2018年11月17日(土)


 白女はくじょの校門前をまっすぐ行って、醤油屋の先まで歩いてゆくと、その先に石の鳥居をいただいた長い石段が見えてくる。

 そこは益岡ますおか公園内に境内を持つ神明社しんめいしゃへと至る道だ。この神社は天照大御神あまてらすおおみかみを主祭神とする本殿の他に、三荒神社や招魂社など複数の社を有することで知られている。中でも君が熱心に参拝していたのが、天神様のまつられた益岡天満宮だ。


歩叶あゆか


 と学校帰りの俺が声をかけると、学業成就祈願ののぼりが立った社の前で、手を合わせていた君が振り向き笑った。中学を卒業し、白高はっこうと白女に分かれながらも恋人として付き合っていた俺たちは、よくここを待ち合わせ場所にして放課後に会っていたのだ。何しろ神明社は公園内でもちょうど白高と白女の中間にあって、どちらの学校からも歩いて十分足らずの距離という好立地だった。


 とは言えわざわざ待ち合わせ場所に神社なんて渋い場所を選ばなくても、すぐそこにある白石城しろいしじょうの大手門とか、歴史探訪ミュージアム前で合流すればいいじゃないかと思ったことはもちろんある。けれども結局神明社をお決まりの待ち合わせ場所として使い続けたのは、君がこの場所を特別気に入っていたからだ。


「ごめん。帰り際にのぞむに捕まって、遅くなった」

「ううん、いいよ。おかげで全部のお社にお参りできたし」

「相変わらず信心深いなあ。受験生でもないのにこんなに熱心にお参りする高校生なんて、他になかなかいないんじゃない?」

「そうかな。私は中学の頃からここに通ってるけど、たまに若い人も見かけるよ。まあ、確かに中学生とか高校生ではなさそうだけど……」

「えっ。そんな前から来てたの?」

「うん。最初にお参りに来たのは、確か中三に上がる前の春休みだったかな」

「へえ、すごいな。けどそれって他の神社じゃダメなわけ?」

「うん。私はここがよかったの」

「なんで? ここって何か、特別な神様とか祀ってるんだっけ?」

「うーん、そういうわけじゃないんだけど……私にとっては特別な場所、かな。最初は誤解から始まったんだけどね」


 少し恥ずかしそうに笑いながらそう言って、君は左肩にがる学生鞄の持ち手をかけ直した。いつもはパンパンに膨らんで存在を主張する黒革の鞄が、その日は半分くらいの厚みに痩せて、君の肩をひっそりと飾っていたのを覚えている。

 何故ならあれは十一月の土曜日のことだった。

 俺たちの高校はどちらも進学校だったから、土曜も半日だけ授業があったのだ。

 だから俺たちはよく土曜の昼に神明社で待ち合わせた。


 そうして俺は通学用の自転車を引き、君は濃紺の制服ブレザー姿で公園を出るべく歩き出す。神社をも飲み込む公園の木々はすっかり紅葉して、青空の下にビビッドな色彩を呈していた。遥々遠い山まで出かけてゆかずとも、こうして暮らしているだけで燃えるような秋を体感できるのが白石のいいところだ。足もとを飾る色とりどりの落ち葉を踏み締めながら、俺たちは公園を南に向かって歩き始めた。ふたりで昼食を食べられる場所を求め、町で唯一栄えるバイパス沿いへ出るために。


優星ゆうせいくんは、益岡天満宮がどうしてできたか知ってる?」

「え? いや……俺は歩叶から教えてもらうまで、天満宮あそこが学問の神様を祀ってることすら知らなかったよ」

「正確には天神様……つまり菅原道真すがわらのみちざね公ね。だけどあのお社って、もともとは京都の北野天満宮きたのてんまんぐうから分霊を受けてできたものらしいの。分霊っていうのは本社の神様の力を分けていただいて、分社でお祀りするってことね」

「へえ。じゃ、天満宮って名のつく神社はみんな、もとを辿たどればその北野天満宮ってとこから派生したってこと?」

「全部かどうかは分からないけど、たぶんね。益岡天満宮は、江戸時代に白石で寺子屋を開いたお寺の和尚おしょうさんが、北野天満宮から天神様をお迎えして作ったんだって。きっと寺子屋で勉強する子どもたちを、天神様に傍で見守ってほしかったんだろうね」

「……でも天満宮って神社だよね? なのに和尚が作ったの?」

「優星くん。〝神仏習合〟って清沢先生おとうさんに習わなかった?」

「いや、うちの父さん、息子おれにはあんまり勉強教えてくれないから」

「ええっ、そうなんだ? 清沢きよさわ先生って本当に歴史が好きだから教えてるって感じがして、家でも蘊蓄うんちくをたくさん話してくれそうだなって思ってたのに」

「うちは母さんがそういうのからきしだから。難しい話は聞きたがらないし、聞いても次の日には忘れてるし。だから父さんも家で歴史の話するのは諦めたのかも」

「あははっ。失礼かもしれないけど、それってすごくおばさんらしいね」

「だけど父さんが大の歴史好きって読みは当たってる。家では話をしないだけで、暇さえあれば歴史系の番組見たり、時代小説読んだりしてるし」

「わあ。そっちもすごく先生らしい!」

「本当は教師じゃなくて、大学院で歴史の研究をしたかったって言ってたしなあ」


 なんて話に花を咲かせながら、俺たちは紅葉のトンネルを潜り抜け、白石城のたもとを縫うように公園を抜けた。そうして校舎から五百メートルほど離れた場所にある白高の第二グラウンド前を通り、バイパスへ出る。途端にうなるような車のエンジン音がいくつも俺たちの横を通り抜けた。仙台と福島をつなぐこの道路は町の繁華街へ出ることもあり、白石市内でも有数の交通量を誇っている。ゆえに俺たちは並んで歩道を歩きながら、会話するために幾許いくばくか声を励まさなければならなかった。


「あれ。で、なんで益岡天満宮が特別なんだっけ?」

「ああ、うん……私ね。中学の頃には、さっき話した益岡天満宮の由来をちっとも知らなかったの。ただどこかで、あの天満宮にいる神様は京都から遥々連れてこられたんだって話だけを聞いて、かわいそう、って思った」

「かわいそう?」

「うん。だってずうっと西の京都から、いきなり縁もゆかりもない土地に連れてこられちゃったんだよ? しかも当時の私は、分霊って仕組みのこともよく分かってなかったから、人間の勝手で神様が別の土地へ移されちゃったんだって思い込んだの。今にして思うと、ほんとにバカで恥ずかしいんだけど……」


 とまたはにかみながら苦笑して、君はベージュのトレンチコートの、ちょっと洒落たデザインのボタンを指先でもてあそんだ。困ったときや何かを誤魔化したいとき、君はそうしていつも手近な物に触れていたことを思い出す。

 で、ちょうどいい小物が傍にないときは、自分の長い黒髪を耳にかけたり、毛先を指で巻き取ったりするのだ。その仕草が俺には何だか、他の誰にも聞こえない声で、触れている対象ものと秘密の相談をしているみたいに見えた。


「だからお参りに行ってあげようって、そう思ったの。神様が寂しくないように、誰かが必要としてあげなくちゃって。それで天神様が学問の神様だってことも知らずに、時間を見つけては手を合わせに行った。天満宮ができた本当の由来を知ったのは、中学を卒業してからだったよ」

「へえ。なんか、そういうのって歩叶らしいな。君って何にでも感情移入したがるだろ。まさか神様にまで同情しちゃうとは思わなかったけど」

「同情……とは少し違うかな。あれはたぶん、一方的なシンパシーだったと思う」

「シンパシー?」

「……うん。でもね、本当の由来を知ったあとも、あの神社は私にとって特別な場所だって思えたの。だって私がお参りのたびにお祈りしてたことを、神様が叶えて下さったから」

「へえ、本当にご利益があったんだ。ちなみに何が叶ったの?」

「ふふ。君と出会えたことだよ、優星くん」

「え?」

「中三のときのクラス替えで、優星くんと同じクラスになれたのはきっと神様のおかげだった。今でもそう思うの。だから今日も手を合わせてきたんだよ。神様、優星くんとのご縁を結んで下さって、本当にありがとうございましたってね」

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