23:美少女コンテンツが好きな女の子は意外と実在する

 そこまで特定されれば、もはや朱里も「まな板の鯉」だったに違いない。

 幼なじみの鵜多川孔市と「漫画家・宇多見コウ」が同一人物である事実を、遺憾ながら認めざるを得なかったわけだ。


「それで君に会いたがってるのは、よしのんから『エミ』って呼ばれてる女の子。本名は『藤花ふじはな笑美子えみこ』で、まあ私はまだ親しくないから藤花さんって呼んでるけど――」


 朱里は「友達の友達」だという同級生を、少しためらうような口調で紹介してきた。


「うちの学校の二年四組に在籍していて、漫画イラスト研究会の部員でもあるわ」


「……その子が俺に面会を求めてるっていうのは」


 ちょっと考えてから、俺は確認のためにたずねた。


「たぶん『漫画家・宇多見コウ』に対する興味からなんだよな?」


「それはきっとそうでしょうね」


 朱里は即答した。


「何でも、君が描くラブコメ漫画の大ファンらしいから」


 ――こりゃまた驚きだ。こんな身近に愛読者が潜んでいたとは。


 いや無論それなりに読み手がいるから、仕事を続けさせてもらえているわけだが。

 あと学校で素性を隠してひそんでいるのは、むしろ作者である俺の方なんだが。

 まさかファンを名乗る相手から、自分が「会ってみたい」だなんて意思を伝えられる日が来るとは思わなかった。


 し、しかも――女の子、だとぅ……? 

 俺が描いてるの、おっぱい大きめのヒロインが登場する男子向け漫画なんですが大丈夫? 

 どっかのイケメン歌い手動画配信者と人違いしてない? 



「――で、どうするの。藤花さんと会う?」


 朱里は、改めて問いただしてきた。

 床の上に正座した状態で、俺の顔をのぞき込むように見ている。

 こちらも椅子に腰掛けたまま、腕組みしながら答えを返した。


「いや、遠慮しておく。そんなに暇じゃないからな、知ってるだろ」


「えっ……。そ、そう? じゃあ藤花さんに会わなくてもいいの?」


 朱里は、わずかに目を見開き、訊き直してくる。

 それに「おう」と簡潔に返事し、首肯してみせた。


 曲がりなりにも商業漫画家として、すでに今月の予定は確定している。

 日時を空けて対応できないことはないが、ここはやはり原稿第一だろう。

 ひょっとしたら、女の子と仲良くなれる貴重な機会なのにもったいない、と考える人間もいるかもしれない。しかし余計なお世話というものだ。

 そもそも身近なところで女の子と接するのは、とっくの昔に間に合ってる……。



「ふうん、そうなんだ……」


 こちらの返事を聞くと、なぜか朱里は思案顔になった。

 それから微妙な間を挟んで、再び口を開く。


「あのね私、実はもう藤花さんと一度会ったことがあるんだけど」


「はあ? そうなのか」


 俺は、いささか間抜けな声を発し、幼なじみに返事してしまった。

 まだ藤花という女子の話を続けてきたのが、少し意外だったからだ。

 しかし朱里は、尚も詳しく藤花のことを紹介してきた。


「かなり可愛い子だったわよ。小柄でほっそりしていて」


「ふーん。でも女子の『可愛い』は当てにならんからな」


「むしろ男子受けが良さそうな可愛さだと思うけど藤花さん」


「そりゃどうかな。男子が好む異性だって色々あるし」


「オタクな人なら気が合いそう。黒髪で漫画やアニメ大好きだし」


「……逆にわりと地雷っぽくないかそれ。ちょっと典型的すぎて」


 思うままに感想を述べていたら、朱里がちょっととがめるようににらんできた。


「まだ会ったこともない女の子を、変なふうに言うのは失礼よ」


「いや俺と会いたがっている時点で、充分変なやつだろそいつ」


「……自虐的なセリフを真面目な顔で言わないでよ」


 訓戒じみた言葉に反論すると、そこへ重ねてツッコミを入れられる。

 いや何だよ。どうして藤花の件に関して、話を切り上げさせてくれないんだ。



「ていうか藤花って女子のことを執拗に持ち出して、おまえは俺に何を望んでるんだよ。もしかして、断らないで会えって言いたいのか?」


「う、うーん……。それは正直なところ、色々迷いがあるというか……」


 怪訝けげんに感じて訊いてみたら、またよくわからん答えが返ってきた。


「こないだ動物園の帰り道で、孔市と色々な話をして……何となく、友達を作ったり外出したりすることに消極的な理由も、理解したつもり。だからまた無理に連れ出して、君を気乗りしない相手と引き合わせることにも、ちょっと抵抗があるの。それでなくても他の女の子とっていうのが、その――」


 そこまで言ってから、朱里は突然もごもごと口篭もった。

 額にうっすら汗をにじませ、明後日の方角へ視線をらす。

 雑念を払うようにかぶりを振ってから、仕切り直して続けた。


「とにかく私としては、孔市の意思を尊重したい、という気持ちはあるんだけど」


「あるのに、なんでこんなやり取りを続けているんだよ。そこが知りたいんだが」


 話の先をうながそうとして、さらに問いただす。

 すると朱里は、またもや幾分困惑した面持ちになった。

 それから整理するような口調で、事情を話しはじめる。


「実は私のところへ『藤花さんが孔市に会いたがっている』って相談してきたのは、本人じゃなくて、よしのんなんだよね。よしのんも藤花さんも漫研部員だっていうつながりで、たぶん想像が付いていたとは思うけど……」


 村井が渡りを付けようとしていたのは、たしかにある程度察していた。

 だから俺は「ああ、それで?」と言って、再度続きを催促する。


「えっと……。私ね、けっこう日頃から、よしのんにはお世話になっていて」


「要するに何か借りがある、ってことか?」


「端的に言えば、そんな感じ。だから藤花さんの件は、よしのん本人の頼み事じゃないんだけど、できれば少しは何とかしてあげたいというか」



 ……なるほど、大まかに話の背景は理解した。


 村井は「鵜多川孔市と宇多見コウが同一人物である」と特定するに際し、藤花の協力を仰いだ立場だ。藤花から「宇多見コウに会いたい」と言われて、情報提供の返礼に希望をかなえてやろうとしたのだろう。

 そこで村井は、朱里に相談したわけだ――

 あつらえ向きに「宇多見コウの幼なじみ」だと、つい先日知ったばかりだから。


 朱里はあまり気が進まなかったが、村井には何やら借りがあるという。

 なのでたまには義理を果たしておきたい、ってことなんだろうな……。


 つまり根底にあるのは、リア充特有の貸し借りの連鎖だ。良く言えば持ちつ持たれつで、こういうのが「社会関係資本」の基礎を成しているんだと思う。

 もっとも俺から見れば、わずらわしさ以外のなにものでもないが。



「ところで参考までに訊いておくが」


 俺は、ややこしい事情を把握する一方で、気掛かりな点をたずねた。


「おまえはいったい、これまで村井にどんな借りがあるんだよ」


「あー、それね。それはこう、少し言いにくいんだけど……」


 いかにも居心地悪そうな様子で、朱里は身を縮める。


「ときどき学校で、私に『仲良くしたい』って言い寄ろうとする男子がいるの。よしのんはそういう人を見付けると、あいだに入って思い止まらせてくれたりするのよ」


 …………。


 これまた抜群に朱里らしい話だった。

 男子がこいつと「仲良くしたい」というのは、勉強で役立つ参考書を教えて欲しいとか、ソシャゲでフレンド登録して欲しいとか、決してそういうことじゃなかろう。

 わかっちゃいたけど、マジでモテるんだなこいつ……。


「よしのんって、女性向け漫画全般に詳しいけど、本当に一番好きなのは少年ジャック系の少年漫画なのよ。だからそのテの話題で、いつも学校じゃ色々な男子と盛り上がったりしていて。異性の友達が多いタイプなんだよね」


 朱里は、やや伏し目がちな表情で、ぼそぼそと付け足すように話す。


「そういう人脈っていうのかな……それを使って、よく私を助けてくれるわけ。他の男子に頼んで、告白してきそうな男子を牽制したりとか」



 以前に学食で、村井と朱里が会話していたときのことを思い出す。

 漫画という媒体を、村井も積極的にコミュニケーションツールとして用いていた。

 カジュアル系サブカル女子とでも呼ぶべき手合いだろう。少年漫画の中でも、コア層のオタク以外から受けがいい作品を好み、交友関係を広げる手段としているようだった。


 女子からは「愉快な趣味人」と見られていて、男子にとっては「友人ポジションの異性」みたいな立ち位置に納まりやすい同級生。それがたぶん村井芳乃だ。

 無駄に顔が広い人間に対して、それなりに気を遣っておきたい心理はわかる。

 朱里も大して本意じゃなさそうだが、あまり無下には対応しにくいのだろう。

 それで俺に態度を軟化させるよう、控え目に勧めているんだな。


 ――色々バレたら、結局一気に面倒臭いことになってんじゃねーか。


 俺は、手でがりがりと頭髪をかく。

 すでに後の祭りだが、ここまで早々と影響を実感するとは思わなかった。


 もし、このまま藤花との面会を断ったらどうなるのだろうか。

 諸事情を踏まえた上で、あれこれ憶測してみる。


 朱里は何より、村井に不義理を働くことになると思う。藤花の期待も、間接的に裏切ることになるかもしれない。

 他にも妙な誤解が生じたりすると、朱里は困ったことになるんじゃないだろうか? 

 それこそ、俺みたいな幼なじみとの間柄を勘繰られて……。


 俺は、朱里の方をちらりと見て、様子をうかがってみる。

 相変わらず神妙な表情で、かしこまってじっとしていた。



「……わかった。そこまで言うなら、藤花と会おう」


 あれこれ悩んだ末、仕方なく要望に応じることにした。

 ただし念のため、ひと言釘を刺しておく。


「でもあまり長時間は無理だぞ。原稿があるからな」


 朱里は、返答を聞くと、今一度真っ直ぐに俺の顔を見た。

 そこでまた、奇妙な数秒の間が生まれる。


「……本当に藤花さんと会ってくれるの?」


「くどいぞ。今言った通りだ」


 念押しするように訊かれたので、殊更ことさらに素っ気無く返事した。

 朱里は「そう……」と言ってから、浅く呼気を吐き出す。

 なぜか瞳の奥には、かすかな迷いの感情が垣間見えた気がした。

 まるでこうなることが本当に正しかったかを、自問するような。

 とはいえ表面上はごく平静な面持ちで、礼を述べてきた。



「ありがとう孔市。じゃあ藤花さんとよしのんには、そう伝えておくわね」

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