第6話 追跡

 日曜日の朝。何度か目が覚めたけど、その度に、僕は浅い微睡みに引き込まれていく。昨日の出来事は、僕をかなり疲れさせた。夢の中でも、僕は自転車に乗っていた。赤いサイクリング自転車を、追いかけている。でも、追いかけても、追いかけても、捕まえることが出来ないのだ。夢と現実を行き来しながら、ゴロゴロと布団の上を転がっていた。


 トントントン。


 誰かが、階段を上ってくる。あの足音は、弟のトシだな。ボンヤリとそんなことを考える。トシが部屋に入ってきた。


「お兄ちゃん、ドラえもんが始まるよ」


 僕は、眠い目を擦って、顔を向ける。


「いま何時?」


「もう直ぐ、九時半」


 普段なら、飛び起きるところだけど、僕は弟に生返事を返す。


「わかった」


 ノロノロと立ち上がり、階段を降りる。台所で、お母さんが忙しく動いていた。手を動かしながら、僕に注意をする。


「ヒロ君、テレビを見る前に、顔を洗いなさい」


「わかった」


 風呂場の横の洗面台で、歯を磨く。居間の方から、ドラえもんのオープニングが聞こえてきた。のび太って奴は、本当に頼りないやつだ。ジャイアンにイジメられたら、いつもドラえもんに泣きついている。大体、ドラえもんも、ドラえもんだ。のび太に対しては、いつも甘い。何か問題がある度に、ひみつ道具を使って解決する。それって、ズル過ぎるだろう。そんなんじゃ、のび太は碌な大人に育たないぞ、とか思ってしまう。まー、それでも、のび太は、ひみつ道具を使っても失敗をしてしまう。そんなのび太に悪態をつきながら、やっぱり、羨ましい。僕にも、ひみつ道具があったらなと、と思ってしまう。そしたら、貴子お姉さんを襲った犯人だって、直ぐに見つけられるのに……。


 ドラえもんを観ていると、お母さんが朝食の用意をしてくれた。ご飯を食べながら、ドラえもんを観る。でも、頭では他のことを考えていた。貴子お姉さんの事だ。二日前の事件で、僕は貴子お姉さんから犯人の調査を依頼された。怪人二十面相の本も読んだ。一緒に犯人を捜す仲間も出来た。昨日なんか、赤い自転車を探す為に、大捜索もした。しかし、見つけることは出来なかった。これから、どうしたら良いんだろう?


 ドラえもんが終わった。僕は、手に持っていた、お茶碗とお箸を置く。


「ごちそうさま」


 僕は、立ち上がると、表に出ることにした。事件の現場を確認しようと思ったのだ。靴を履き、表に出る。黒いアスファルトが、太陽で焼けていた。蝉の鳴き声が、シャワーのように降り注いでいる。お姉さんが素振りをしていた場所に立ち、僕も真似をしてみた。そこから、二階の僕の部屋を見上げる。現場に立ってみたからといって、手がかりになるようなものは、何も見つからない。こんな時、小林少年なら、どうするんだろう? 


 その時、路地の先から、自転車が現れた。


「あっ!」


 思わず、声が出てしまった。あの赤いサイクリング自転車だ。咄嗟に僕は、家の影に隠れる。身を潜めて、その男を観察した。竿竹の車がないのに、ノロノロと走って来る。男の視線は、真っすぐに貴子お姉さんの家を見つめていた。お姉さんの家を少し通り過ぎると、自転車を止めて振り返る。僕は、その男の顔を、目に焼き付けるようにして見つめた。その男は、ペダルに足を掛けて、また走り出す。路地の角を曲がった時、僕は自分の自転車を引っ張り出して、追いかけた。


 心臓が、ドキドキと暴れていた。興奮しすぎて、先程の朝食が口から出てきてしまいそうだ。一人で追跡をすることに、不安はある。でも、こんなチャンスは二度とない。あいつの居場所を、突き止めててやる。


 自転車男は、相変わらず、ノロノロと走っている。近所をグルっと回ると、また、貴子お姉さんの家を目指して走り出した。本当に怪しい奴だ。ただ、追跡を始めて、その大変さが分かった。自転車での尾行は、とても難しい。男が路地を曲がったところで、僕は一生懸命に走る。見つかっては行けないので、路地の角や電柱に隠れる。男の様子を見ながら、また、ダッシュをする。そんな事を繰り返していると、ヘトヘトになってきた。


 住宅地を周回していた男の行動に変化が現れた。スーパーダイエーに向かって、走り出したのだ。その道は、ドブ川が横に流れており、見通しが良くなっている。隠れる場所がない。身を晒すことに抵抗はあったけれど、僕は飛び出した。緊張の瞬間だった。なるべく平常を装いながら、男を追跡する。自転車男は、真っ直ぐにスーパーダイエーを目指していた。僕の方を、振り返ることはない。店に到着すると、男は駐輪場に自転車を止めた。鍵をかけて、店内に向かって歩きだす。僕も、少し離れたところに自転車を止めた。男が店内に入った頃合いを見計らって、赤いサイクリング自転車に近付いていく。


 自転車には、ミナミ高校のステッカーが貼ってあった。名前を確認しようとしたけれど、消えかけていてほとんど読めない。「明」という字だけが読めた。多分、アキラと読むのだろう。それだけを確認すると、僕はダイエーに向かって走り出した。


 店内の入り口には、様々な果物が積み上げられていた。葡萄やパイナップルに、桃や西瓜。赤や青の色彩が鮮やかで、甘い匂いが漂っている。その周りを、沢山のお客さんが、壁のように立ちはだかっていた。前に進むことが難しい。多くのお客様でごった返していた。隙間を縫うようにして、僕は、アキラという男を探す。この広い店内の、どこを探せばよいのか見当がつかない。野菜売り場、魚売り場、惣菜売り場、どこを探しても見つからない。走っていると、おばさんが持っている買い物カゴにぶつかった。


「ちょっと、走ったら危ないでしょう!」


 おばさんが、僕に向かって叫んだ。


「ごめんなさい」


 振り向きもせず、逃げるようにして、その場を走り去る。


 いない。

 いない。

 いない。


 一体、どこに行ったんだろう? アキラを見失ってしまった。甘い匂いが、僕の鼻をくすぐる。振り向くと、ドーナッツが販売されていた。僕は、貴子お姉さんの部屋で食べたドーナッツの甘さを思い出す。貴子お姉さんに、アキラのことを伝えたい。アイツの正体を暴きたい。鼻息を荒くして、辺りを見回した。でも、見当たらない。どうしよう、どうしよう、アキラを見つけなければ……。


 走り回っていると、二階に上がる階段があった。僕は、駆け上がって行く。階段を上がった先に、マネキン人形が、ポーズを決めて立っていた。台座の上から、僕を見下ろしている。ドジな僕のことを、笑っているようだ。そんなマネキンを無視して、また、走った。紳士服コーナー、婦人服コーナー、何処にも見当たらない。


 後、探していないのは、屋内のプレイランドだけだ。でも、本当は、そこに行きたくない。なぜなら、不良の溜まり場だからだ。でも、アキラなら、そこに居るかもしれない。いや、貴子お姉さんにあんな事をしたアキラなら、絶対にいるはずだ。


 僕は、入り口から、中を覗く。プラスチックの木馬が、のどかな音楽に合わせて、ぎこちなく回っている。タイヤの無い車が、誰も載っていないのに、ウィンウィンと車体を揺らしていた。それらの大型の遊具が邪魔で、アキラが居るのかが分からない。もう少し、歩みを進めてみた。プレイランドの様子が分かるようになる。案の定、一番奥のインベーダーゲームの周りには、不良のお兄ちゃん達が集まっていた。大声で笑い合い、盛り上がっている。


「へったくそやの~、今度は俺や!」


 一人一人の顔を見た。アキラを探した。その時、一人のお兄ちゃんと目が合った。


「坊主。インベーダーがしたいんか?」


 ビックリした。僕の心臓が、僕の胸を叩いた。目を大きく開けて、大きく息を吸う。ブルンブルンと首を横に振って、僕はそこから逃げ出した。


「なんや、あいつ」


 そう言って、お兄ちゃん達が笑っている。僕は構わずに、力一杯、走った。


 いなかった。

 いなかった。

 いなかった。


 スーパーダイエーの中を、探し回ったのに、アキラが見つからない。僕は、階段を転がるようにして下りていく。スーパーダイエーの外に飛び出ると、赤いサイクリング自転車に向かって、走った。最後の手掛かりは、自転車しかない。身を隠すことも忘れて、駐輪場に辿り着いたけれども、既に自転車が無くなっていた。


 ゼーゼーと息を切らしながら、自分の失敗に気が付いた。スーパーダイエーに入らずに、初めっから、自転車だけを見張っていたら良かったんだ。追いかける必要なんか、なかったんだ。クタクタに疲れて、自分の自転車の所に歩いていく。残念だ。本当に残念だ。折角、ここまで追いかけてきたのに……でも、達成感もあった。尾行という初めての行為に、僕は、かなり興奮をしていた。自分の胸を触る。心臓が暴れているのが分かった。


 ノロノロと自転車を走らせて、家に帰る。貴子お姉さんに、どの様に報告しようか考えた。収穫が全くなかったわけではない。赤いサイクリング自転車の持ち主は、アキラ。それに、ミナミ高校に通っていることが分かった。家に到着すると、僕は、隣りの西村と表札が掲げられた家の前に立つ。呼び鈴を押すことに、かなり緊張した。今日、何度目か分からない深呼吸をする。意を決して、呼び鈴を押した。


 ピンポーン


「はーい」


 間の伸びた、おばさんの声が家の中から聞こえてきた。暫くして、玄関が開けられる。


「あら、小林さんとこのヒロちゃん。どうしたの?」


 どうしたの? 僕は、何て返答をすればいいのか困ってしまった。アキラの報告なんて、言えやしない。


「その……怪人二十面相を貰ったから……」


 次の言葉が出ない、俯いてモジモジとしていると、おばさんが明るく喋りだした。


「怪人二十面相っていったら、推理小説ね。それで、お礼に来たの? 偉いわねー。あの子、テニス以外は、推理小説ばっかり読んでいるのよ。本棚にも、ビッシリ」


 僕は、おばさんの顔を見ながら、お姉さんの部屋を思い浮かべる。あの本棚にあった難しそうな本は、推理小説だったんだ……。


「とっても、面白かった」


「そう、貴子に薦められたのね。でもね、貴子、まだ帰ってきていないの。期末テストが終わって、今日からクラブが始まったのよ。午前中はクラブだから、昼過ぎにならないと帰ってこないわ」


「そうですか」


「貴子には、ヒロ君が来たことを伝えておくね」


 僕は、頭を下げた。おばさんが、家の中に帰っていく。お姉さんに会えなかった。少し落胆する。その所為か、何だか言いようのない疲労感が僕を襲ってきた。家に帰ると、直ぐさま二階の子供部屋に上がった。畳の上に、ゴロンと寝転がる。まだ、心臓がドキドキとしていた。今日の出来事を思い返す。考えてみれば、凄い冒険だった。なんだか、本の中の小林少年になっていたような気がした。

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