第26話 4人の席

 ジョージイは久しぶりに帰る自宅の前でタクシーを降りると、原島のネクタイを直しながら「母のマリアは形にこだわらない人だから,省三も堅くならないでね」と言った。

 しかし、ジョージィの親に会うのだ。「硬くならないでね」言われても緊張はする。


 ジョージイは自宅に入った時、何か自分の家とは違うふしぎな雰囲気を感じた。

 住みなれた自分の家なのに他人の家に来たような感じに包まれた。

 家具も壁に飾った絵画も、なにも変わってはいないのに何かが違う。なぜだろう?


 向島のマンションで原島と暮らしたわずかな間に、自分の気持ちが向島に落ち着いた証拠なのだろうか。それならそれは嬉しい心の変化と言えるだろう。

 だが、ジョージィは悟った。この家には誰か自分の知らない男がいる。


「ママ、原島さんよ」

「原島省三と申します、ジョージィさんとお付き合いさせて頂いております」

 ジョージィは原島をみてすこし堅いよといった顔で笑った。


「ママ私、原島さんと結婚してこのまま日本に住もうと思うの」

「私はあなたが決めたことに反対はしないわよ」

 マリアはジョージィから結婚という言葉を聞いても、特別な関心を持たないような軽い言葉で返した。


 マリアのことはジョージイから聞いてはいたが、その通りの女性のようである。本当はスコットとの関係をこれからどうしようかと、悩んでいる娘のことはなにも考えてはいないように見える。マリアはジョージィには全く関心を示さず、自分自身のことを話しだした。


「私ね、プロポーズされたの」

 ジョージイが誰かいると感じたその男なのだろう。

「銀座に新しくできたセレクトショップに努めている人で、とっても優しいのよ。ほら見てこんなものを扱ってるのよ」

 宝石には全く知識がない原島ではあるが、マリアが見せたネックレスはそれほど上等なものには見えなかった。


 ジョージィはすでに、もうこの家は自分の帰るところではないのだと感じた。

 自分の母であるマリアは、子どものころに感じていた母ではなくなっているような気がして寂しさがこみあげてきた。

 

 原島はこの人は邪気のない少女のような人なのだろう、だがマリアがいう銀座に新しくできた、セレクトショップには気になるものを感じた。


☆☆☆


 奈津美はあれ以来、原島から何も返事がないことに次にうつ手を考えていた。

 原島は仕事探しに必死になっていたはずなのに、その後なにも返事がない。

 だが奈津美にはもうひとつの目的があった。それはジョージィであった。


 ジョージィのもつあの美貌は、男の心をとらえないはずがない。

 あの説得部屋にジョージイがいればどんなものでも売れる。

 奈津美の冷静な判断には、原島の存在は考えていなかった。

 奈津美の狙いはジョージィただ一人であり、原島はジョージィを獲得するための道具にすぎなかった。


「原島さん、その後どうしてるの考えは決まった?」

「あっ、奈津美さん返事が遅れてごめん。もう少しだけ考えてもいい?」


 奈津美からの電話に原島は乗り気ではないものの、断りの言葉は言えなかった。

「いいのよ、原島さんが決心がつくまで私はいつまででも待つわよ。それよりもゆっくり食事でもしない?」


 奈津美のお誘いにどう返事をすればいいのか、若干言葉を考えていると、

「勘違いしないでね、ジョージィと一緒に来てほしいの。私にできることがあれば力になりたいと思ったから」

 ジョージィと原島に今起きている問題を、奈津美が知るはずはないのだが理解者が多いのは心強い。


 原島とジョージィのふたりは銀座のセレクトショップと称する説得部屋にいた。

 ジョージイが見てみたいと言ったのが理由であった。

「ここが省三が務めることになる店なのね、落ち着く部屋ね」

「ちょっと待ってくれ、まだ決めてないよ」


「でも決めたんでしょ、松野さんとお祝いのお酒も飲んだんでしょ?」

 確かにこの部屋で奈津美の話を聞いた後、浅草の居酒屋でひとりで悔しい思いでビールを飲んだことがある。そのときはジョージィに松野と一緒に飲んだと噓の報告をした。ジョージィを喜ばせたい一心で。だが本当は違う。


 二人の待つ部屋に本当の心を隠したまま奈津美が現れた。

「お待たせしました、ジョージィ久しぶりね。相変わらずきれいで羨ましいわ」

 奈津美の言葉は本心だろう。ふたりはツインタワーに勤務していたころは松野とボスロフの取引によく同席していた。


 親しい友人とはいえないまでも、ふたりは互いによく知っている。

「ジョージィとまた一緒に仕事ができたら、私うれしいんだけどなあ」

 奈津美はいきなりジョージィにお誘いのことばをいった。それは挨拶代わりのような言い方ではあったが本当の目的そのものであった。


「7丁目においしいお店があるの。ここからすぐよ、食べながらゆっくり話しましょう。その前にあなたがた二人に紹介したい人がいるの」

 奈津美は室内電話にでた女性社員に「進藤さんをここへ呼んで、それからお店には4人の席を予約しておいて」


 ノックする音がして男が説得部屋に現れた。

「進藤さんよ。こちらは原島さんとジョージィさん」

「進藤と申しますどうぞよろしくお願いいたします」


 進藤と名乗った男はやや細い体つきで、男臭さを全く感じさせない草食系といえばいいのだろうか、物腰柔らかな人物であった。言葉遣いも丁寧で語尾に余韻を残すような話し方をする。

 奈津美の好みのタイプはこれなのかと思いながら、原島にはマリアの話していたセレクトショップに努める男とは、ひょっとしたらこの男ではないのか?

 原島は進藤の姿を見て、その声を聞いて女の心を巧みにつかみ、それを唯一の武器として生きる男と判断した。この男ならマリアは簡単な獲物であったろう。


 原島は確信した。この男がマリアにプロポーズした男だ。


 ジョージィは進藤の挨拶を聞いたとき、代々木上原の自宅で感じたあの臭いと言うか空気感と言うか、何か感じたあの時と同じものを感じた。マリアにプロポーズした男に間違いない。


 進藤も分かった。マリアの娘だと。


 奈津美の考えに従って集まった三人は、互いに声には出さなかったがそれぞれが同時にこの現実を知った。食事などする気持ちにはならなかった。








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