第19話 マサルお兄さん

 肝試し騒動の後、夏休みの宿題を放り出したまま、家でゴロゴロと過ごしていた。毎日のように入り浸っていた秘密基地にも、足を運ぶことが出来ていない。あの、謎の光の所為だ。真相について、調査をしようと思いつつも、怖くて腰が上がらない。お母さんは、そんな僕の顔を見て、「宿題をしなさい」と口を開く。夏休みに入ったのに、面白くないな〜。


 暇な一日が、終わった。次の日の朝、家族で朝食を食べていると、お父さんがテレビを見て、小さく叫んだ。


「えっ!」


 僕も気になってテレビを見る。朝のニュース番組で、山口組の三代目組長、田岡一雄が、心不全で亡くなったと伝えていた。


「山口組の田岡か……」


 お父さんが、感慨深そうに呟く。


「誰? 田岡って」


 僕が尋ねると、お父さんは、考えるような素振りを見せた。何だか言い難そうにしている。


「田岡っていうのはな、ヤクザの大親分や」


 ヤクザ……その言葉に、ドキリとする。お父さんは、続けた。


「神戸にな、山口組っていうヤクザの集団があるんや。田岡は、ヤクザやけど結構なやり手でな、組事務所を日本最大のグループに育てあげたんや。それだけやなくて、芸能関係や、色んな方面にも手を広げるし……」


 お父さんが、熱く語り始めたところで、お母さんが口を挟む。


「お父さん! 子供には……」


「ああ、そうやな。ヒロ、そういう人が亡くなったということや」


 それっきり、お父さんは口を噤んだ。朝食を食べ始める。僕は、この間、名刺をもらったヤクザのことを思い出していた。あんな怖い人の親分なら、田岡って人は、もっと怖い人に違いない。


 朝ご飯が終わった。手を合わせる。


「ごちそうさま」


 立ち上がろうとすると、お母さんが僕を見た。


「ヒロちゃん、今日は、宿題をするのよ」


 僕は、ムスッとしてしまう。


「分かってるよ」


「昨日は、出来ていなかったでしょう」


 お母さんは、宿題宿題と、僕を見ると口にする。本当に五月蠅い。だから、僕は言ってみた。


「本が欲しい」


 お母さんが、僕に驚いた顔を見せる。


「何なの、いきなり……」


「本を読んで、読書感想文の宿題をする」


「どんな本を、買うつもりなの?」


「怪人二十面相のシリーズ」


「ああ、隣りのお姉さんに頂いた本ね。良いわよ」


「えっ! 良いの?」


 言ってみるものだ。お母さんの反応がすこぶる良い。


「もちろんよ。その代わり、必ず宿題をするのよ」


「分かった」


 僕は、大きく頷いた。凄く嬉しい。午前中は、素直に宿題をした。昼ごはんが終わったあと、お母さんから本代を貰うと、僕は、直ぐに家から飛び出した。相変わらずの暑さだった。青い空から、容赦ない暑さが降り注いでくる。黒いアスファルトが焼けていた。足元からも暑さが、沸き上がってくる。自転車に乗ると、そんな暑さを振り払うようにして、僕はペダルを漕いだ。


 スーパーダイエーの周辺には、沢山の商店が集まっている。その中の一つに、本屋もあった。自転車を店の前に止めて、自動ドアの前に立つ。ガラスの扉が、左右に開いた。本を買うなんて初めてだ。僕は、恐る恐る店内に足を踏み入れる。沢山の本が並べられているけれど、どこにあるんだろう? 目の前に雑誌が並べられている。その中に、週刊ジャンプもあった。少し歩くと、難しそうな大人の本もあるし、漫画も並べられている。料理の本や、勉強の本もあった。店の一番奥に、子供向けの本が集めらたコーナーを見つける。その中に怪人二十面相シリーズが並べられていた。


「あった……」


 でも、ちょっと吃驚だ。怪人二十面相のシリーズって、かなり多かった。僕が、貴子お姉さんから貰った本は、怪人二十面相と少年探偵団だ。太田と小川は、それぞれ怪奇四十面相と妖怪博士を貰った。それ以外にも、青銅の魔人、透明怪人、灰色の巨人……全部で三十冊近くはある。どれにしようか迷ったけれど、順番に読むことに決めた。僕は、青銅の魔人を取ろうと、手を伸ばす。ところが、手が届かない。壁を背にした大きな本棚で、僕の欲しい本は、上の方にあったのだ。どうしようか、迷った。この場合は、お店の人に頼むしかないな、と思っていると、声を掛けられた。


「取ってあげるよ」


 振り返ると、お兄さんが立っていた。


「あっ!」


 思わず、声を出してしまった。僕に、キン肉マンの消しゴムを買ってくれたお兄さんだったからだ。


「どの本かな?」


「えーと、青銅の魔人」


 僕がそう言うと、お兄さんは手を伸ばして取ってくれる。


「ありがとう」


 本を受け取ると、お兄さんが僕に尋ねてきた。


「貴子に、最近、会えた?」


 僕は、吃驚してお兄さんを見る。貴子お姉さんの名前を口にした。そう言えば、テニス大会の後、泣いているお姉さんの肩を抱いて、このお兄さんは一緒に帰っていった。それに、僕のことを、小林君って呼んだこともある。一体、誰なんだろう。僕は、少し警戒した。


「お姉さんには……会えていない」


 僕が首を横に振ると、お兄さんは困ったような表情を浮かべる。


「そうなんだ……」


 僕は後退りして、レジに向かおうとした。そんな僕を安心させたいのか、お兄さんは言葉を続ける。


「僕も、貴子の事が心配でね。小林君、良かったら、貴子の事で相談に乗ってもらえないかな?」


 僕の足が止まった。じっと見つめていると、お兄さんは話を続ける。


「小林君だって、貴子が元気になって欲しいだろう?」


 僕は、本を胸に抱きながら、尋ねた。


「お兄さん、誰なの?」


 お兄さんは、急に笑い出した。


「アハハ、ごめんごめん。自己紹介が、まだだったね。僕は、高井田勝。貴子の従兄妹だよ」


「高井田……」


「マサルでいいよ。小林君」


「マサルお兄さん」


「表で待っているから、先に本を買ってきなよ」


 そう言うと、マサルお兄さんは店を出ていった。本を購入すると、僕は用心深く店を出る。マサルお兄さんが、笑顔で待っていた。


「僕の家は、直ぐそこなんだけど、寄って行かない。貴子の事で相談もしたいし」


 僕が答えれずにいると、更に、続けた。


「喉が渇いただろう。カルピスでも飲む?」


 僕は、素直に頷いた。


 自転車を押しながら、マサルお兄さんの家に向かった。道中で、マサルお兄さんと貴子お姉さんの関係を聞くことが出来た。貴子お姉さんの母親と、マサルお兄さんの父親は兄妹だったのだ。家が近いこともあって、マサルお兄さんは、貴子お姉さんが幼い頃から面倒を見ることが多かったそうだ。


「ただね、最近は、あいつも思春期に入ったし、あんまり自分の事を話さなくなってしまった。この間なんか、テニス大会で、あんな事件にも巻き込まれてしまっただろう。心配なんだよ、僕は」


 マサルお兄さんの、心配する気持ちが、僕に伝わってくる。良い人なんだ。そんな風に思った。僕は、キン肉マンの消しゴムのことを思い出して、マサルお兄さんに、お礼を言うことにした。


「あのー、この間、キン肉マンのことで、その……ありがとう、ございました」


「あっ、あれ。良いんだよ。でも、駄目だよ、あんなことをしちゃ」


 僕は、顔が赤くなってしまう。


「すみません」


 マサルお兄さんは、僕に笑顔を見せる。


「たまたまね、聞いてしまったんだ。小林君たちが、計画している話を。どうしようかなって、迷っていたんだけど、本当に実行に移しただろう。放っておけなくてね」


 マサルお兄さんの家は、直ぐ近くにあった。商店街の裏側の、静かな住宅地だった。マサルお兄さんに促されるまま、僕は家に上がる。


「お邪魔します」


 家の中から、返事は返ってこなかった。


「ウチは共働きなんだ。夜にならないと帰ってこない。さあ、僕の部屋においでよ」


 お兄さんは、階段を上がって行く。何だか緊張してきた。僕も階段を上って、お兄さんの部屋に入る。


「暑かっただろう。ちょっと待っていてね。カルピスを用意するから」


 お兄さんが、階段を降りていく。部屋に残された僕は、ぐるりと部屋を見回した。本棚には難しそうな本が並んでいる。その中に、写真に関する本が多いのに気が付いた。机の上に目を向けると、大きなカメラが置かれている。壁には、大きく引き伸ばした写真が額に飾られていた。その写真を見て驚いた。なんと、貴子お姉さんだったのだ。今の貴子お姉さんではない。小学生くらいの頃の、幼いお姉さんだった。海をバックにして、麦わら帽子を被った貴子お姉さんが、嬉しそうに笑っている。吸い寄せられるようにして、その写真の前に立った。目を離すことが出来なかった。


 トントントン


 お兄さんが、階段を上がってくる。部屋に入ってくると、僕を見てお兄さんが笑った。


「良く撮れているだろう」


「ええ」


「写真が趣味なんだ。大学でもね、写真の勉強をしているんだ」


 マサルお兄さんが、勉強机にカルピスが入ったコップを置いた。勉強机の椅子を引いて、僕を見る。


「この椅子に座ったらいいよ」


 僕が椅子に座ると、お兄さんはベッドに座った。僕は、勧められるままに、カルピスを飲んだ。とても冷たい。甘くて美味しかった。


「その写真はね、貴子が五年生の時なんだ。家族同士、皆で海に行った時に、僕が撮ったんだ。自分で言うのもなんだけど、あんまり上手く撮れたもんだから、写真を撮ることが、大好きになってしまったんだ」


 そう言って、マサルお兄さんが微笑んだ。僕は、お兄さんに質問する。


「ところで、僕に、相談って、何ですか?」


 お兄さんは、悪戯っぽく笑った。


「貴子、今、落ち込んでいるだろう。家に行っても、会ってくれないんだ。何とか元気付けたいんだけど、良い方法が見つからなくて……」


 僕は、顔を曇らせる。


「僕も、同じなんです。お姉さんには元気になって欲しいんですけど……」


「そうなんだー」


 マサルお兄さんが、寂しそうに宙を見つめた。暫くの沈黙の後、お兄さんが僕に尋ねた。


「ねぇ、小林君」


「はい」


「熊のヌイグルミは、どうしている?」


「僕の部屋にあります」


「僕に預からせてもらえないかな?」


「どうするんですか?」


「貴子に会う、キッカケが欲しいんだ。会わないことには、話が出来ないだろう」


 なるほど。でも、それなら、僕から、貴子お姉さんに渡したい。そんな風に思った。返事が出来ないでいると、お兄さんが立ち上がった。


「写真を見てみない?」


 顔をあげると、お兄さんが近づいてきた。勉強机の一番下の引き出しを開ける。中に、アルバムらしきものが、何冊も収められていた。その内の一冊を取り出す。机の上に置くと、表紙を開いた。


「あっ、お姉さんだ」


 どのページにも、貴子お姉さんの写真が貼り付けられていた。笑っている顔、怒っている顔、拗ねている顔、色んなお姉さんがいた。僕は、追いかけるようにして、次々とページを捲る。どのお姉さんも、可愛くて、美しくて、魅力的だった。僕の胸の奥が、少し疼いた。貴子お姉さんに会いたい。僕は、お兄さんに尋ねた。


「貴子お姉さんに、モデルになってもらっていたんですか?」


「うん、そうなんだけど、それも小学生の頃までかな。中学生になってからは、テニスが忙しい所為もあって、モデルを引き受けてくれないんだけどね」


 マサルお兄さんが、僕に苦笑いを見せる。


「写真、とっても上手だと思います」


「そう、それは嬉しいな」


 マサルお兄さんが、本当に嬉しそうな表情を浮かべた。


「もっと、見ても良いですか?」


「ああ、良いよ」


 僕が、机の引き出しにあるアルバムを引き抜こうとしたら、お兄さんが、慌てて僕の手を捕まえた。驚いて、僕はお兄さんを見る。


「勝手に取っては駄目だよ。見られたくないアルバムもあるんだ」


 マサルお兄さんは、僕の代わりに手を伸ばすと、別のアルバムを引き抜いた。


 コトッ!


 アルバムを抜いた拍子に、何かが引き出しの中に落ちた。お兄さんは、アルバムを机の上に置くと、その落ちたものを拾い上げる。


「ああ、こんな所にあったんだ」


 マサルお兄さんが、嬉しそうに、それを見つめた。


「何ですか、それは?」


「これはね……」


 お兄さんが、手にしていたものを、僕に見せてくれた。それは、小さな熊のキーホルダーだった。お兄さんが僕に微笑む。


「熊のキーホルダー。僕にとって大切な物なんだ。ところが、最近、見失ってしまって困っていたんだ。そうか、こんな所にあったんだ」


 その後、貴子お姉さんの写真が収められたアルバムを鑑賞したあと、お兄さんの家を後にすることになった。熊のヌイグルミは、マサルお兄さんが預かるということを、約束させられてしまった。ちょっと残念だったけど、仕方がない。


 暗い顔をしている僕を気遣ったのか、マサルお兄さんは、貴子お姉さんの写真を一枚、僕にくれた。小学生の頃の貴子お姉さんが、写真の中で悪戯っぽく睨んでいる。むじゃきで、あどけなくて、手を差し伸べたくなるような可愛さがあった。


「ありがとうございます」


「僕のお気に入りの写真なんだ」


「凄く良く撮れていると思います」


 僕は、その写真をジッと見つめる。


「そう言ってくれると、僕も嬉しいよ。でも、僕のコレクションの事は、僕と君との秘密にしておいて欲しいんだ」


「秘密……ですか?」


「これはね、僕の大事な聖域なんだ。小林君だから、見せたけど、本当は誰にも知られたくなかったんだよ」


「分かりました」


「じぁ、行こうか」


 マサルお兄さんと一緒に、家まで自転車で帰る。家の前で、熊のヌイグルミを手渡すと、お兄さんは、僕に手を振って帰っていった。


 二階の子供部屋に戻ると、僕は、本屋で買った青銅の魔人を開く。その本の間に、貴子お姉さんの写真を挟んであったのだ。改めて、貴子お姉さんの写真を見てみる。とても、可愛いく睨んでいる。写真を挟んだまま本を閉じると、僕は、そっとその本を抱きしめた。

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