第20話 魔弾の勇者と竜の魔女・前

リングから降りてきたトエットに、マリアはおろおろと駆け寄り、観客席から差し入れられたショールを肩にかけた。

大きめのそれは、小柄なトエットの穴だらけで血が滲む衣装を覆い隠してくれる。

いまだに剣聖に対して、巣への侵入者を威嚇するニワトリの如き鋭い警戒を向けている彼女を、リョウがぐいぐいと引っ張って選手用ベンチへと座らせた。

強くて顔が良くて金もあって性格もべつに悪いわけではない剣聖は、条件だけを見ればトエットの理想の結婚相手に当てはまっているのだが、彼女にとっては無性に気持ち悪いので、プロポーズは完全に裏目に出ていた。

神前試合の最中にどうしてこんな関係ない悩み事が増えるのか、と思いつつ、マリアは今後のトエットのことを思ってそっと首を横に振る。

あの様子なら、これだけ盛大にフられてもめげずに何度もアプローチをしてくるだろうことが、とても明確に予想できたので。


「だ、大丈夫です。もし王宮に押しかけてきても追い払いますからね!」

「実家にもちゃんと絶対に嫌だって伝えておきなさいよ」


真剣な顔をしてそう言うチームメイト二人の後押しに、トエットは重々しく頷いた。

それからすうっと息を吸いこみ、観客席で事の成り行きを見守っていた家族たちへ声をかける。


「ええ、わかってます。

みんなー!! あいつがもしうちに婚約申し込みにきたら叩き出して!!!!」

「おう任せろ!!」


ぐっと拳を握り締めたユリーシア家当主が勇ましく返事をする。その後ろにいるほかの家族たちも、剣聖だろうが何だろうが容赦しねえという様子だ。

初対面の10も年下の対戦相手に即日プロポーズしたロルフの印象は、親族の皆さんからも最悪であった。

ここからの巻き返しには相当な努力が必要とされるだろうが、今日の本題はトエットの恋愛模様ではなく神前試合である。

リョウはトエットからブローチを受け取り、己の戦装束へ留めた。

最後の最後でしまらない結末を迎えた第一試合に、この世界の人間はいっぺんギャグを挟まないと死ぬ病か何かだろうかと内心ため息をつきつつ、気持ちを切り替えてリングへと上がる。

反対側では剣聖がどうやら帝王から説教を受けているようだったが、リョウの対戦相手である少女は、後ろの騒ぎを一切気にした様子のない、落ち着いた眼をしていた。

第二試合、王国チーム、リョウ・スナハラ。帝国チーム、ヴィオラ・エイリス。

長い黒髪と黒い戦装束の裾を悠然と靡かせ歩く、いかにも女王様然としたリョウと、白髪のボブカットと真っ白な戦装束を控え目に揺らすヴィオラ。対照的な見た目の二人だが、その視線はどちらも自信に満ちている。


戦闘開始の鐘が鳴ると同時に、二人は挨拶も無しに魔法を展開した。

リョウが選んだのは速度と手数に優れたガトリングガン二挺での速攻。

ヴィオラが選んだのは障壁を展開しての、さらに長時間の集中と魔力の凝縮を必要とする、高難易度魔法の発動だ。

このままでは強度の高い障壁を削るのに時間がかかると即座に判断したリョウは、武器をアハト・アハトに切り替えて撃ち込んだ。

人間に向けるのは凶悪すぎるサイズの砲弾は、その貫通力を発揮して障壁を突破はしたが、そこで威力を削ぎ落されヴィオラには届かない。

飛び散る破片と煙の向こうで、魔法による青白い光が、馬鹿でかい魔法陣を浮かび上がらせる。

この世界に呼び出されて以降、マリアを鍛えつつ自分の魔法の鍛錬も欠かしていなかったリョウでも、これまで見たことがない種類の大型魔法陣だ。

いや、似たものは見たことがある。

武器生成の魔法を持つリョウが、同じ物質生成系統の魔法を学ぶ中でほんの数例だけ存在を確認した、生物生成魔法の魔法陣。

それを信じられないほど高度に発展させたものが、いま彼女の目の前で、眩い光を生み出していた。


光がおさまったあとリングの上に現れた存在に、観客たちは目を見張った。

きらめく分厚いウロコと、長い首、鋭い牙。太い手足の先についたかぎ爪、ゆらりとリングを叩く、体と同じくらいに長い尾。そして被膜の張られた巨大な翼。

そこには、雪原の如き白銀に輝くドラゴンが悠然と首を上げ、リョウを睥睨していた。

体長10m、翼を広げれば20mはありそうな巨体。人間の魔力によって一から創造されたとは思えない、意志を持った理性的な瞳。

その威容自体よりも、そちらのほうが問題だとリョウは察した。

この世界においてリョウが文献で学んだ生物生成魔法とは、ただでさえ希少なうえに、そのすべてが虫や、あるいはネズミのような小動物を作るだけにとどまっていた。

肉体だけならばもっと大きな生き物を作ることもできるが、どう頑張ってもそこから先、作り出した体に自分で考えて行動するだけの知性を持たせることができなかったのだ。

なんなら生きている状態で作り出すことすら難しいのだという。

そういった前提から見て、このドラゴンの生成という魔法は、まさしくこの世界の歴史に残る偉業と言っても過言ではなかった。

少なくとも魔導士界隈から見れば、もはや王国と帝国の勝敗以上に重要な話であることは間違いない。

予想すらしなかった超ド級の魔法に、さすがにリョウも笑うしかない。


「驚いたわね。この子ひょっとしてお話も出来たりする?」

「……ネーヴェは人の言葉を話さない。でも全部理解しているし、返事もできる」


ヴィオラが真っ白な長い前髪の下のジト目でリョウを見て、ぽつぽつと返事をする。

小さな声だが透き通るように滑らかで、不思議と耳に通りやすい声だった。

創造主の言葉に同意するように、白銀の竜はクルクルと喉を震わせるような鳴き声を上げた。

担いでいたアハト・アハトを一旦降ろし、リョウは肩をすくめる。


「なるほどねえ。素晴らしい大魔法じゃないの」


そう言いながら、彼女は相手の力量を冷静に判断していた。

ヴィオラが言う通りの知性があるのなら、ネーヴェという名前らしいこのドラゴンは、自分で考えて戦闘ができるのだろう。

そのわりに、これだけの隙を晒しても、ヴィオラもネーヴェもこちらを攻撃しようというそぶりもない。

これが逆の立場であれば、リョウは相手が得物を下ろした瞬間銃弾の雨を浴びせている。

思うに、ヴィオラは戦いに慣れていない。それこそマリアよりも。

それなのにこの神前試合に出場した理由は何かと考えて、明白か、とリョウは目を細めた。


「不本意そうね」

「……」

「そのドラゴンを戦いに参加させるのが、いや?」

「……ネーヴェは優しくて、良い子。本当なら誰も攻撃したりしない。わたしも戦うのは好きじゃない」


ぶすっと不機嫌そうな顔をするヴィオラに、リョウはため息をついた。

帝国最高峰の魔導士である祖父を持つ、前人未到の魔術を操る天才児。

それがこうも戦いを忌避する性格とあれば、この世界の価値観では、心配もされるし荒療治もするだろう。

なるほどこの人選は、才能を買ってのものであると同時に、親心でもあったわけだと納得し、リョウは周囲をちらりと見渡した。

魔力によって強化された視力は、遠く離れた観客席に座る人々の表情すら見分けることができる。

興奮する者、固唾をのむ者、そしてどこか不安げな、あるいは恐ろしげな視線をドラゴンへ向ける者。

それらをきっちりと観察したうえで、リョウは再び武器を構える。


「それじゃ、先手は私が取るべきね?」


艶やかな声でそう宣言し、砲弾が放たれる。

対戦車砲として活躍した兵器の、8.8cmの高速徹甲弾。2km近く離れた場所の85mmの装甲板を貫通するという並外れた威力を誇る弾丸が、真っ直ぐにドラゴンへと飛ぶ。

爆炎と破片が飛び散り、一瞬視界を覆った後、巨大な翼が羽ばたいた。

煙を風圧で払ったドラゴンは、その美しい体に傷ひとつ付けていない。その体に隠れるようにしていたヴィオラも同様だ。

傍目に見ていても恐ろしい威力だとわかる攻撃を悠々と耐えきったドラゴンに、観客席が沸く。

先程ドラゴンへ恐れを含んだ視線を向けていた人々もまた、若き魔導士を守る強靭な守護者へ、驚きと興奮を込めた歓声を投げかけていた。

一方攻撃を防がれたリョウは、唇の端をわずかに持ち上げた微笑のまま、その光景を見つめていた。

アハト・アハトが通らなかったことは想定内だ。

そして、この攻防によって会場内がヴィオラの魔法の腕前を讃えるムードになることも。


ヴィオラの魔法は素晴らしい。

魔導士であればとてつもない高難易度の魔法を平然と扱ってみせる様子に感嘆し、魔法の知識がないものもまた、その威容に惚れ惚れとため息を漏らすだろう。

そして次第に、生み出された強靭な怪物に対して、あれは本当に制御できる存在なのかと恐怖を覚えるのだ。

どう見ても戦いに不向きなヴィオラが試合に出場させられたのは、彼女と彼女のドラゴンへ向けられる畏怖や恐怖、疑惑の視線を薄めるためでもあるだろうと、リョウは当たりを付けている。

彼女の周囲の人間は、こうして実際に戦わせ、この強大な力を完璧に制御できているのだとアピールをしたかったのだ。

そのためには対戦相手は弱すぎても強すぎてもいけない。

強敵相手にそこそこの苦労をしながら勝ってみせる。それが一番効果的なのだ。


リョウの推察は、見事に的中していた。

ヴィオラ・エイリスは魔導士の家系に生まれ、魔法の訓練に必要な知識や設備が揃った環境で育った、いわば魔導士界のサラブレッドとでも呼ぶべき存在だ。

幼いころから豊富な魔力を持っていたヴィオラは周囲に期待をされ、けれども本人はそれを一顧だにせず、趣味に没頭する毎日を送っていた。

彼女が魅了されていたのは、おとぎ話に出てくる幻獣たちだ。

可憐な妖精。美しいユニコーン。恐ろしいグリフォン。そして強大で誇り高いドラゴン。

ヴィオラはおとぎ話の中の存在に、どうしても会いたかった。

けれど幼くとも賢い彼女は、それらが現実には存在しないものだということを、当然知っている。

ではどうするか。

ないなら作ってしまえばいい。

魔法という技術にどっぷり浸かった家で生まれ育った彼女は、当然のような顔をしてそう結論を出した。

それからはひたすらに学問に精を出す日々が始める。

基礎的な魔力の扱い方から、物質を生成するための理論。効率的な運用をするための魔法陣の考案。既存の物質に魔法で特殊な性質を付与する技術。学ばなければならないことは無数と言っていいほど存在したが、幸い彼女の周囲にはあらゆる教材が揃っていた。

魔法に関する勉強だけではない。生物の肉体構造についての知識を得るために、彼女はありったけの医学書を読み漁り、モンスターである大型のトカゲを飼育して、その生態を観察したのち解剖して体の隅々まで造りを調べ上げた。


彼女が最も作り出したかったのは、強くて大きなドラゴンだ。

既存の生物を模倣したところで、存在しない生物の体を完璧に予測して作り上げることなど、当然できない。

しかしこの世界の魔法は、あらゆる魔導書に記載されるほど、イメージやら心の強さという要素が重要視されるものなのだ。

つまりある程度まで形を整えてやれば、あとは込めた魔力が足りない部分を補ってくれるのである。

なかなか無茶な話だが、そうでなければ治癒魔法やら転移魔法やら異世界人召喚魔法などという、地球の科学力でも再現不可能な技術がポンポン生まれるはずがない。

ヴィオラは魔法技術と生物への知識、卓越した魔力操作、精緻な想像力、それら全てをつぎ込み、ここまでやったのだから己には可能であると信じ込む力の影響もあって、ドラゴンを生み出すことに成功した。

といっても最初は彼女の愛しいドラゴンのネーヴェも、ほかの生物生成魔法で生まれる生き物と同じく、てのひらに乗る程度のサイズだった。

彼女が他の魔導士と違ったのは、ドラゴンに対して異様に愛情深く執着していたという点だ。彼女は知性を与えられた創造物が自分に歯向かうだとか、制御が困難になるだとか、予測不能の問題を起こす可能性をまったくもって恐れなかった。

そのため彼女はドラゴンをしょっちゅう生み出しては日々の大半を共に過ごし、共にすくすくと成長していったのである。

彼女が魔導士としての力量に釣り合わない程幼く、向こう見ずな年頃だったからこそ起きたある種の奇跡によって、ネーヴェという知性あるドラゴンは生まれたのだ。


このことを周囲は喜び、そして次第に恐怖した。

なにせネーヴェは生み出されるたび大きくなり、最終的に体長10mのドラゴンとなったのだから、無理もない。家ほどの大きさの生物が近くにいれば怯えるのは当然だ。

大人しく賢いとはわかっていても、これがひとたび制御不能になれば、周囲に甚大な被害を与えることは火を見るよりも明らかだと言える。

しかしそれを生み出している当の本人はといえば、大切なドラゴンが大好きで大好きで、会うのを控えようだとか、サイズを小さくしようなどという発想が一切ない。

使用を規制したほうが良いのではないかというエイリス家の家族や弟子とヴィオラは真っ向から対立し、ヴィオラが家出をするなどと言い出した結果、帝国チームで活躍するトール・エイリスがこんな提案をした。

ヴィオラを神前試合に出場させ、ネーヴェを完全に制御できると証明させよう、と。

ドラゴンを生み出すことに熱意が傾き過ぎて、この世界の人間にしては神前試合への興味が非常に薄いヴィオラは、当初これに渋った。

が、周囲がいい案だと乗り気になり、祖父であり当主であるトールが帝王に話を付けてしまえば、逃げ場はもうない。

こうしてヴィオラは最愛最強のドラゴンを引き連れて、神前試合へ出場するはめになったのである。


そうして選ばれたヴィオラのためのお膳立てが、当て馬が、踏み台が、リョウだったわけだ。

エイリス家の事情などは知らずとも、その結論だけはしっかり察しているリョウは、ゆるりと唇を歪ませ、笑った。

彼女の戦装束にあしらわれた牡丹の花の柄にも負けない、毒々しいほどに艶やかで美しい笑顔だった。うっかりその笑顔を見たマリアなどは顔を青くしてプルプル震え、横のトエットに背中をさすってもらう始末だ。

リョウはプライドはそれなりに高いが、時と場合によっては捨ててもいいものだと思っている。

しかしこうしてナメた態度をとられた場合、話は別だ。プライドに傷がつくつかないの問題ではなく、こういった態度をとって良い相手だと思われていること自体に、実害があると判断するからだ。

リョウにはいま、この試合で勝ちたい理由がいくつもある。己を召喚した王国に手を貸してやると言ったから、マリアとトエットとで組んだチームを勝たせると誓ったから、そもそも勝つこと自体が好きだから。

そしてもう一つ。

目の前の相手をドラゴンごとぶちのめして、ナメた態度をとった連中にこちらの力量を見せつけてやりたいから、という理由が、リョウの脳内に太字で加わったのだった。

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