樹氷

ざく。ざく。

ざく。ざく。

ざく。ざく。


日も昇らぬ早朝。

まっさらに積もった雪の海岸線。

前を歩く彼女がつける跡を、ぴったりと追う。


「ふぅ、ふぅ、ふぅ」


マフラーを忘れた。

海から吹く風が、身を裂くようだったが、あまり気にならなかった。


「今日、死のう。二人で。」


いじめ、と言っていいものだった思う。

よくわからないけれど、そんなナニカが私を襲ったのが、3ヶ月前。

そんな私を助けようとして、被害者が増えたのが1ヶ月前。


異常は日常に。

冷え切ってしまえば、痛みも感じないのだとわかった頃。

唐突に彼女はそう言った。


「このまま、ずるずる行っても仕方がないよ」


「・・・でも」


「行動を起こさなくちゃ」


「・・・だからって」


「あいつらは言っても聞かない。そういう生き物なんだ」


「・・・いや」


「だから、私達が、逃げるしかないんだよ」


そんな感じで。流されるまま。

決行の日になってしまった。


「さぁ、着いたよ」


波の、岩場にうちつけられる音。

それが、遥か下から聞こえる、岬の先。


前を歩いた彼女が、こちらに向き直る。


「どうせなら一緒に行きたいよね、ほら、こっち」


私の腕を取り、先の先へ。

目的地まであと2歩の、その場所へと、二人で並び立つ。


「いやー、絶景だね! きらきらしてる」


「・・・あの」


「あ、靴脱がなくっちゃ。なんで靴脱ぐんだろうね、おっかしいの」


「・・・ほんとに、やるの?」


「もちろん、やるに決まってるじゃん」


「・・・耐えればいいだけじゃない」


「いったい何時まで? 3年?6年? それとも、一生?」


「・・・それは」


「ああいう生き物、どこにでも居るよ。世界は怖いんだよ。

 私達は一生、食われ続けるんだ。そんなのに耐えるつもりなの?」


「・・・っ」


「私は無理だぁ。ごめんね?」


「・・・」


靴を脱いで、一歩前へ。

彼女に引かれ、私も前へ。

境界線に裸足で立つ。


高い。


「えい。」


ぎゅ、としがみついたその腕が、前へと振られる。

境界線を身体が超える。


「きゃぁ!」


踏ん張り、絡めた腕を一層強く握る。

振り子のように振られたそれは、当然のように元の位置へと戻った。


「な、な、何するの」


心臓が早鐘を打つ。

温かいものが巡る感覚。


「いやぁ、つい」


「ついじゃないよ!」


「なんかさ、キミは乗り気じゃない気がしたからさ、ね?」


「ね、って・・・」


「でも、やっぱりやってよかったよ」


「?」


「だってキミ、こんなに強く私の腕を握ったもの」


「そ・・・れは」


「キミは、やっぱりすごいね」


「え・・・」


「こんなに臆病なのにさ、まだ、こっち側に居ようとしてる」


「・・・」


「口下手だからさ、何考えてるか分かりづらいけど。

 キミは、ちゃんと自分のやりたいことが見えてるんだね」


「・・・そんなこと、ない」


「あるさ。今日だって、きっと私を止めたかったんだよ」


「・・・単に、臆病なだけだよ」


「本当に臆病だったら、ここに居ないよ」


「・・・それでも、言葉に、できてない」


「あー、まぁ、たしかに。

 そこはちょっとずつ、やっていけるといいね」


そこがカワイイと思うけどもね、と言いつつ。

彼女は、自分の巻いていたマフラーを、私に巻く。


「私の、ボロいけどさ、きっと少しは熱が保つ」


・・・まって


「卒業したら南の方に行くといいよ」


・・・まって


「雪も振らないような、温かいところにさ」


待って、と。

言葉にできたら、どれほど良かっただろう。


「じゃあ、元気でね」


掴んでいたはずの腕が、抜ける。


「ーー。」


これまで見たことのないような、大輪の笑顔。


ざざーん。


高い波の音がした。


「帰らなくちゃ」


残されたのは、二足の靴と、私。

私と同じサイズの靴に足を通す。

樹氷に反射した朝日が、まぶしかった。

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