第3話 嫌な奴

 卓袱台を囲んで、家族の皆と晩御飯を食べた。お父さんにお母さん、妹に弟。料理は、僕の大好きなカレーライスだった。いつもならお代わりをするけれど、今日はしない。僕は、手を合わせる。


「ごちそうさま」


 膝元に置いてあった怪人二十面相の本を手に取ると、僕は、そのまま居間に寝ころんで読み始める。カレーを食べていても、続きが気になっていて仕方がなかったのだ。僕は、本の世界に入っていく。小林少年が怪人二十面相の所為で、落とし穴に落とされてしまった。身体を激しく打ち付けて痛そうにしている。なんだか、僕の身体も痛くなったような気がした。地下室に閉じ込められてしまった小林少年は、これからどうなるんだろう? とてもドキドキする。本を読んでいて、こんなにも面白いなんて、初めての体験だった。


「もう、ご飯は終わりなの?」


 お母さんが、不思議そうに僕に問いかけた。


「うーん」


 僕は、生返事をする。


「どうしたのその本、なんだか夢中みたいだけど」


「貴子お姉さんにもらった」


「誰、貴子お姉さんって?」


「隣のお姉さん。話しかけないでよ、今、いいところなんだから……」


「はい、はい。分かりましたよ」


 僕は、居間から逃げ出すと、二階の子供部屋に移動した。布団に潜り込んで、本を広げる。不思議なことに、中断していたのに読み始めると、スーッと怪人二十面相の世界に入って行くことが出来た。面白い、とっても面白い。お母さんが、「もう寝なさい」と言っても、僕はずっと読んでいた。


 次の日、僕は寝不足になってしまった。あと少し、あともう少しと思いながら、結局、最後まで読んでしまったのだ。読み切った後も、興奮して寝れなかった。お母さんに無理やり起こされて、朝ご飯は殆ど残してしまい、目を擦りながら家を出た。本当に眠い。学校には行きたくなかったけれど、ランドセルを背負って、頑張って学校に行った。


 ♪キーンコーンカーンコーン


 一時間目の授業が始まった。クラス担任の本荘先生が教壇に立つ。本荘先生は、若い女の先生だ。とっても優しくて、なにより美人だ。クラスの皆からも慕われている。ランドセルから国語の教科書を取り出して、机の上に広げた。読み始めたけれど、全然面白くない。怪人二十面相はあんなにも面白かったのに、何故なんだろう。それでも、我慢して先生の授業を受けていた。だけど、睡眠不足が祟った。とても眠い。教科書の字を追いかけても、内容が頭に入ってこない。だんだんと瞼が重くなってくる。頭がグラグラと揺れた。なんとか目を、開けようと思ったけれど……。




「・・や・くん」

「こ・・しくん」

「こ・ば・や・し・君」


 僕は、誰かに肩を揺すられていた。段々と意識がハッキリとしてくる。


「ハッ!」


 僕は飛び起きた。咄嗟の事で、状況がよく掴めない。最初に目が合ったクラスの女の子が、僕を見てクスクスと笑っていた。


「小林君、授業中ですよ」


 横を見る。本荘先生が立っていた。今が授業中だということが、やっと思い出された。その時、僕は「先生」と言おうとした。その筈だったんだ。


「お母さん」


 僕の口から出た言葉は、「お母さん」だった。


「ワッハッハッハッー!」


 クラスが、大爆笑に包まれた。教室が揺れる程に、皆が笑った。先生も、笑いを堪えている。僕は、顔が真っ赤に染まるのを感じた。恥ずかしくて俯いてしまう。その時、クラスの小川が立ち上がった。


「お母さ~ん」


 小川が、ここぞとばかりに僕の真似をした。クラスの皆が、また盛大に笑いだす。僕は、顔だけ横に向けて、小川を睨みつけた。小川の奴、得意そうに手まで叩いていやがる。太田の腰巾着のくせに、生意気な奴だ。


「はーい、皆さん、静かにしてください」


 大きな声で先生が叫ぶ。でも、盛り上がった空気は中々収まらない。朝から最悪だ~。


 ♪キーンコーンカーンコーン


 一時間目の授業が終わると、僕はランドセルから怪人二十面相の本を取り出した。貴子お姉さんからもらった本。僕が活躍する物語。本を広げて、面白かった個所を、もう一度読んでみる。昨晩感じていた興奮が、またぶり返してきた。


「おい、お母さん、なに読んでるねん?」


 嫌な奴がやって来た。太田だ。僕を見つけると、何かとイジメようとする。その後ろには、小川もいた。僕と目が合うと、また「お母さ~ん」と言っている。いい加減にしてくれ。


「怪人二十面相……」


 太田にそう告げて、僕は本を閉じた。不安なものを感じたから、僕はその本を抱きしめる。


「何やそれ?」


「探偵小説」


「面白いんか?」


 そう言って、太田が手を伸ばした。僕は抵抗することが出来ずに、本を取り上げられてしまった。太田は、僕の目の前で本を広げる。


「なになに、その頃、東京中の町という町、家という家では、二人以上の人が顔をあわせさえすれば、まるでお天気のあいさつでもするように、怪人二十面相のうわさを……」


 太田は、そこまで朗読すると、本を閉じた。その本の背中で、僕の頭をコツンと叩く。


「アッ、イテッ!」


「何が怪人二十面相のうわさや、このクラスは小林のお母さんのうわさで持ちきりやないか。お前の方が、よっぽど面白いわ」


 ♪キーンコーンカーンコーン


 チャイムの音に助けられた。太田と小川が自分の席に戻っていく。僕は、ため息をついた。二時間目の授業が始まっても、全くやる気が起きなかった。唯一の救いは、今日が土曜日だということだ。今日は、午前中で授業が終わる。だから、直ぐに帰ることが出来る。帰ったら、貴子お姉さんの為に、自転車男を探すんだ。貴子お姉さんの事を思い出したら、何だか元気になってきた。机の中にある怪人二十面相の本を触ってみる。なんだか、貴子お姉さんと繋がっているような気がした。


 ♪キーンコーンカーンコーン


 四時間目の授業が、やっと終わった。本荘先生が、日直の坂口直美に声を掛ける。


「では、坂口さん、お願いします」


 坂口さんが立ち上がった。


「起立」


 坂口さんの掛け声で、クラスの皆が、椅子を引いてドタドタと立ち上がる。


「礼」


 僕たちは、先生に向かってお辞儀をする。


「さようなら」


 いつもの事だが、小川の奴が「さよ・お・な・ら」と言っていた。面白くないんだよ。僕は、心の中で、小川の奴に、ツッコミを入れる。ランドセルを背負って帰ろうとしたら、僕の前を太田が立ち塞がった。


「おい、小林」


 僕は、顔を歪める。


「なに?」


「今日、ちょっと付き合えよ」


 僕は、ランドセルの肩ひもを握って後ずさる。


「……僕、用事があるんだけど」


 身長一七〇センチの太田が、身長一五〇センチの僕を見下ろす。圧迫感に気圧されてしまう。


「用事なんて、その後でもええやろう。付き合ったら、来週に発売されるジャンプを、お前にも読ませてやるで」


「えっ!」


 ちょっと、心が動いた。でも、どういう事だろう? ジャンプの発売日は月曜日って決まっているのに……。太田が、自慢げに僕を見つめた。


「小林。ジャンプ、読みたいやろう」


 僕は、黙って太田を見つめた。太田が、後ろにいた小川に合図を出す。


「小川、教えてやれよ」


 小川の奴が、得意げな表情を浮かべて前に出てきた。


「これから行く店ではな、月曜日に発売されるジャンプを、こっそり土曜日に売ってくれるんや」


「ほんまに?」


「ああ、嘘やないで。俺は、何回もそこで買ってきたんや。でもな、これは、絶対に誰にも言ってはいけない秘密なんや」


 僕は、ゴクリと唾をのみ込んだ。小川の奴は、更に言葉を続ける。


「Dr.スランプ、リングにかけろ、三年奇面組、キャプテン翼、そして、キン肉マン。どうや、読みたいやろ……」


 読みたい。確かに読みたい。でも、太田と小川と一緒というのが、かなり不安だ。でも、僕を誘うなんて、どういうつもりなんだろう……。


「なんで、僕に声を掛けてくれたの?」


 太田が、顔を和らげて僕に近づいてきた。僕よりも大きな太田が、僕の首に腕を巻きつける。


「少しな、仕事をして欲しいねん」


 僕は、太田の体重を感じながら、聞き返した。


「仕事?」


「ああ、行けば分かる。それに付き合ってくれたら、お前に、秘密基地も招待したる」


「秘密基地……」


 噂には聞いたことがある。この芝生小学校の向い側には、廃墟になった大きな工場があった。火事で焼けてしまったのか、窓ガラスは割れているし、建物は全体的に黒く煤けている。割れた窓から工場の中を覗くと、二階の床が落ちている様子を確認することが出来た。周りは有刺鉄線で囲われていて、立ち入り禁止になっている。工場の敷地全体が、とても怪しくて、オバケが出るという噂は何度も聞いた。だから、小学校に通う生徒たちは、みんな怖がって近づこうとはしない。そんな工場だけれど、その奥に、何故か古いバスが放置されているそうなのだ。太田たちは、そのバスを秘密基地として使っていて、自分達の度胸を自慢していた。太田は、僕に巻きつけていた腕に力を入れる。


「分かったな」


 太田の圧力に、僕は頷いた。


「分かった」


「よし、じゃ、昼飯を食ったら、学校前に集合な」


「時間は?」


「二時にしようか、遅れるなよ」


 そう言うと、太田は、やっと僕を解放してくれた。力が抜けた。僕は、大きく息を吐き出す。学校の帰り道は、僕は一人で帰った。太田に絡まれたのは、迷惑だったけれど、ジャンプが読めることと、秘密基地に行けることは、僕の気持ちをザワつかせた。特に、秘密基地に行けるのは、正直、楽しみだ。あんな場所に、一人ではとても行けない。未知の世界に探検に行くような気分だ。でも、仕事って、なんだろう? それだけが、心に引っかかった。

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