姫巫女と再会の炎術師

 室内に気まずい沈黙が流れた。

 玄関のドアをくぐるとまずあるのは広いリビング。

 中は白の壁紙と青磁の調度品で趣味よくまとめられている。


 決して華美でも豪奢でもない。

 それでいて品の良いチョイス。

 部屋の主の性格を現わしているようだった。

 アデル……ではなく、それらをまとめて選んだエミーナの趣味が良い、という話だが……。


 男は三人。

 リジオにロディマス、そして、黒服たちの方にも男性が一人いた。獣人、背丈はロディマスと同じほどの巨漢だった。

 女性は五人。


 アデルにさきほど中に入るように勧めた獣人の女とその配下に当たるのかもしれない。

 彼女だけは腕に一枚の、緑色の布を巻いていた。他の五人は黒いままだ。この一団を指揮する存在と見ていいだろう。


「クリス、と申します。ハラジの衆」

「ああ……大公様の直下の暗殺……いや、失礼」

「いえ」


 顔の半分を隠すように覆面をしていた彼女はそれを脱いで顔をあらわにした。

 黒髪、黒い獣耳、尾まで真っ黒。瞳だけはアデルよりも濃い緑をしている。

 どこか知的な瞳で、それを見たリジオはどきりと心を揺らした。

 ハラジはバーレーンの盗賊大公フライが若いときに身内に引き入れた黒狼の獣人一族のことだ。


 主に情報収集と暗殺を担っている。

 血を扱うからということで穢れに満ちあふれており、人としても一団低い身分だと彼らが世間では罵られていたのは記憶に新しい。


 同じ黒狼族同士の抗争で疲弊し、流浪の民だった彼らをフライが受け入れたのが三十年前。

 最下層の暗殺者を平民と同等どころか領地に貴族の身分まで与え、王宮警護という光の役職をフライは与えた。

 それ以降、裏の世界では最強の暗殺集団の一つとしておそれられたハラジは永遠の忠誠をバーレーンに誓っている。


 とまあ、そんな歴史を脳内で振り返り、自分の所属する氷の精霊王の信徒でもあったなあとか思い返しながらリジオは「よろしく」とだけぞんざいに返事をする。

 彼の機嫌を損ねた原因がさっきのアデルがした発言にあると考えたクリスは、「姫様!」と小さく叱責した。

 アデルは「ええ……私、悪くない」とかぼやきつつ、ロディマスに向き直る。


「ごめんなさい。言い過ぎました」

「あーいえ……こちらこそ、謝罪などと恐縮でございます」

「皆様方、どうぞあちらに」


 そうクリスに勧められて三者は椅子に腰かけた。

 本来ならば対等に向き合うことなんて許されない身分社会だ。

 リジオはありがたいと氷の精霊王に心で感謝を捧げ、ロディマスもまた口には出せない己の主に感謝を捧げる。

 それほどに、姫巫女と対応の席に座するということは特別な事だった。


「あの子が……心配になって寄ったのです」


 アデルは居心地が悪そうにクリスに促されて言葉を発する。


「あの子? ライシャのことですか」

「そうよ、炎術師! お前に預けたはずなのに来てみれば上階から飛び降りそうなことをしているではないの! これはどういうこと?」


 信じていたのに、と不満が喉を突いて出る。

 預けてみればライシャには危険ばかりが這い寄っていた。

 これでは預けた意味がないのと同じだった。


「あんたがあんな闘気なんか周囲に発するから」

「うるさい、リジオ。俺はお前が階下で保護しているものとばかり」

「男同士のいがみ合いは見苦しいわよ」


 指摘されてロディマスたちは黙ってしまう。確かに、なにかと情けなさがあった。

 でも、とそこにクリスが異論を挟んだ。


「その割には御二人ともこちらにいらっしゃるのが随分と遅かった気も致しますが?」


 男たちが顔を見合わせる。

 どうやらクリスにはいろいろと見透かされているようだ。

 アデルはどういうこと、と顔をしかめてみせた。


「あの武装警察。ホテルに乗り込んできた方ですが、あれを待ち望まれていたのか、と」


 そう言われ、ロディマスがにやりと微笑んだ。


「隠し事ができないな。あんたは分かっているようだ」

「いえ、最初からずっと御二人を監視……いいえ、放火犯の娘の保護を姫様が申し付けられてから、陰ひなたと見させて頂きましたので」

「姫様がそんなご指示を?」


 リジオが意外だという顔をする。もし、そんな指示を出していたらこんなことになっただろうかと思ったからだ。

 事前に用意していたにしては、アデルの行動は単独のそれだった。

 手際が悪すぎる。

 クリスはこほん、と一つ咳をする。


「……エミーナ様の。お側係のまとめ役の女官の方から、ええ。姫様には余計な御心労をおかけしないようにと。そういうことでしたので」

「そう。エミーナったら」


 自分のあずかり知らないところで補佐されていたと知り、アデルは憮然とした表情をする。

 それは十六歳という年齢相応のものだった。

 ロディマスはその横顔を見て過去を思い出す。


 あの幼い少女が、男勝りで勝ち気で冒険が大好きでいつも城のなかを駆けまわっていた彼女が、立派に成長して民を導くまでになった。

 その事実が何よりも胸に熱いものを抱かせていた。


 しかし、いまはその時ではないと頭を振り現実へと視点を切り替える。

 その仕草を周囲は不思議そうな目で見ていた。


「ねえ、どうして今朝の武装警察を待っていたの、あなたたちは?」


 アデルは不思議そうにロディマスたちに質問を投げかけた。

 二人は顔を見合わせると、ロディマスがそれは、と口を開く。


「大火事を出したことで武装警察が動くことは理解できるのです、姫様。これは広域に渡る犯罪だし、組織的な問題の可能性もはらんでいる」

「それで?」

「しかし、あの少女。ライシャを保護しないまま放置したと見せかけて泳がせていた。犯人に繋がる情報を引き出すなら、ライシャだけでなくあの事件に関わったとされる連中全員が逮捕されてもおかしくない。それなのに連中はライシャを野放しにした」

「……あの子には気の毒だけど、そうすることによってより大きな犯罪が防げるならそれは否認すべきではないわ」

 アデルは一瞬、自分の発言を疑ってしまった。

「姫様?」

「あっ……」


 自分はこんな無慈悲なことを言う人間だっただろうか。そう思ってしまったからだ。

 全員の視線が自分に突き刺さるのを感じる。

 大きな成果を得るために小さな誰かの犠牲は無視していい?

 それでは自分があり得ないと否定した前代の姫巫女アイギスと同じじゃない。

 ……情けない。


 アデルの疑問は伝播して室内にいた一堂に伝わっていた。


「ごめんなさい。言い過ぎたわ。忘れて頂戴……大義の為に誰かが犠牲になっていいことはない。私はそう思ったから今ここにいるの。言葉を間違えたわ」

「いえ。良いのです。姫様がそう思われたなら、我らはそれに従うだけですから」


 クリスがそうフォローする。アデルはありがとう、と呟くと続きをロディマスに言うように促した。


「聖戦の終了、姫巫女様の交代、そして起こった大火事。裏では武装警察が炎や光に関する術者たちをどんどん検挙していってる。それも、前代の姫巫女様に近くなかった連中だ。俺のような……ランクが高い者、前政権に親しくなかった者、太陽神様からの加護を受けそうな高位の者」

「放火の犯人検挙を目的とした言論狩り? 私はそんなことを求めていない。それにいまの政権だってそんなこと指示した覚えはないわ」

「別に姫様がそうだとは言っていません。アイギス様の時代に反対派だった者たち、関係しなかったけれどこれからは批判的になりそうな者たち。そんな社会的な実力者を捕縛しているかもしれない。そういうことです」

「なんのために? 理解ができないわ。新しい姫巫女は建った。もう国内が騒がしくなる必要なんてないのよ? これからは聖戦の爪痕……」


 そこまで言い、アデルはああ、そうか。と口をつぐんだ。

 まだ国内には前代のアイギスの時代に利権を貪り喰った野獣たちが蔓延しているのだ。

 方針を変えたくらいでそんな連中が心替わりをするはずがない。

 地下に潜っていずれまた地上に現れようと雌伏しているだけ。


「アイギス様の遺した負の遺産が持つ根は思ったより深いのね」

「ともすれば、王宮の中にまで。大神殿の中にまでその根は張っているでしょうね」

「いいわ……ここでこれ以上話をしていても仕方ない。先に進まないもの。どうするつもりなの?」

「その前に」


 と、二人の男はアデルの方に見を乗りだした。


「何よ? 報酬とかなら後からにして頂戴」


 ちょっと身を引いてしまった彼女に、違いますよと二人は苦笑する。


「身分をですね。俺もこいつも、それぞれ盗賊ギルドには復帰したが、役職から引退しちまった」


 ああ、そんなこと、とアデルは胸をなでおろす。

 父親のフライに合わせろとか望まれたらめんどうくさいなと思ったからだ。

 フライはバーレーンの民にとって救世主のような人気を誇っているから、つい、そう思ってしまった。


「それなら勝手に名乗ればいいじゃないの。役職への復帰なら爺に言いつけておくわ」

「ありがたい」

「感謝します。我が姫巫女様」


 それぞれに感謝の言葉を述べると、二人はこれからのことを詳しく話し始めた。

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