カウンセリング

しん、と、ひえた空気を吸う。


校舎の1階のカドの部屋。

他の教室よりやや広いそこには、ベッドが2つ。長椅子が2つ。

すっかり暗くなった窓の外には、雪がちらついていた。


「やぁ、おやすみなさい、お姫様。ずいぶんとご無沙汰だったような気がするね」


奥の事務机、そのイスの上に置かれた、等身大のニンギョウ。

100カラットの蒼玉サファイアが、眼窩からこちらに笑いかけていた。


「えぇ、3年ぶりね、サファイア」


白衣を着て、ネクタイを締め。

その表情は、張り付いたような微笑。


「もうそんなに経つのかい。月日の流れは本当に早いね」


「そうね、本当に、嫌になるわ」


サファイアと会うのは、決まってこの場所。

半生で最も多感な時期を過ごしたこの校舎。

部屋の隅にある鏡に移る姿もまた、その時期の私そのものだ。


「それで、今回の原因は何かな?」


「別に、大したことじゃないわ」


「懐かしいね、その言葉。最初に聞いたのも、そのセリフだったね」


「覚えてない」


「それは、よい傾向だね」


カタカタ、と、奥から事務イスを引いてくるサファイア。

袖を余らせた右腕で、恭しくソファへ座るように促す。


「君がここに来ないこと。君がここを忘れていること。それは私にとってこの上ない喜びだ」


「馬鹿にしているの?」


促されたソファには座らず。

この身の熱を奪ってくれる、窓際に背を預ける。


「もちろん、していないとも。お姫様。私は君のカウンセラーだからね」


「それならさっさと済ませてしまいたいのだけれど」


カン、カン、とつま先でフローリングを打つ。


「そう急かなくともいいじゃないか。どうせ最後はそうなるのだから」


電気ケトルから湯気が立ち上る。

赤と青のマグカップに、湯をそそぐサファイア。

爽やかな紅茶の香りが立ち上る。


「せっかくの雪の夜だ。積もる話でも聞かせてくれないかな?」


「あなたに話して、なんの意味があるの?」


「意味なんてないとも。意味が無いことはお嫌いかい?」


「えぇ、少なくとも、今この場では」


カップからティーバッグを取り出し、赤のマグカップに砂糖を3つ、ミルクを一回し。


「ストイックなことは星の数ほどある君の美点の一つだね」


「別に、そんなんじゃないわ。この不毛なやり取りが嫌いなだけよ」


「まさか! 君との会話が実を結ばなかったことなど一度もないさ」


差し出されたマグカップ。

不承不承、受け取る。


「ところで、あの子は元気にしているかい? 3年、ということは今年で12か」


「……えぇ。元気よ。私に似ずに素直に育っているわ」


「それは良かった! きっと君のように苛烈さと凛々しさが備わっているのだろうね」


カップをつつんだ両手から、甘い熱が伝わってくる。


「ねぇ、サファイア。あなたはずっとこのままでいいの?」


「おや、お姫様は私のことを案じてくれているのかい? 光栄だね」


「茶化さないで」


私の隣で窓の外を眺める、その横顔をにらみつける。


「そうだね、ずっとこのままでいいんじゃないかな?」


「ウソ。都合のいいことを言わないで」


「いやいや本心さ。少なくとも、君をここに一人でやるより、ずっといい」


その青い瞳を、こちらに向けることなく言う。

口元は、凝り固まったような微笑のまま。


「私は、悔しいわ」


サファイアをここに縛り付けているのが。

私のカウンセラーとして利用しているのが。

この子を薪として燃やして、前に進むしかない、自分自身が。


どうしようもなく、後ろめたくもそれをするのだとわかる。

そのことを後悔できなくなっている自分が。

心の底から、悔しい。


「あなたの腕は、もっとしなやかでたくましかった」


「あなたの笑顔は、もっと暖かだった」


「あなたの瞳は、もっと綺麗な青だった」


あなたは、もっとあなただったはずなのに。


ベージュの波紋が、カップに広がる。

こんなことをする資格は、私にはないのだとわかっていても、とめどなく。


「それでいい。それでいいんだお姫様」


余った袖が、頬を拭う。


「この腕が君の役に経つのなら」


「この笑顔が君の励みになるのなら」


「この瞳が君の顔を輝かせるなら」


「私はきっと、私だ」


温度のない腕が、肩を抱く。

青の瞳は吸い込まれそうで。


「さぁ、もう夜が開けるよ。魔法を解こう、お姫様」


手の中にあった熱が、食道を通り、胸一杯。

あたたかな流れが、私を満たした。


--


「ママ! いい加減起きなよ」


娘の一言に、かっと目を開く。


「ごめんなさい、何か、良くない夢を見ていたわ」


枕元の時計は、午前六時。

いつもより一時間は遅い起床だ。


「大丈夫?」


カーテンを開け終えた娘に気を遣われる。


「えぇ、落ち着いたわ」


ベッドから起き上がり、ぐっと伸びをする。

立ち上がり、娘の後に続いて部屋を出ようとしたとき。


前をいく娘が、あ、いけない、と、くるりとこちらを向いて。

深い青の虹彩を、きゅっと細めて。にっこりと。


「おはよう! お誕生日おめでとう! ママ!」

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