早めの再開

「ちくしょう…………なんでだ」


 今日も今日とて1人飯。


 カレーを口に運ぶスプーンが重い。


 クラスメイトに望みはないと考え、今日は隣のクラスまで足を運んだ。

 

 俺の悪い噂を知っていない人間がいるかもしれないと僅かな期待を胸に、知らないクラスの扉を開けた瞬間。


 ーー冗談抜きで、空気が凍りつく音が聞こえた。


 緊張で力が入り、引き戸を必要以上に勢いよく開けてしまったのも悪かった。


 バタン!! と大きな音を立てクラス中の視線が俺に集まった。


 ひっ。と誰かの悲鳴が上がった。そこかしこで息を呑む気配を感じた。


 おそらくそれまで和やかな時間を過ごしていたであろう室内は、一瞬で重苦しい沈黙に支配された。


 結局俺は、そのクラス内に入ることなく退散する羽目になった。


「ああ、あれはダメだ。あれはしばらく夢に出てくるやつだ」


 怯えたような表情、気まずそうにそらされた視線が忘れられない。


 入学してからずっとそうだった、必要以上に怖られる。タケル以外で俺とまともに目を合わせてしゃべってくれる生徒はいなかった。


 …………いや、1人だけいた。


 怯える素振りなど全く見せず俺に喋りかけてきて、あまつさえ振り回した女が。


「おや? 今日もお一人ですか?」

「…………またお前か」


 桐花咲が、俺の目をまっすぐ見つめ微笑みかけてきた。



「それで、今日はなんの用だ桐花?」


 カレーを食べ終わり、教室に戻ろうとした俺をまあまあと押し留め、特に断りもなく向かい側の席に座った桐花を警戒しながら質問する。


「あれ? 私吉岡さんに名乗りましたっけ?」

「そりゃあ、お前は有名だからな」


 ここ数日でこの女の冗談みたいな逸話を嫌というほど耳にしてきた。普段人と話さない俺にとって、たまたま聞こえてきた他の生徒の噂話だけが情報源であるにも関わらずだ。それだけでこの女がどれだけ学園で注目を集めているのかがわかる。


「俺の方こそ、名乗った覚えはねえんだが?」

「ふふふ、吉岡さんの方こそ有名ですから」


 学園一の不良、吉岡アツシ。


 この学園の生徒でこの名と悪評を知らない者はいないだろう。(もっとも、その悪評とは入学直後にカツアゲを行っただの、入学式でタバコを吸っていただの、上級生のクラスに殴り込みをかけただの、どれもこれも身に覚えのないものだが。)


 当然目の前の少女も知っているはずだ。だけど彼女はそんな俺に対して普通の調子で話しかけている。


 どうにも不思議な気分だった。


「……で、なんの用だ?」

「ふふふふ」


 俺をまっすぐ見つめ、笑いかけてくる桐花。


 本当に不思議な気分だ。それなりに可愛らしい顔立ちの女子がこうして微笑みかけてくるのに、ちっともトキメキというものを感じない。


 なぜだろう? 彼女のぶっ飛んだ噂話を知っているからだろうか? ……いや。もっとこう、本能に近い部分がこの女はヤバいと訴えかけてきているからだろう。


「実は吉岡さんにはですね、ちょっとお手伝いしていただきたいことがありまして」

「…………は?」



「では、改めて自己紹介を。私、1年の桐花咲です」

「…………吉岡だ」

「吉岡さん。ご存知かもしれませんが、私は人の恋愛話というものが三度の飯よりも好きでして」

「ああ、知ってる」

「普段から学園中歩き回って調べてるんですよ。恋バナってやつを」

「らしいな」

「でもですね、知っての通りこの学園には無断恋愛禁止の校則がありまして、誰が好きだとか、隣のクラスのあの子は人気があるとか、そういう話はよく聞くんですが、やっぱり誰と誰が恋人同士だ。って話は本当に集まらないんですよ」

「まあ、だろうな」


 この学園において恋人がいる奴なんて間違いなく少数派だ。


「恋愛許可証を持っているのが誰なのか、学園側は教えてくれませんし」

「そらあ、一生徒の好奇心のために教えてくれるわけねえだろ」


 許可証持ちはどうしても目立つ存在となる。となればいらぬ悪目立ちを避けるためにわざわざ言いふらす奴もいないだろう。校則と相まって、この学園では恋愛沙汰は一種のタブー扱いとなっている。だからこそ、桐花がどれだけ異端か際立つわけだが。


「そりゃもちろん、学外に出ればいくらでもそういった情報は集められますよ! 現に隣の北高の恋人事情はほぼ把握していますし! 市内の国立大学のドロドロ具合ときたら! 私が調べた情報を流せば、大学は阿鼻叫喚の修羅場に変貌しますよ!!」

「…………お前、普段何やってんだよ?」


 花の10代の日常生活がこれでいいのか?


「でもですね、やっぱり身近なところから攻めたいじゃないですか? そして恋人同士の仲睦まじい様子を身近なところから、しゃぶり尽くすように観察したいものですよね?」

「その感覚は全っ然わかんねえけど」

「とまあそういう事情があって、普段から精力的に活動してる訳なんですが、その過程で学園の変な噂が耳に入ってくるんですよ」

「噂?」

「ええ。ベタなところで言えば、誰もいない音楽室で1人でになるピアノとかですかね? 生徒数が多いせいか、そういった噂話に事欠かないんです、この学園は」

「へえ」


 なかなか興味深い話ではある。だが、いまだにこの女が俺を呼び止めた意図が見えてこない。


「最近もちょっと面白い噂話を耳にしまして。詳しく話を聞けば、どうもそのことで困ってるからなんとかして欲しいとのこと。ミステリー好きの私としても是非その真相を確かめたいと思っているんです!」

「はあ」

「そこで吉岡さんにはですね、私の謎解きを手伝ってもらいたいなと」

「なるほどなるほど」


 やっと事情が飲み込めた。


 俺は買ってきたペットボトルのお茶を飲み干し、一息入れてから告げる。



「お断りします」


 さて、教室に戻るか。



「ちょっと待って下さいください!」

「離せ!! ベルトを掴むな! 脱げちまうだろうが!!」

「冷たくないですか? 協力してくださいよ!」

「俺は関係ないだろうが! 大体手伝いってなんだよ? この前の時もお前1人で解いてたじゃねえか!」

「いえ、前回吉岡さんとお話ししてて思ったんですよ。吉岡さんの合いの手の入れ具合がちょうど良く私のツボにハマると言うか、話してていい具合に考えがまとまるんですよ。吉岡さんは謎解きに必須なアイテムだと思うんですよ!」

「人をアイテム扱いすんな! 探偵ごっこは1人でやれよ!!」

「あ、探偵。…………いいですね! なんかすごいしっくりきました! となると、探偵には助手が必要だと思いませんか、ワトソンくん?」

「誰がワトソンだ!!」


 この後しばらく言い合いを続け、どう言いくるめられたのか忘れてしまったが、俺はこの女の謎解きの手伝いをする羽目になった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る