしてもあの山を越えなくてはならないんだ」

「しかしシエラネバダ山脈は十一月の半ばにもなると、深い雪に覆われてしまうと聞きます。そうなったら山越えは至難の技です。かと言って麓で雪解けを待つだけの余裕は、今の僕たちにはありませんし……」

「そうだな……いや、ロッシの言うとおりだ。いつまでもここで足止めを食っているわけにはいかん。今から向かえば十月の内には山へ入れるだろうから、大急ぎで向かうとしよう。マルコ、君には今まで以上にあれこれ働いてもらうことになると思うが、どうか力を貸してほしい」

「はい、任せて下さい! 私、たくさん働きます。お母さんに会うためなら!」


 かくして八十人超えの大所帯からたった十人足らずの小さな集団になってしまったドナー隊は、心細いながらも旅を再開した。真留子は来る日も来る日も西を目指して歩き続け、ときに家畜の世話をしながら、またあるときは泥濘ぬかるみまった馬車を力の限り押しやりながら、旅の最終関門であるシエラネバダ山脈を目指す。


「待っていて、お母さん。真留子がもうすぐ、きっと会いに行きますから……!」


 再び暗転した舞台の上でスポットライトを浴びながら、満天の星々を見上げた真留子は強く誓った。そうして迎えた十月二十日。ドナー隊はついに問題のシエラネバダ山脈へと到達する。


「ここを越えればその先はもうフロンティアだ。カリフォルニアだ! さあ、あともうひと踏んばりだぞ。道は険しいが、力を合わせて乗り越えようじゃないか!」


 というドナーの勇ましい号令を受け、一行はいよいよ山道へ足を踏み入れた。

 が、物語も佳境に差しかかり、ついにクライマックスを迎えるかという場面で、何事もなく山を越え、真留子の旅はめでたしめでたしで幕を閉じる──などというしりすぼみな展開が待っているのなら、そもそもこんな山越えのシーンを挟む必要はない。果たして横山よこやまの脚本は観客の不安を裏切らず、最後の試練が真留子へと襲いかかった。シエラネバダ山脈に例年よりもずっと早い、雪が降り始めたのである。

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