第5話 秘密のデート

 待ちに待った土曜日、待ち合わせをした横浜駅の西口に着くと、白い乗用車に乗った先生を見つけて足早に近付いた。最寄駅からはだいぶ離れてるから知り合いに会うことはないかな、と思っていたけど、すぐに「後ろに乗って」っと言われてしまった。


 その時から少しずつ、私の中でも罪の意識が広がっていったのだと思う。

 先生とデート。やっぱり、見つかったら大問題なんだなって。

「おはよ、よく眠れた?」

 それでも、先生はいつもみたいに優しく声をかけてくれた。

「うーん、ぜんぜん眠れませんでした」

 そっか、って笑う先生をミラー越しに見ると、あれ? いつもと何かが違う。よく見ると、今日はメガネを掛けていなかった。

「あれ? 先生メガネは?」

「コンタクトにしてきた、逆に変装になるかなって思って」

そう言ってニコっと笑った。

 メガネなしの先生も凄くカッコよくて、あまりミラーを見れなくなってしまった。それから少しして、小さなパーキングエリアに入ると、「前に来ても大丈夫だよ」と言われて、前の席に移動した。

「ほんと、デートみたいだね」

 なんだか一気に恋人気分になって、私だけが盛り上がっているみたい。BGMのボリュームを落として、学校のこと、友達のこと、それから家のこと、とにかくたくさん話した。私のたわいもない話に、先生は相槌を打って、笑ってくれたりして本当に嬉しかった。

 なんだろう、聞いて貰えるってだけで、受け入れて貰えてる気がして、気持ちが満たされていくのがわかった。

 

 車を走らせて2時間くらい経った頃、箱根に到着していた。

「そろそろお腹空かない? 好きな蕎麦屋があってさ」

そう言うと、車を止めて外へ出た。

 澄んだ青空に夏の終わりのうろこ雲が広がる。外でグイーっと伸びをすると、いつもとは違う空気を感じて本当に気持ちが良かった。

 先生は、襟なしのシャツにラフなパンツを履いていて、ゆるい私服がまた似合っていた。

 私は、黒い半袖のニットに赤いひざ下丈のフワッとしたスカートで、自分なりに精一杯大人びた格好をしていた。

「なんか雰囲気違うね」

 クスッと笑いながら言うから、おかしいのかな? って一瞬我に返った。

「なんか、変ですか?」

「ううん、すっごい可愛いよ」

 冗談交じりな答えが返ってきた。先生からそんな言葉が出るなんて、嘘でも嬉しかった。


 蕎麦屋までの少しの道のりを、並んで歩いた。先生の好きな蕎麦は、めちゃくちゃ美味しくて、間違いなく今まで食べた蕎麦の中で一番美味しかった。

 きっと、先生と一緒だからなんだろうな……。どんなに怖い場所でも、先生と一緒なら楽しいと感じられるのかな。そんなことをぼんやりと考えていた。

 それから、お店を出て少し散歩をした。お土産屋が並ぶ商店街を並んで歩くと、一緒に旅行にでも来たかのような、親しい距離に先生を感じて、朝から少しづつ感じていた非日常がじわじわと広がっていく感覚だった。

 胸がいっぱいになる。こうやって、学校以外の場所で逢うと、先生も普通の一人の男性なんだなって分かったから。


「じゃあ、そろそろ行こっか」

 デートがもうすぐ終わるよって合図が出された。寂しいけど、黙って車に乗った。先生って呼んじゃダメだし、手も繋げなくても、また学校以外の場所で2人で逢えたらいいのになって思ってしまった。

 まだ帰りたくないよ……。

 その想いとは裏腹に、高速はスイスイ進んでもう簡単に帰れてしまいそう。何か話さなきゃ、もっとたくさん聞きたいことも聞かなきゃ……残り時間を無駄にしたくなくて、とにかく何でもいいから話さなきゃと思った。


「先生は、彼女とかいるの?」

 咄嗟に口から出たのは、唐突な言葉だった。


「え?いそうに見える? ……いないよ」


 普通に答える先生。そうなんだ、いないのか……。嬉しくて顔がほころぶ。


「じゃあ、また、ドライブ連れてってください」


勢いでそう言うと


「うん、また満点取ったらね」


 そう言って、上手くはぐらかさらてしまった。仕方ないよね、先生なんだもんね。

「じゃあまた満点取ったら、次はもっと遠いところ、連れてってくださいね!」威勢よく、そう言った。

「唯はそういうとこ、素直で可愛いね」

少し声のトーンを落としてそんな事言うから、驚いて先生の方を見たら、先生はいつものゆるっとした雰囲気で笑っていてちっとも恥ずかしくないみたいな、平常運転そのものだった。ほんと、手強いな……。

 

 気づくと、高速を降りて、行きに来た横浜駅の西口に到着した。

「じゃあ、気をつけて帰ってね」

「今日はありがとうございました!」

 恋人たちのデートの別れ際みたいに小さく手を振ってみると、大きめに手を振ってくれた先生が可愛くて、やっぱり『好き』は続いてしまった。


 夜、ベッドに入ってから、朝からのことをひとつひとつ思い返していた。


 いつも私がお昼に飲んでいる紅茶を、助手席に用意してくれていたこと。話し始めると、BGMを小さくしてくれたこと。歩くとき、歩幅を合わせてくれたこと。お蕎麦をご馳走してくれたこと。「ちょっと寒い?」って言って、膝掛けを掛けてくれたこと。まだまだありそうだけど、そのひとつひとつの気遣いや思いやりが先生らしくて、やっぱり大好きで、ここで終わりって自分の気持ちにブレーキをかけることはできなかった。

 早く月曜日にならないかな、学校に行きたくて休日なんていらないくらい。勉強、嫌いだったはずなのに、恋って不思議だなって思った。


 

 月曜日、帰りのホームルームで文化祭の出し物を決めることになった。うちの高校は、1年ごとに体育祭か文化祭かが行われていて、今年は文化祭の年だった。なんでもいいや、って思って窓の外を眺めていたら、「たこ焼き屋」に決定したみたいだった。そして、くじ引きで、班ごとに受け持つ役割も決定された。チラシ作り、買い出し、機材発注の中の一つ。広瀬くんがくじを引いた。


「うちの班は、買い出しかぁ」

「めっちゃ面倒いの引いちゃったね」

「ごめん…」

 広瀬くんが素直に謝ったから、笑ってしまった。夏が終わってからも、イベントが充実していてわくわくしていた。放課後、委員会に行く途中で理科室の方を見たけど、先生は見えなかった。今日は逢えなかったな……下を向いて歩いていると

「あのさ…」

 おもむろに広瀬くんが話しかけてきた。

「ん? なに?」

「文化祭さ、良かったら僕と回らない?」

 意外なお誘いだった。

「えっ? なんで? 私でいいの?」

もの凄く意外で、驚いて質問をし返すと

「うん、、別に嫌ならいいけど」

ちょっと照れくさかったのか、いつものぶっきらぼうな感じで答えた。でも、一生懸命誘ってくれてるんだなっていうのが分かったし、どうせ先生とは回れないし……

「いいよ、一緒に回ろう」

そう答えていた。

「ほんと? ありがとう」

 そう言って、広瀬くんはいつもよりも更に口角を上げて笑ってくれた。広瀬くんの口から、ありがとうって言葉、初めて聞いたな。こんなシチュエーションで聞けることになるなんて、夏休み前の私には全く想像もつかなかった。それから、委員会が終わると、駅までの道を一緒に帰った。

 会話は、たこ焼き屋の買い出しの話だったけど、明日レシピの本を探して、当日までに用意しないといけない材料をリストアップしようねって約束して別れた。

 広瀬くんって、慣れればいい人だし頼り甲斐もあるんだなってことが分かった。

 

 次の日、物理の授業でデートの日以降、初めて先生に逢う。確実にデートする前よりも胸が高鳴っていて、そわそわしている自分がいた。


「はい、始めるよー」

 颯爽と教室へ入ってきた先生は、やっぱりいつも通りで、出欠を取っている時も私の方を見ることはなかった。

 キュンと切なくなって、胸が痛いのに私の中の『好き』は収まらなかった。

 放課後、授業での質問があったから理科室へ行きたかったけど、広瀬くんと昨日した約束があって結局行けなかった。この、近いようで遠い距離がさらに想いを募らせているのかな。


 図書室でたこ焼きのレシピの本を探す。ネット上にいくらでもレシピなんてあるのに、広瀬くんはちゃんと本で見たいらしかった。

「あっ、これなんかどうかな?」

そう言って伏し目がちになると、濃いまつ毛が揺れた。

「広瀬くんてさ、まつ毛濃いよね、いいなぁー」

「どこ見てんの」

あからさまに照れてしまって、いつもの広瀬くんじゃないみたいで可愛かった。


 その時、ふと、男の子にも女の子にも人気がある広瀬くんが、文化祭を回るのにどうして私を誘ったのだろう。本人を目の前にして、そんな事を考えてしまって勝手に気まずくなってしまった。

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